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2019年1月21日のブックマーク (5件)

  • ヒグチユウコ展 CIRCUS - 続・どんぐりも背くらべ

    1月19日、土曜日。この日は楽しみにしていた「ヒグチユウコ展 CIRCUS」の初日。重い体を布団から引きはがし、冷たい空気の中に飛び込んでいきました。 世田谷文学館に着いたのは9時25分。すでに長蛇の列! 最後尾に並び、スタッフに「何人くらい並んでるんですか?」と尋ねたところ「わかりません」とのこと。ん? その手のカウンターはなんのため? おそらく彼は、途中で変なとこを押してしまい、途中でカウンターをリセットしてしまったのでしょう。尋ねられ、表示を見てみると38人。 「……わかりません」 なるほど。 その後も列はどんどん長くなっていきます。 「展示を先にご覧になる方は、入口にお越しくださーい!」 開館すると、スタッフの声が響きました。そう、開館すると列はふたつに分かれるのです。展示を先に見る人と、ショップで先に買いものをしたい人の列。9割8分はショップを先に見たい。限定品もあり、売り切れが

    ヒグチユウコ展 CIRCUS - 続・どんぐりも背くらべ
    mohri
    mohri 2019/01/21
    世田谷文学館、展示の最後にショップじゃなくて、展示と別にショップあるからたいへんそう
  • 静岡の高校生の部屋からドイツ巨大フェスまで―「電気グルーヴ」破天荒な2人の30年 - Yahoo!ニュース

    2019年、結成30周年を迎える電気グルーヴ。90年代以降の日に「テクノ」「クラブ」というカルチャーを根付かせ、音楽シーンに大きな影響を与えた。「Shangri-La」などのヒット曲を生み出したほか、海外進出を果たし、ヨーロッパのテクノ・シーンでも知られる。石野卓球はDJ、ピエール瀧は俳優と、個人でも活躍してきた。30年、破天荒な2人が共に歩める理由は――。(取材・文:兵庫慎司/撮影:三浦憲治/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    静岡の高校生の部屋からドイツ巨大フェスまで―「電気グルーヴ」破天荒な2人の30年 - Yahoo!ニュース
    mohri
    mohri 2019/01/21
    兵庫さんによるよい経歴まとめインタビュー。写真がいちいちいいな。
  • essay about Infomation Space

    abstract 現在研究されている情報システムは、現実の空間をメタファーとし ているものが多い。例えばデスクトップメタファー、またヴァーチュ アルリアリティにおける3次元の室内空間をメタファーとしてとら えたもの。しかし現実の空間の内容とデザインを全てを情報システ ムにあてはめるアプローチは無駄が多いのではないだろうか? また、 情報システムで得られたインターフェイスを逆に都市や現実空間に 当てはめていくといったアプローチも重要なのではないだろうか。 研究では、情報システム上にいかなる手順で都市における広場や ストリートを生成したらよいのか研究する。 普通コンピューターの中では、情報はファイルという形で保存され ている。そしてそのファイルは、ディレクトリーやフォルダーの中 に、たいていの場合、階層化して置かれている。このように置かれ ている情報にいかにしてアクセスするか、ということを考

    mohri
    mohri 2019/01/21
    25年前のインターネットに思いを馳せる
  • とある女性が投稿した「亡き父親のゲーム攻略メモ」を見てゲームを攻略するということ。彼はなにを解き、わたしはなにを辿ったか

    とある女性が投稿した「亡き父親のゲーム攻略メモ」を見てゲームを攻略するということ。彼はなにを解き、わたしはなにを辿ったか 阿部愛由美さんという女性がTwitterで投稿したのは、父親でありアニメーターでもある阿部邦博さんが記したという、ゲームの攻略メモだ。ひと目見ると、精緻に書き込まれた攻略メモからはある種の魔導書のような迫力が感じられ、それと同時にゲームプレイヤーとしての並々ならぬ熱量も感じられた。 「すごいメモがある」とこのネタを持ち込んできた編集部員の熱意か、仕事として自身に湧いた興味か、あるいは“その魔導書”の魔力に惑わされてか。とにかくゲームライターであるわたしは、愛由美さんに通話で取材することになった。 以下がわたしがこれから記す体験、いや、“旅”の記録である。 文/Nobuhiko Nakanishi 編集/ishigenn このメモは8月に50歳で逝去された邦博氏の葬儀後、

    とある女性が投稿した「亡き父親のゲーム攻略メモ」を見てゲームを攻略するということ。彼はなにを解き、わたしはなにを辿ったか
    mohri
    mohri 2019/01/21
    いろいろおもしろい
  • 日本人がNASAで働くには|大丸拓郎

    このnoteは日の大学を卒業した筆者が、コネクションゼロの状態から、アメリカの大学への留学を挟まずに、NASAへの就職を果たした過程を記録したものです。これからNASAを目指す人、また夢を叶えようと努力している人の考え方のヒントになれば幸いです。 一度きりの人生をかけてこれをやる2012年の夏、NASAの1機の探査機が火星に着陸した。キュリオシティという名のその白いローバーは、胴体からまっすぐに伸びた首の先に大きな目玉がついた頭を持ち、足についた6つの頑丈な車輪で火星の荒れ地を走る。長い腕を伸ばしドリルで岩石を削り、それを体の中に入れその場で調べる。これまでのどんな探査機とも異なるその姿は、僕の目にはまるで生き物かのように写っていた。 当時僕は東北大学に通う大学院修士課程1年生の学生で、休日のエアコンの切れた蒸し暑い研究室で一人、実験の待ち時間にパソコンの画面に釘付けになっていた。キュリ

    日本人がNASAで働くには|大丸拓郎
    mohri
    mohri 2019/01/21
    読み終わったあと投げ銭できるのはよい体験