ということを、なんとなく思い付いたので、両者の類似点を箇条書きにしてみる。 ・メインの生活ではなく、あくまでサブ。影のような存在。でも、メインよりも重視してしまう ・技術に詳しい奴が一目置かれる。バイクの解体ができる奴と、サーバーの管理ができる奴 ・お洒落じゃない ・もはや理解不能なスラングを使う ・あんまり派手にやると、命の危険がある ・ノーヘルとノープロクシ ・グループ同士で争う。 ・全体的に、名前が変 ・車には勝てない⇔サーバーには勝てない ・靴をちゃんと履かない ・頭(かしら)みたいな奴がいる ・スピード自慢 ・髪型が変 ・伝説が好き ・殴り合うと友達になる なお俺の暴走族に対する知識は、ヤンキー漫画によるものなので、間違っている可能性があります。
僕はネットで、よくウソをつく。それが悪いことだとは思っていない。別に僕は相手を騙そうと思っている訳でも、馬鹿にしようと思っている訳でもない。ただコミュニケーションを取りたいだけ。なのに相手はウソを真に受ける。 昔からそう。僕は、よかれと思ってウソをつくのに、相手は信じ込む。なんで分かってくれないんだろう。ウソをウソと見抜いてほしい。ちゃんと疑ってかかれよ。真実だっていう保障はないんだから。 なんで?なんで?それってリテラシーの欠如だよ。リテラシーがないとネットでは活動できないよ?リテラシーを持とうよ。 もちろん彼らに悪気がある訳ではない。むしろ善意だろう。しかしリテラシーのない善意は、かえって不幸を産む。梶原一騎も「正義なき力は無能なり。力なき正義また無能なり」と言っていた。 僕のついたウソを、みんなが広める。みんなのせいで、虚偽の事実が広まる。大抵、僕は自分にとって不都合なウソをつくから
今日から新しいブログを始めることにする。前のブログでは、いささか扇動的な内容の記事が多かったせいか、面倒なことがあった。今度のブログでは、なるべく目立たないような内容にしようと思う。 そして誰にも知られないで、自分の好きなことを書けたらいいと思っている。そうだな、好きな芸術評論のこととか、暇つぶしのプログラミングのこととか。 以前のブログを書いてて気付いたのだが、論理的に正しいことを書けばいいという考えは間違っていたようだ。進化論的に考えると、生き残るのは優劣ではなく、環境に適応したかどうかで決まる。いかに環境に逆らわずに行動するかが大事なのだ。進化論は、いつだって使える考え方だ。ダーウィンは素晴らしい。 あと、ネット上でプロレスをやるというのは、あまり意味のないことだ。そうすれば一時的にアクセスが増え、定着する読者も出るかもしれない。 しかし俺がブログを書くのは、他人に見せる為ではなく、
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