アートとあとで読むに関するmomobookmarkのブックマーク (4)

  • 三浦春馬、上白石萌音も……なぜ日本の美術館音声ガイドは独自の進化をとげたのか | 文春オンライン

    三浦春馬に上白石萌音、杉咲花や小泉孝太郎も登場! と聞けば新作の映画かドラマのPRと思ってしまうが、そうじゃない。この秋に開かれている大型美術展で、音声ガイドのナレーターを務めているのがこの面々なのだ。 美術館はいまや一大エンターテインメントの場だ。目玉の展示作品を堪能するのはもちろんだけど、その前後に館併設の洒落たレストランやカフェで事をし、充実したグッズ売場を渉猟、美麗なカタログを手に家路へ……。多彩なお楽しみが揃っている。その欠かせぬメニューのひとつに、音声ガイドがある。各展が人気の俳優や声優を起用し、話される内容は簡潔でタメになり、親密感もたっぷり。声の主のファンならずとも、一聴に値する。 「ひとつの独立したコンテンツとして成立するよう、長年趣向を凝らしてきました。音声ガイドは会場でしか聴けないもの。その場に行ってこそ楽しめる体験型のエンターテインメントなんです」

    三浦春馬、上白石萌音も……なぜ日本の美術館音声ガイドは独自の進化をとげたのか | 文春オンライン
  • 表現の不自由展「平和の少女像」の背景を考える 抵抗の中で生まれた民衆美術 |好書好日

    民衆美術の作品の例。民主化闘争で亡くなった学生の追悼行列で掲げられた崔民花「君よ、あけたままの目で」(1987年)=古川美佳さん提供 日のみならず韓国社会への問いかけ 韓国では1960年代から、軍事独裁政権に抵抗する民主化闘争が知識人などを中心に始まった。多数が虐殺された80年の光州事件を機に格化すると、それに呼応するように、民衆美術は生まれた。報道が規制されるなか、虐殺や抑圧の実態を伝えるため、木版画や垂れ幕絵が作られた。少女像作者の金運成(キムウンソン)、金曙ギョン(キムソギョン)夫も、美術大学在学中から民衆美術を手がけた。 しかし民衆美術は長く韓国美術の表舞台から排除されていた。「街頭や工場など運動の現場で展開され、現実の矛盾をリアルに描く作品は芸術としては認められにくく『プロパガンダ』とみなされた」という。 それでも大勢が加わったのは、植民地化、南北分断、独裁政権と続く歴史

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  • 東大教員有志が「あいち」不交付に抗議したわけ - 加治屋健司|論座アーカイブ

    東大教員有志が「あいち」不交付に抗議したわけ 学問の自由への懸念、国の信用にもかかわる 加治屋健司 東京大学大学院准教授 10月9日午後、東京大学教員有志167名の連名で、「文化庁によるあいちトリエンナーレへの補助金の不交付決定に対する東京大学教員有志の声明」を、萩生田光一文部科学大臣と宮田亮平文化庁長官宛てに送付した。 声明は、文化庁が、「あいちトリエンナーレ」の一部である「表現の不自由展・その後」が一時公開できなくなったことを理由に補助金を全額不交付とする決定をしたことに強く抗議し、不交付決定の取り消しを要望する内容である。 声明を出すことになった背景には、今年5月に東大に発足した芸術創造連携研究機構(以下、芸術機構)の存在がある。 芸術機構は、七つの部局(学部・研究科など)が連携する横断的な組織で、多様な分野の研究者が連携して、芸術家との協働・連携も行いながら、芸術創造に関する分野融

    東大教員有志が「あいち」不交付に抗議したわけ - 加治屋健司|論座アーカイブ
  • アートという「避難所」が消えた世界は

    前々回に引き続き、「あいちトリエンナーレ」(以下「あいトリ」と略記します)の問題を取り上げる。 補助金交付(あるいは不交付)の是非については、前々回の当欄で比較的詳しく論じたので、今回は、別の話をする。 別の話というよりも、そのものズバリ、最も基的なとっかかりである「表現の自由」ないしは「アート」そのものについて書くつもりでいる。というのも、「あいトリ」問題は、各方面のメディアが取り上げた最初の瞬間から、ずっと、「表現の自由」それ自体を考えるべき事案であったにもかかわらず、なぜなのか、その最も大切な論点であるはずの「表現の自由」の議論をスルーして、「公金を投入することの是非」や「日韓の間でくすぶる歴史認識の問題」や「皇室への敬意」といった、より揮発性の高い話題にシフトする展開を繰り返してきたからだ。 ここのところを、まず、正常化しなければならない。 今回、私がつい2週間前に扱ったばかりの

    アートという「避難所」が消えた世界は
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