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2021年5月4日のブックマーク (4件)

  • 日本のポストロック/歌もの(2015年『ポストロック・バトルフィールド』)|bxjp

    別冊ele-kingで2015年に出た『ポストロック・バトルフィールド』ではワタシは大好きなSpangle call Lilli lineのインタビューを担当しておりまして、インタビューは掲載許可を色々取る必要があるからここに載せるのはなーと思ってたのですが、アルバム紹介ページでいくつか担当してたのを忘れてました。そのテキストをここに。たった5枚ですけども。 前提として、2000年前後の状況には、空気公団のような“うたもの”の流れと、サンガツのような“音響派/ポストロック”の流れがあったと思います。そこを交差させる、普通に歌がのってるのにバックトラックがポストロックとしか言いようがなく、歌の処理もサウンドの一部に聴こえる……そういう音楽がJ-POPと呼ばれる日のマーケットに一瞬あったよね、ということです、ここで取り上げているポストロックの歌ものというのは。

    日本のポストロック/歌もの(2015年『ポストロック・バトルフィールド』)|bxjp
    mohri
    mohri 2021/05/04
    一瞬だったのか…… 「普通に歌がのってるのにバックトラックがポストロックとしか言いようがなく、歌の処理もサウンドの一部に聴こえる……そういう音楽がJ-POPと呼ばれる日本のマーケットに一瞬あった」
  • 3回目のテレビ出演

    テレビに出たことは3回ある.最初に出たのは1983年,大学3年生の時である.アスキー社でパソコンのを書いており,そののために私が作ったフライトシミュレーターのプログラムの実演で NHK の「600 こちら情報部」という夜6時からの子供番組に出たのだ.真の目的はこのの宣伝だったが,NHK で宣伝はさせてくれないのでのことは伏せて,大学生が作った新しいプログラムのデモということで出た.将来のテレビゲームのあり方といったようなことについて,偉そうなことを適当に話した記憶がある.この番組は生放送だったので,自分では見られなかった.当時はビデオはあまり普及しておらず,うちにもなかったので自分の出演シーンはずっと見られないままだった.夜早い時間の子供向け番組だったからか,友人,知人からは全く,見ましたよとか,出てましたね,とは言われなかった.そこから30年以上たって,誰かがこの番組のビデオをニ

    mohri
    mohri 2021/05/04
    すげ 「1983年,大学3年生の時である.アスキー社でパソコンの本を書いており,その本のために私が作ったフライトシミュレーターのプログラムの実演で NHK の「600 こちら情報部」という夜6時からの子供番組に出た」
  • 入国審査

    外国に入国する際には入国審査がある.その厳しさは国によって大きな違いがある.私が経験した中で一番いい加減だったのは EU 統合をする前のフランスである.日のパスポートの表紙を見せればO.K.で中を開いてみることさえなかった.何のスタンプも捺していない.有効期限が切れていようが他人のパスポートだろうが大丈夫だと思ったものだ.すぐ隣のイギリスは概してずっと厳しい.大学やコンファレンスに行くのに招待状を出せと言われたことはよくあるが,一度は数学者だと言ったところ,その証拠を出せと言われたのだった.困ったがちょうど自分の論文を印刷したものを持っていたのでそれでO.K.だった.イギリスはこういう調子なので時間がかかる. アメリカはおそらく一番審査が厳しい国の一つで,いろいろなことをチェックされる.昔,友人で学生ビザを持っている人が学期の合間に短期入国しようとしたことがあった.大学に行くのではないの

    mohri
    mohri 2021/05/04
    この日記、最近書かれたっぽいけど手打ちだろうか? とソースを確認したらcharsetがEUC-JPでこのGWいちの笑顔になった
  • 45年ぶり下りたシャッター サザエさん最後の晴れ姿 赤坂で閉店・老舗書店の解体前に:東京新聞 TOKYO Web

    港区赤坂の老舗書店「金松堂(きんしょうどう)」の店頭で、シャッターに描かれた漫画「サザエさん」の巨大なイラストが45年ぶりにお目見えした。今年3月末に閉店し、建物の解体前に、ずっと上がったままだったシャッターが下ろされて日の目を見ることになった。 (宮隆康) 店主の西家嗣雄さん(63)によると、店は祖父が一九一一(明治四十四)年に創業。赤坂芸者のブロマイド販売店として始まり、書店に変わった。永田町に近い立地から、橋龍太郎元首相も首相官邸からよく訪れていたという。 個人経営の街の書店として営業を続けたが、出版業界の苦境が続き、新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけた。赤坂一帯の人出も減り、老朽化もあって閉店を決めた。 シャッターのイラストは五十二年前に完成。しかし故障などで定休日も上がったままになり、赤坂の中心部にもかかわらずイラストが人目に触れる機会はなかった。建物の解体を前にした先月十

    45年ぶり下りたシャッター サザエさん最後の晴れ姿 赤坂で閉店・老舗書店の解体前に:東京新聞 TOKYO Web
    mohri
    mohri 2021/05/04
    長谷川町子の関係者に取材して確認してるのさすが新聞社というかんじでよい「絵のタッチを見る限り、本人が描いたのではないと思う。ただ、版権を管理していた出版社の名前も書いてあるので、承諾を得ていたのでは」