いつ頃から淀川と呼ぶようになったか 淀川の源は琵琶湖から流れ出す。名は瀬田川と呼ばれる。瀬田川は京都の天瀬ダムあたりから宇治川と名を変え、大阪に向う。途中、山崎の地(大阪と京都の間)で、三川合流すなわち桂川と木津川とを合わせ、大阪平野を流れ大阪湾に注ぐ。三川合流点あたりから大阪湾までの川の呼称を淀川と呼ぶ。「淀川」という呼び名が定着したのは、江戸時代に入ってからである。特に17世紀の後半から盛んになった地誌類の編纂ブームのなかで、次第に「淀河(川)」とか「澱川」の表記が見られる。それまでは別の呼び方をしていた。古事記には「鵜河」と記され、日本書紀には「北の河」と記されている。また、難波古図などには「山崎川」「近江川」といった表記が見られる。 ★太古から古墳時代までの様子 淀川の起源・・・・縄文から弥生 ウルム氷河期終わり頃から温暖化して海水面が上昇し、縄文時代時代前期には海水面が最高