◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(2024年1月2日往路・3日復路) 第100回を迎えた箱根駅伝。連覇のかかる駒澤大学が1区から、その強さをみせています。 駒澤大の1区は、当日変更で起用された3年生の篠原倖太朗選手。スタートからハイペースで先頭に立った駿河台大学の1年生の.レマイヤン選手にぴったりとくっつくと、13.4キロ付近で追い抜きます。そこからレマイヤン選手と首位争いを繰り広げます。 すると、篠原選手は、17.7キロ付近で、勝負をかけます。レマイヤン選手をぐんぐんと引き離すと、リードを広げて1位で2区4年生主将の鈴木芽吹選手へタスキをつなぎました。 前回大会の4区以降、大学3大駅伝で21区間連続トップでタスキ渡しをしている駒澤大。これで、“22区間連続トップでのタスキを渡し”を達成しました。
今や正月の風物詩となった箱根駅伝も、1987年に日本テレビが生中継を始めるまでは「関東のローカル駅伝」に過ぎなかった。なぜ箱根駅伝は人気になったのか。スポーツライターの生島淳さんの著書『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)より一部を紹介しよう――。 箱根駅伝は「ラジオで聴くもの」だった 昭和50年代の日本のお正月は静かなものだった。お店はすべてお休み。宮城県の気仙沼なんて、シーンとしていたものだ。日本全国、いつから元日でもお店を開けるようになったのだろう? 静かなお正月が懐かしかったりする。 わが家は食堂で、大晦日までお店をやっていたし、滅多になかったけれど、望まれれば元日にも出前に行ったりしていた。自分も正月からラグビーや駅伝の取材に行くのが苦だと思わないのは、母親の背中を見ていたからかな、と感じる。好きな仕事、求められている仕事であれば、お盆もお正月も関係ない。 そんな環境で育ち
初出場の駿河台大が、4区から5区の小田原中継所で“先生と生徒のたすきリレー”を実現させた。 【箱根駅伝往路】ライブ速報>>中学教師を休職している、31歳の今井隆生(4年)が4区を区間20位。チームも18位から最下位の20位となったが、かつての教え子で5区の永井竜二(3年)は笑顔で待っていた。たすきをつなぐと、法大時代に「爆走王」として話題を集めた、徳本一善監督(42)に「ありがとう」とねぎらわれ、涙を流して崩れ落ちた。 走り終えた今井は「前日も永井と頑張ろうと話していた。誰もができることではない。永井と僕を結んでくれた監督にも本当に感謝しています」と、かみしめるように話した。箱根駅伝出場を夢見て埼玉県の中学体育教師を休職。20年に駿河台大心理学部3年に編入した。永井は駆け出しの教師時代の教え子。避けたかった最下位に転落したが、徳本監督からはレース中に「謝ってきたらぶっ飛ばすぞ。全部起用した
【第98回箱根駅伝 往路 戸塚中継所 2区→3区】 戸塚中継所を出発する青山学院大・3区の太田蒼生(右) 左は2区の近藤幸太郎 =横浜市戸塚区(撮影・長尾みなみ) =(4)に戻る 箱根駅伝は青学大がトップで山上りの5区に入った。青学大は当日のメンバー変更で入った4区の飯田貴之が快走を見せ、2位・東京国際大との差を1分37秒に広げた。
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