Home TAP the SONG 発売中止になったフォークルの「イムジン河」は国境を越え、時間を超えて日本人の歌になった - TAP the POP 1967年のクリスマスにレコードが発売されたシングル盤の「帰って来たヨッパライ」が驚異的なヒットを記録し、京都のアマチュアだったザ・フォーク・クルセダーズは日本中から注目される存在になった。 そしてプロとして1年間だけ活動する道を選んだとき、フォークルのセカンド・シングルに決まったのは「イムジン河」だった。 後に加藤和彦とコンビを組んでフォークルやサディスティック・ミカ・バンドの作詞を担当する松山猛が、この歌に出会ったのは少年時代にさかのぼる。 京都に生まれ育った松山は中学生の時に、いがみ合いやけんか騒ぎが日常茶飯事だった朝鮮学校と日本の学校との間を仲良くできないものかと考えて、学校同士でサッカーの対抗試合を行うことを思いついた。 銀閣寺の