廃墟検索地図は、地図から朽ちた建物や産業遺構などを見つけ、概要や歴史、写真を探せるアーカイブ・データベースです
ようこそ,アプリ博物館【圧縮解凍ソフト館】へ。“zip”などの取り扱いを支えてきた名フリーソフトの子たちを展示 編集部:楽器 「キュートっ! ここなんかあるよーっ!」 「速いってロール姉……ぇー,なにここー」 「アプリ博物館だってさ。行ってみよーぜー」 「ぇー……だっるぅ」 ようこそ,アプリ博物館へ。 今では当たり前の「アプリ」の言葉が“PCアプリ”をよく指していた時代。愛されていたフリーソフトの子たちがたくさんいました。 本日は,別館【圧縮解凍ソフト館】をご案内いたします。 今やアプリと耳にすると,過半数の人たちは無意識に「(スマートフォン)アプリ」をイメージすることでしょう。 しかし,スマホが存在しなかった時代からアプリという言葉はあり,そのころはアプリ=「PCアプリ」を指しておりました。 もちろん,アプリケーションという元の語自体は広義で扱われるため,ソフトやプログラムやプラットフォ
シーランド公国 イギリスは第二次世界大戦中、沿岸防衛の拠点として4つの海上要塞と多数の海上トーチカを建設した[1]。これらはマンセル要塞(英語版)(Maunsell Fort)と呼ばれる。 シーランド公国が領土としているフォート・ラフス(英語版)(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower とも)は、最も北に位置していた海上要塞であり、1942年から建てられた。イギリス沖10 kmの北海洋上、ラフ・サンズ(Rough Sands)と呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が二本ある巨大な構造物(ポンツーン)を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や対空砲台などが作られていた。戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後の1956年に要塞は放棄された[1]。 1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツ
かつてインターネットで一世を風靡したテキストサイト、別名日記サイトの歴史を知ろう。 「侍魂」「兄貴の館」「ろじっくぱらだいす」「一流ホームページ」「かまくら」「オレイズム」……。ネットで日記を書いているだけでモテる時代がかつて存在した!? こんにちは。ヨッピーです。皆さん、同窓会はしてますか? 元同級生や部活の仲間など、久々に会う仲間たちと懐かしい話に花を咲かせるのは楽しいものです。 そんな「同窓会」を後押ししようと、ビールの定番としてお馴染みのキリン一番搾りが「同窓会メーカー」というサービスを開始しまして、このサービスのPRのために「同窓会をやってほしい」と依頼されました。 同窓会メーカーはテーマを決めて仲間と気軽に同窓会が開け、予定調整まで出来るWEBサービス。会の後も集合写真を加工できる同窓会カメラで盛り上がれるそうだ。その同窓会メーカーの中身を見てみると、「え?それって同窓会なの?
1992年三重生まれ、会社員。ゆるくまじめに過ごしています。ものすごく暇なときにへんな曲とへんなゲームを作ります。 前の記事:型抜きをズルせずマスターした! > 個人サイト ほりげー 同じ姓が偏る地域のルーツを調べたら面白そう みなさんには「このあたりやたら同じ姓の家があるなぁ」という経験はないだろうか。たとえば、いま私が住んでいる場所の近所には、原さんがとても多い。あくまでも予想だが、きっとその昔、原さんという大地主が住んでいたに違いない。そういう記録は図書館で見つかるのだろうか。もし見つかったら面白いので調べることにした。 調べた結果については後述するので、まずは私の住む場所の近所にいかに原さんが多いのかについて語らせてほしい。 近所に原さんがとても多い 私は武蔵小杉駅からやや離れた場所に住んでいる。駅から歩くと結構遠い。昔っぽい建物と新しい建物が混在する地域だが、妙な違和感がある。原
俺が初めて見たのはテイルズオブジアビスだったんだけど。 幻想水滸伝まで遡るとハイランド王家の名字→ブライトで全然違う。 そもそも、王家の名字=国名になったのってなにが由来だ? 実際のヨーロッパどころか、日本ですら王家=国名だったりしない。 天皇家の名字≠日本だし、規模を小さくして藩だってほとんど藩名≠藩主の名前だろ。 徳川家が治めてた藩だって、水戸とか紀州とかだし、外様だって、伊達→米沢藩、島津→薩摩藩、前田→加賀藩で全然違うだろ。 ヨーロッパだとイングランドがプランタジネット家とか、フランスだとメロヴィングとかカロリング家とか?オーストリアがハプスブルグ家、プロイセンがホーエンツォレルン家だっけ? 今調べたらカスティーリャ王国(スペイン)がヒメノ家、スウェーデンのグスタフ・アドルフがヴァーサ家だった。 でもブルゴーニュ公国がブルゴーニュ家っぽい? もっと古い時代だと、イングランドのウェセ
1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:烏龍茶は水割りがおいしい > 個人サイト オカモトラボ 風刺画「どうだ明るくなったろう」とは 見た事ない人もいると思うので、まずは「どうだ明るくなったろう」について説明しよう。 「どうだ明るくなったろう」とは、歴史の教科書の大正時代のページに出てくる風刺画である。 こんな感じ。本物は検索して確認してほしい。 暗闇の中で靴が見つけらない芸者さんに対し、成金の男性が百円札に火をつけて明かりにするというもの。 第一次世界大戦のバブルを揶揄した和田邦坊(わだくにぼう)の作品だ。そのエキセントリックな行動はインターネット上で題材としても親しまれている。 実はこの風刺画、函館の料亭で起こった実際のできごとが元になったとされている。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く