→紀伊國屋書店で購入 「〝いやな奴〟を語る」 「文豪はみんな、うつ」と言われたら、「そりゃ、そうでしょう」と間髪おかずに応じてしまいそうな気がする。小説家には精神的な鬱屈のイメージがよく似合う。健康優良児で明朗快活な小説家なんて想像できない。しかし、問題はそこから先だ。そんなステレオタイプそのままのお題を掲げて、この著者はいったいどんな新しい話をしようというのか? そのあたりが気になって手に取った本書である。結論から言うと、あまり「新しい話」はなかったのだが、にもかかわらずけっこうおもしろく読んでしまった。 ひと言で言えば、本書は近代文学の有名人をネタにしたゴシップ本である。姦通、病気、家系の秘密、成功と失敗、貧乏、絶望、死。扱われるのも漱石、芥川、中也、藤村、太宰、川端など、いずれもフルネームで言わなくてもすぐ誰のことかわかるような作家である。みな、私生活にちょっと変わったところのあった
→紀伊國屋書店で購入 フランスのジャーナリスト、ディミトリ・ダヴィデンコが書いたデカルトの伝記小説で、原題を直訳すれば『醜聞の人デカルト』である。 読みはじめて啞然とした。一般に流布しているデカルト像とあまりにも違うのだ。語り口も講談調でまさに快傑デカルト、哲学風雲録である。 一般的なデカルト像というと裕福な法服貴族の次男坊に生まれるが、生来病弱だったために朝寝坊の習慣をつづける。名門校を出てから当時の貴族のならわしで軍隊にはいり、戦闘義務のない無給の将校となって箔をつけ、母親の財産を相続してからはオランダに移住し、孤独のうちに哲学の研究をつづける。スウェーデン女王の招聘で53歳にしてはじめて宮仕えをするが、軍隊時代も含めてずっと朝寝坊をつづけていた身にとって朝5時から宮殿に伺候しなければならない生活がこたえたのか半年で急死する、といったところか。 ところがダヴィデンコの描くデカルトは貴族
→紀伊國屋書店で購入 「〈リベラリズム〉の教科書」 原著 A Short Introduction to Moral Philosophy は1747年刊。一年前に出た翻訳だが、画期的な本邦初訳だし、古典はいつまでも古びないのだから、まだ湯気が立っていると言ってもよかろう。私としては、前々から取り上げたいと思っていたので、一年がかりでやっと課題を果たせてヨカッタと、胸をなでおろしている。 本書は、「近代社会思想コレクション」叢書の一つである。第一巻のホッブズ『市民論』といい、本書といい、立派な訳業だなあと感服させられる。こういう価値ある出版企画が存続するかぎり、翻訳大国日本の将来は明るい。プーヘンドルフやシャフツベリーの著作も、ぜひ日本語で読みたいものだ。ついでにホッブズ『物体論』と『人間論』も――、と欲は深くなるばかりである。 フランシス・ハチスンは、十八世紀前半にスコットランドで活躍し
→紀伊國屋書店で購入 「戦時日本へのまなざしを知るための貴重な資料」 本書『日本人の行動パターンは、ルース・ベネディクトの代表作『菊と刀』が発表される前に書かれた論文、「Japanese Behavior Patterns」(1945年)とそれ以前に書かれた「What shall be done about the Emperor」(不明)を、1997年に福井七子氏が翻訳して出版したものである。評者も出版されていたことは知っていたが、『菊と刀』との関係が不明だったため、手にしていなかった。だが、それ以前の、しかも戦中に書かれた(発表されたのは終戦後の45年9月だが、完成したのはその約一カ前とされる)ことを知り、読んでおきたくなったのである。 有名な研究は批判さられることも多い。 「歴史の無視、資料操作の恣意的変更、『罪の文化』(西欧)と『恥の文化』(日本)というあまりにもナイーブすぎる二元
書店に1歩足を踏み入れれば自己啓発書のたぐいは山のように平積みされ、めまぐるしくラインナップが入れ替わっています。また、インターネット上にも同様の記事などは多く存在しますが、それらをただ読むだけでは何の効果もなく、時間のムダに終わってしまいます。 そんな「勉強したつもり」になってしまいがちな気分を打破して、書物やウェブ上のアドバイスをきちんと身にするための方法が紹介されています。ついつい自己啓発書を積み上げるだけで読まない「積ん読」をしてしまう、あるいは長々と自己啓発サイトをブラウジングしてしまうという人には必見かもしれません。 自己啓発書やブログを使って、キチンと自分を奮い立たせるための心構えは以下から。Are You Wasting Your Time Reading About Personal Development? - by Dumb Little Man 1:ただ漫然と読むだ
久しぶりにコーヒーの話です。 コーヒーは嗜好品なので、コーヒーに期待するものは人それぞれです。 僕は大きく分けて5つのこと実現するために焙煎しています。 (1)香り、(2)口あたり、(3)味、(4)引き際、(5)残り香、です。 これ以外にも液色、温度、それに、カップ、スプーン、なども気になりますが、上記5項目を大切に考えています。 中でも、最もコーヒーに期待するのは(1)香り、です。 通常、新鮮な豆を焙煎し抽出すると、果物のような豆の香りがします。 この豆の香りだけを取り上げても、好みが分かれると思います。 僕はどちらかというとあまり好みません。 いや、その香りが嫌いというわけではなく、つまらないのです。 コーヒーを飲んで、コーヒーの香りがするだけでは不満です。 やってみればわかりますが、フレッシュな豆の香りを実現させるだけでも結構大変です。 が、しかし、いくらおいしくてもコーヒーから離れ
ここ1~2年のあいだに、企業の広報ツールとしてもすごい勢いで定着した感のあるTwitter。しかし、個人アカウントと違って、「企業の顔」として発信したり消費者とコミュニケーションするわけだから、どうしても無難なことしかつぶやけない! とお悩みの担当者も多いのでは。新商品やキャンペーン情報などをがんばってお知らせしているのに思ったよりフォロワー数も伸びず、テンションも下がり気味……というパターンには陥りたくないものですよね。 ところで、企業の公式アカウントにもかかわらず昨年末の紅白歌合戦にて、レミオロメンの「こなぁぁぁゆきぃぃぃ」と勝手にハモって、「かとぉぉぉきちぃぃぃ」と絶唱(?)したことで伝説となったヒトがいたのである。その名も加ト吉(2010年より、テーブルマーク株式会社に社名変更)の部長、末広栄二氏である(@KATOKICHIcoltd)。 「おはようございま すうどん」にはじまり、
「科学的な知識の豊富さ・SF性の高さにおいて、科学の専門家や科学ライターの間でよく知られているのが、藤子・F・不二雄と秋本治の両氏ですよ」 以前、ある科学ライターさんからそんな話を聞いた。 秋本治は今でも『こちら葛飾区亀有公園前派出所』において、最先端のテクノロジーなどを元ネタにしたマンガを多数書いているし、藤子・F・不二雄のSFといえば、『ドラえもん』『パーマン』『エスパー魔美』などの作品はもちろんのこと、数多くのSF短編を残していることでも知られている。 なかでも、子ども向けでなく、「大人向けのSF短編」は、後味の悪いオチや、読後の言いようのない絶望感、さらには鮮やかなどんでん返し、風刺やブラックユーモアの効いたものが多く、初めて読んだ人にとっては衝撃的な作品ばかり。 しかも、『魔太郎がくる!!』や『笑ゥせえるすまん』など、もともとブラックな絵柄の印象も強い藤子不二雄(A)のタッチなら
ゴルフや山登りがブームになれば、それに合った服が売れたりする。そうやって、消費者が流行を作ることは多い。 でも世の中で流行る前に、雑誌なんかで「この夏はマリンがブーム」とか「この冬はキャメル色が流行る」とか、断言されていることがある。各ブランド・メーカーが、一斉に似た服を出して、それが流行りになる。 流行を作った方が服は売れるだろうし、それを取り上げた雑誌も部数が伸びるとは思う。でも、そもそもファッション業界では、どうして先に流行が決まることがあるんだろうか? アパレル業界の方に聞いたところ、そのひとつの例を教えてくれた。 「まずパリコレのようなコレクションで、世界のトップデザイナーが作った服を発表します。そのあと、その服に影響を受けた他のブランドの人たちが、真似た服を作ります。そして、低価格な服を作るメーカーが、デザインを真似つつ、どんな体型の人でも着やすいよう落とし込んだ服を作ります。
なぜか、落ち着く場所ってないだろうか? 「なぜか、本屋が落ち着く」「CD屋にいると落ち着く」「美術館にいると……」などなど、人それぞれ。 しかし、私は何と言ってもこれだ。 「トイレにいると落ち着く」 意外とそんな人は多いらしく、だからこそこの機関は興味深い。東京都港区に存在するのが、その名も「日本トイレ研究所」。 成り立ちは、約25年前に遡る。当初は、公衆トイレにまつわる問題(衛生面など)を解決するための活動を行っていたが、09年10月にNPO法人「日本トイレ研究所」として認証された団体。 そんなトイレ研究所の活動の一つに、王子ネピア株式会社と共に小学生低学年向けに実施している“トイレ教育”がある。 この“トイレ教育”は、正式には「うんち教室」とネーミングされており、研究所の加藤篤代表が小学校に出向いて特別授業を開講。そして、その際の加藤代表の格好がイカすのだ。 画像の通り、王冠とマントを
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