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ブックマーク / nix-in-desertis.blog.jp (8)

  • nix in desertis:「イギリス農業革命」の記事の落ち穂拾い

    はてブでめちゃくちゃ反応があって,「この記事そんなに伸びる要素あったっけかな」と思いつつ,ブコメを読んでいくつか記事の補足をしておく。 >骨肥料の誕生と刃物産業の関わりの伝承はナイフ好きには分かりやすいがほとんどの人にはわかりにくい。 骨肥料と刃物産業の関わりの逸話はこれに記載がある。このコメントは,記事に「農業革命とは,狭義には農業技術の革新である。細かく言えば農具の改良や土壌改良手法の確立等もあいまって全般的に改良されたようなのだが」と書いたのを補足していくれていて助かる。実際に骨粉を撒いての土壌改良は18世紀の農業技術の革新の一つで,19世紀に骨粉が供給していたのはリンと特定されて,帝国主義時代の欧米諸国はリン鉱石と「海鳥の糞」を求めて世界中を駆け回ることになる。 それはそれとして,牛骨の利用というと個人的にはやはりボーンチャイナを連想するところで,18世紀のイギリス人の牛骨活用が

  • nix in desertis:「皇帝教皇主義」という用語について

    皇帝教皇主義とは,西欧側から見えたビザンツ帝国の宗教政策(理念)のことである。西欧では皇帝(帝権)と教皇(教権)が並立し,名目上はそれぞれが世俗・教会を統括する分離した存在であると見なされていたが,実際には800年のカール戴冠や962年のオットー戴冠がローマ教皇主導で行われたこと,コンスタンティヌスの寄進状,聖職叙任権闘争の影響などから,教皇の承認がなければ皇帝が成り立たず,教皇が世俗の統治にしばしば介入する構造に移っていく。これに対し,ビザンツ帝国では皇帝がコンスタンティノープル総主教を完全に支配し,世俗・教会の両権において最高権力者であった,というように当時の西欧人からは見えた。その専制性の高さを,半ば侮蔑を込めて「皇帝教皇主義」と呼んだのがこの用語の意味合いである。 さて,近年この用語は批判が多い。理由としては主に以下の3つが挙げられる。 ・コンスタンティノープル総主教は「教皇(Pa

    mobanama
    mobanama 2015/12/15
    "暗殺・放伐されたら「天命」を失ったと見なすのである。このユーラシアの西側ではいささか奇妙に見える皇帝観が,ビザンツ帝国の内乱癖を生んだ一方で,暗愚な皇帝を排除する実力社会となった"
  • nix in desertis:もし曹操がいなかったら

    ・もし曹操がいなかったら・・・・・(歴史的速報@2ch) これはけっこうおもしろいネタ。以下は考察というより雑念と妄想の垂れ流し。 確かに,予測のつきやすい範囲で最大のダメージを被ったのはおそらく漢詩だろう。曹操がおらんということは曹丕もおらず,曹植もおらんということで,古文が大成しない。下手したら韓愈の古文復興運動も遅れ,最終的に宋代の文化自体に影響を与えかねない。スレで指摘されている通り『孫子』も曹操の註がないまま伝わる。あとまあ無論のことながら『三国志演義』がなくなるので,合わせて文化史への影響は多大というレベルですらない。 政治史的にはどうじゃろか。曹操が董卓包囲網あたりで戦死したとして,表題の条件を満たしたとしよう。その後董卓は呂布に殺されて群雄割拠まで同じ。そこで曹操がいないので兗州が空白地帯になるが,中原の南側を統一する有力勢力は現れず,袁紹が献帝を保護して順当に冀州以北を統

    mobanama
    mobanama 2015/01/21
    "似たようなifでおもしろそうなものとしては,前秦の苻堅がとちらずに全土統一を達成していた場合"あるある
  • nix in desertis:舞の海講演会について(文字起こし有)

    ・“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言(週刊金曜日) この週刊金曜日の記事が物議を醸したが,当に舞の海がそんなことを言うのか疑問であったので,映像を紹介されたこともあり,そちらを視聴してみた。以下の動画の45分頃からが舞の海の講演。 結果から言えば,週刊金曜日の記事はひどい発言の改竄である。舞の海氏が気づいて訴えたら弁解の余地がないレベルだと思う。一応言っておくと,舞の海氏の講演内容に残念な点が無いわけではない。しかしそれは非常にダメな俗流若者論であったり精神論であったりする面であって,週刊金曜日の言うような点での問題点ではない。 “「外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と語ると、参加者から拍手が湧いた。“日の丸”旗を手にした男性が「頑張れよ」と叫び、会場は排外主義的空気が顕著に

    mobanama
    mobanama 2014/05/27
    "週刊金曜日がこの記事で何をしたかったのかがさっぱりわからない。舞の海氏個人に排外主義者のレッテルを貼っただけのような"
  • nix in desertis:ピレンヌ・テーゼ考 −本当にムハンマドは必要だったか(1) 序文

    ピレンヌ・テーゼという言葉がある。フランスの歴史家アンリ・ピレンヌが提唱したものであり,その内容は「ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし」という言葉に集約される。すなわち,イスラーム教の成立がなければ,西ヨーロッパ世界は成立しなかったであろう,というものだ。もう少し詳しく書けばこうなる。 古代においてはローマ帝国が地中海周縁を一括して支配していたため,地中海を用いた海洋貿易が盛んであり,分業体制さえ発達した一体化された「地中海世界」が形成されていた。しかし,ゲルマン民族の侵入によりローマ帝国が東西に分裂し,キリスト教会も東西に分裂した。さらにイスラーム教徒が現れて地中海世界に侵入し,またたく間に領土を広げたが,フランク王国がこれを阻止した。イスラーム勢力の拡大に危機感を覚えたローマ教皇はフランク王国を支援し,シャルルマーニュの率いるフランク王国は西ヨーロッパをほぼ統一した。 結果として地

    mobanama
    mobanama 2013/12/08
    んむ。非常に面白い。
  • nix in desertis:なぜローマは崩壊したのに中国帝国は存続したか

    ・なんでローマは崩壊したのに中国帝国は存続した?(歴史的速報@2ch) そもそもローマ帝国再興は土台無理な話として,むしろ「なぜフランク王国は西ローマ帝国再興にさえたどりつかなかったのか」という話で考えた方が建設的であろう。で,結論としては,フランク王国が北魏になれなかったってことだろう。クローヴィスからシャルルマーニュまで300年,ゲルマン人の大移動開始からなら450年弱,ちょっと時間が開き過ぎた。北魏は道武帝から太武帝までわずかに約50年。八王の乱から数えても,太武帝の統一まで約150年。間に一度苻堅による統一があるから,西欧に比べれば分裂していた期間は短い。八王の乱から隋の統一まででやっと300年だ。だから皇帝の求心力が低下しきらず,統一への求心力が維持された。 もう2つ大きな違いとして。隋は後漢の領域のほぼ全てを覆ったが,鮮卑の旧領であるモンゴル高原は保持できていない。その後,唐が

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    mobanama 2013/12/08
    時間が空きすぎ、旧領回復少なすぎ"すなわち,シャルルマーニュとは隋の文帝ではなく,まだ北魏の太武帝の段階であったのだ"元々の同化力"ローマの多様性・柔軟性が裏目"
  • nix in desertis:偉大なる画家十選

    そういうことやられると,追随したくなっちゃうでしょうが。ぶっちゃけて言えばいつもの「○○選」なんだが,基準が統一ではなくて,視点を変えていろいろ作ってみるからこそおもしろい。 つまりここでいう「偉大」ってのは,美術史への貢献度とか(西洋美術好きからの)人気の高さが重要なのであって,個人の主観を聞いてるわけではないわけだ。つまり,フリードリヒなんぞは私がどれだけ愛していても,端にも棒にも引っかかりはしない。むしろドイツ三人衆(デューラーとクレー)なんぞ誰も入らない。にもかかわらず,ある程度絞ったところだとその貢献度や人気を判断するのはあくまで主観であって,そこに間違いなく私情は入る。これはおもしろい。 今ぱっと候補考えたら20人くらい出てきた。さて,誰削ろうか。美術史というのは「点と点が無限に連なれば,普遍妥当的にそれは線である」という数学上の定義そのままなので,そこから点を抜き出して,「誰

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    mobanama 2010/06/27
    "現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才"等等
  • nix in desertis:センター試験に潜む変態

    今年のセンター試験英語は非常につまらない結果に終わったが、トラップは古文に仕組まれていた。今年の古文の出題は『恋路ゆかしき大将』である。これが問題であった。この話、物語がひどい。非常に詳しいブログがあるので、興味のあるかたはそちらを読んでいただきたい。 ざっと説明すると、主人公である恋路大将はイケメンだが寡黙な上級貴族であり、まあ普通の人生を送っていた……はずだった。あの日、天皇の娘二ノ宮(11歳)に出会うまでは……。確かに、若紫(10歳)の例や、現実にそのくらいの年齢で婚姻している貴族もいることを考えるに、当時の常識では特に問題なかったように思えるかもしれない。しかしそれは、源氏でさえ若紫14歳まで待ったように、婚約の意味しか持たず、平安時代でもロリコンはロリコンであった。恋路お兄さん(26歳)はその後、周囲の冷たい視線を浴びながらも、あまりのストーキングっぷりに根負けした天皇にその仲を

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    mobanama 2010/01/20
    "ちゃんと古文が完璧読めるほど得意な人か、さもなければロリコンの心情が理解できる人じゃないと、解けない問題が多い"ほほうw
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