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ブックマーク / erlkonig.hatenablog.com (6)

  • 「異世界ファンタジーに日本語や外来語が出てくる問題」の7つの解決法(※ステマ注意) - 魔王14歳の幸福な電波

    (※この記事はメジャータイトル25からお勧めする最近のなろう小説に便乗した幻想再帰のアリュージョニストのステマです) たまに創作界隈で話題に上るテーマとして、異世界ファンタジーに日語や外来語が出てくる問題、というのがあります。 要は異世界を舞台とした設定のフィクション(特に小説)に日(や諸外国)の文化背景特有の言葉が出てきてしまう問題です。仏教のない世界で「仏の顔も三度まで」という表現が出てくるのはおかしい。コンピュータも英語も知らない登場人物が「マルチタスクが苦手」とか言い出したら違和感を覚えるでしょう。「社会」「文明」などの熟語も外国から輸入した和製漢語なので避け、やまと言葉のみを使うべきである。いやいやそれを言うなら、そもそも異世界の物語をで日語で記述すること自体がおかしいやんけ、等々。 もちろん、日人向けに作られたフィクションを日語以外の言語で記述するのは現実的ではあり

    「異世界ファンタジーに日本語や外来語が出てくる問題」の7つの解決法(※ステマ注意) - 魔王14歳の幸福な電波
    mobanama
    mobanama 2014/09/29
    指輪…。
  • 私の知らないはてな村はとても殺伐としているらしい - 魔王14歳の幸福な電波

    http://d.hatena.ne.jp/POGE/20090120/p14 なまえはぽやぽやしてて平和な感じなのに、星ひとつで戦争おきるってなんだよこれ。 外野からじゃわからんと思うが、使っている人間の実感からすると、まさしく毎日が精神戦争。 正直なところ、「殺伐としたはてな」というイメージにまったく実感が持てない……というのは、別にこのひとの感覚に異論があるわけではなく。つまりはてなという世界は思いのほか広くって、のどかなところはどこぞの大国のど田舎みたいにとことんのどかなんじゃないかな、という感覚を私が持っているからだと思います。 私はかれこれ4年以上も*1はてなで日記を書き続けています。さすがに4年も続ければそれなりに読まれるようになってくるので、めちゃくちゃ場末という感じでもなくなります*2。気がつけば知人もはてな関係の人ばっかりやたら増えてきて、多分自分ははてなダイアラーなん

    私の知らないはてな村はとても殺伐としているらしい - 魔王14歳の幸福な電波
    mobanama
    mobanama 2009/01/22
    "はてなという世界は思いのほか広くって、のどかなところはどこぞの大国のど田舎みたいにとことんのどかなんじゃないかな、という感覚""何を書いているかの方がずっと影響は多いはず"確かに。
  • 想像的思索を突き詰めたSF作家は仙人と見分けがつかない - シオドア・スタージョン『海を失った男』 - 魔王14歳の幸福な電波

    人間、徳が極まれば聖人になりますし、精神を磨けば仏になり、自省を突き詰めれば仙人になります。であれば、思索を深めて人智未踏の領域に達した作家はいったい何と呼ばれるのでしょう。 スタージョンさんは、SF的思索を深めるとこまで深めちゃったせいで悟りの扉でも開いちゃったのではないでしょうか。だから、彼が作中で示す人間習慣の新しい仕組みは、それだけでSFに見えてしまいます。そして、人間存在の在り方にSF的アイデアを与えたお話がまるで寓話のような倫理的問いかけを持ってしまうのも、また道理なのだと思います。 今回私が一読したところの理解度は、せいぜいが30%くらいです。わりと長い『成熟』『三の法則』『そして私のおそれはつのる』あたりは理解しやすいですけれど、掌編となる『音楽』『ビアンカの手』『海を失った男』などは、正面から受け止めるのに一度失敗するとそのままどこかに流れ去って行ってしまう儚さがあります

    想像的思索を突き詰めたSF作家は仙人と見分けがつかない - シオドア・スタージョン『海を失った男』 - 魔王14歳の幸福な電波
  • 本日一信 - 魔王14歳の幸福な電波

    私はツッコミビリティよりツッコマビリティ派。

    本日一信 - 魔王14歳の幸福な電波
    mobanama
    mobanama 2007/09/19
    単語的には『tukkomi+ability→tukkomability』が正しく見えるな、確かに。
  • 本日二信 - 魔王14歳の幸福な電波

    これの話。 ええかっこしいのタイトルにしちゃったので「ポジティブな心を持つことで何でも楽しめる」という気の持ちようで人生が豊かになる的反応がけっこうあるんですけれど、この記事の論は「自分に評価できない作品をそれだけの理由で全否定するのは"理屈"としておかしいですよね」という理屈くさくてあたま固いモヒカン的主張だったりします。騙されてはいけません。

    本日二信 - 魔王14歳の幸福な電波
    mobanama
    mobanama 2007/09/19
    例えば考証が足りぬ作品は誤った-時に有害な-偏見をばら撒くので、メジャーであるほど公には否定する。理屈としておかしいかなあ。(私的にはそれでも読んでるシリーズもあったりするなど、言っている理屈も分かるが)
  • おかげさまで、つまらない作品を読んだことがありません - 魔王14歳の幸福な電波

    「つまらない理由」をいくら列挙しても「面白い」という評価は否定できないに関連して言い足りなかったこととかを。 数少ない私のじまんというかささやかな矜持というか。少なくとも商業作品として出回っている漫画小説*1について、「読むんじゃなかった」と後悔したことは一度もありません。 もともと選びにあまり冒険するタイプではないのであまり変なのは避けてこれたというのもありますし、を一冊読んで「つまらなかった」という否定的感想しか抱けない、その程度の読みしかできないのはとても恥ずかしいことだという自戒*2もあります。 もちろん、「面白さの分からない作品」に出会うことはよくあります。サリンジャーさんのごの楽しみ方がよく分からなかったときはけっこう悩みましたし、音楽・絵画など「物語」以外のジャンルになるとさらに「分かる範囲」が狭くなります私の場合。 でも、そういうものに触れたとき「読む価値のないつま

    おかげさまで、つまらない作品を読んだことがありません - 魔王14歳の幸福な電波
    mobanama
    mobanama 2007/09/14
    『自分の評価軸』への投影でベクトルを評価することへの批判。自戒ならば総論としては良いが、批評というのは自分の軸を否定するのではなく、明らかにして、それをやれば良いだけの話。
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