3世紀に誕生し、善悪二元論を教義として世界的な宗教に発展しながらも滅びたマニ教の宇宙観を描いたとみられる絵画が国内に存在することが26日までに、京都大の吉田豊教授(文献言語学)らの調査で分かった。「10層の天と8層の大地からなる」というマニ教の宇宙観の全体像が、ほぼ完全な形で確認されたのは世界で初めて。マニ教は布教に教典のほか絵図も使っていたとされるが、絵図は散逸。宇宙観は教えの根幹につながる
今日から日本に行く。(6月17日) 一年半ぶりの台湾に戻り、父親が家にいない甥に会い、遊んであげるマッカーサーの息子の為の祈りで少しでも寂しい気持ちを感じなくなるといいな。 家に両親がいないので姉の家に泊まらせてもらった。姉さん、ありがとう。 両親は中国にいるため台湾から飛んで会いに行ってきた。両親も年を取りつつあり、一年一回くらいはそばにいてあげてどうでもいい文句をちゃんと聞いてあげるべきだとも思った。 スポンサーリンク そして、日本へ行く旅の中、電車に揺られながら自分のことを振り返ってみた。 自分はちゃんとした人間として生きているか?周りの人に優しくしているか?やるべきことはちゃんとやっているか?そして、今のままでいいのか? 一部に答えは出たものの一部に答えはまだ出てこない。 でも私の大好きな文章を思い出した。マッカーサーの息子のための祈りだ。 自分のことを見詰めて考え直せす時に最も参
まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋の星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。 現在の星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。 https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮の解説において、 然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレハ三月ヲ以テ大陽ハ白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽ノ位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名
日本道教学会の学会誌、『東方宗教』の最新号がやっと届きました。奥付は例年並みに「平成二十二年五月五日 印刷」で「五月十日 発行」となっていますが、実際に届いたのは一昨日(6月7日)、抜刷とPDF入りのCD-ROMが届いたのは昨日です。 もっとも、私の勤務先の学部の論集などは、かつては奥付にある発行月日より半年遅れで配布などということもしばしばだったとか。私自身にしても、SAT(大蔵経テキストデータベース研究会)の何十人もの仲間たちで苦労して作り上げた大正大蔵経の電子データを初めてインターネット公開した際は、技術担当の師茂樹さんと、連日、睡眠不足気味で作業したものの、約束していた年度内公開より10時間ほど遅れてしまったため、当時のホームページには「3月31日34時公開」などと表示したものでした。あれは誤入力ではなかったんです。最近でさえこれですから、まして古代の聖徳太子関連文献となったら……
久しぶりのマイ書評。老眼の進行とともに読書量が極端に落ちている。 もう十年以上前になるが、急性仏教かぶれを発症して仏教関係書をいろいろ読んだことがある。 仏教の篤信者として知られた中国南朝梁の皇帝・武帝についても知りたくなって関係書を検索したが、ヒットした一冊の森三樹三郎『梁の武帝―仏教王朝の悲劇』は版元品切れで確かAmazonマーケットプレイスではとんでもなく高値が付けられていたのだった。 その時は代わりにつか吉川忠夫『侯景の乱始末記──南朝貴族社会の命運』(中公新書)というのを読んだのだった。これはこれで好著でたいへん面白く読ませていただいた。 www.watto.nagoya なおこちらも中公新書版は版元品切れで、志学社からの復刊が新刊で手に入るようだ。 侯景の乱始末記──南朝貴族社会の命運 (志学社選書) 作者:忠夫, 吉川 志学社 Amazon 面白いなんて書いたがそれは国と時代
4月5 中島隆博『中国哲学史』(中公新書) 7点 カテゴリ:思想・心理7点 「哲学」というと、どうしても西洋のものということになり、中国や日本のものは「思想」という形で括られることが多いですが、本書は、あえて「哲学」という言葉を使い、西洋哲学や仏教との比較や対話も試みながら、中国哲学の歴史を描きだしてます。 中国の思想を紹介する本は数多くありますが、基本的には諸子百家を中心にそれぞれの違いなどを論じたものが多いです。そうした中で、本書は、中国内の関係(例えば孔子と老子)だけではなく、中国の外から来た思想との関係(例えば儒教と仏教、キリスト教)を見ていくことで、より立体的な中国哲学の姿を構築しています。 索引なども入れれば360pを超える本で、内容的にも難しい部分を含んでいるのですが、今までにないスケールで中国の思想を語ってくれている本であり、中国社会を理解していく上でも興味深い論点を含ん
第3弾です〜🍵 第1弾はこちら ネットでアクセスできる史学系雑誌① - 東洋史の院生bot 第2弾はこちら ネットでアクセスできる史学系雑誌② - 東洋史の院生bot (10)『東洋学報』 三菱財閥の文化事業として出発した歴史を持つ東洋文庫の機関雑誌。伝統と安心の高クオリティを保ち続ける雑誌。超オススメ。 掲載論文の検索とダウンロードはこちらからどうぞ。 https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_snippet&index_id=486&pn=1&count=20&order=17&lang=japanese&page_id=25&block_id=47 ちなみにTwitter公式アカウントもあり、編集の模様がうかがえたりもする🍵 新刊情報などもキチンと更新してくれてる優良ア
3世紀前半、メソポタミア中部に誕生したマニ教。ヨーロッパから中央アジアまで布教した世界宗教であったにもかかわらず、その後跡形もなく消え去ったという。しかし、21世紀になって、中国の福建省にマニ教徒の村があることが報じられた。『マニ教』『古代オリエントの宗教』の著者がその村で見たものとは? 孤立し、滅び去った宗教 日本では、マニ教は久しいあいだ、一部の好事家のあいだでだけ知られる幻の宗教だった。自ら「ザラスシュトラ(=ゾロアスター)とブッダとイエスを止揚する最終預言者」という途方もない称号を名乗ったマーニー・ハイイェー(216年~277年)の教えは、現在通用しているキリスト教とはまったく別個に「真のキリスト教」を名乗ったが故に、キリスト教が反転したネガとして、つまりは「知られてはいけない何者か」として、近年まで故意に幻影化されていた。 この世を精神(光)と物質(闇)の闘争の場と観じ切り、人間
元々、仏教学専攻なのだが、京大の仏教学は 印度学の1分野 なので、中国仏教や漢訳仏典は真っ正面からは扱われなかった。だから、 漢訳仏典を調べるやり方 のは、 自力更生 で身につけたのだけれども、 専門外だと、仏典を調べるのが難しい という話を聞いた。 現代は、 Internetに大蔵経がアップロード されているわけで、大蔵経内から 文字列を探し当てる のは、簡単になっている。しかし その文字列が記されている仏典の正体 とか その文字列がどういう意味合いで使われてきたか とかいった 基本的な部分 は、時間を掛けて身につけないと、せっかく探し当てた文字列を解釈できない。 仏典初心者のための良い教科書が、ネット上にある。東洋文庫の會谷佳光さんが作られた 2012年2月16日(木) 平成23年度アジア情報研修資料 財団法人 東洋文庫 「仏教典籍(漢文資料)の調べ方」(PDF) だ。 アジア情報研修
上代文献を読む会『上代写経識語注釈』勉誠出版 2016.2 14040円 あるいは何故「漢文」は舐められるのか(追記あり) 大学の同級生が 上代文献を読む会『上代写経識語注釈』勉誠出版 2016 を贈ってくれた。多謝。正倉院展というと、きらびやかな工芸品よりも 文書や仏典 に張り付いて眺めているわたしの好みに合わせてのことだ。まあ、正倉院展に出陳される仏典であれば、経題を見ないで、 その場で読んで、どういう類の仏典のどの部分か当てるのを楽しみにしている わたしも大抵なのだが。 総頁704頁に及ぶ巨冊だし、日本語で書かれた上代関連の文献は精査してあり、その点は非常に有益である。 何年もかけた研究会の成果で 大変な労作 なのだけれども、一言で言えば 甚だしく勿体ない のだ。何が勿体ないかというと 研究班に、中国学や中国仏教もしくはインド仏教のプロパーの研究者が含まれてない点 である。もし、 中
幾千年もの時の流れの中で育まれ、人類の進歩に大きく貢献してきた中国の文明、その壮大な軌跡を膨大な文献と出土資料を駆使して最高峰の研究者陣が説き明かす!! 人類の出現、とくに人類の文明の出現は、宇宙の中の一大奇跡です。人類は文明の創造者であり、また文明の成果の体現者です。人類は文明を創造する過程において、自己の生存の方法や形式を絶えず変えてきており、同時に文明の成果の蓄積も人類の変化と発展を推し進めてきました。人類自身と人類が作り出した文明とは相互に影響を及ぼしあう関係を形成しました。文明史は人類の創造史であり、また人類の発展史です。文明史を編纂することは、文字でこの創造と発展の過程を書き記すことです。(中略) 過去を回顧することは、未来を展望することです。この中華文明史は文明の発展の歴史を総括した基礎の上で、読者に未来の文明の発展の方向性を考えてもらうものとなるべきでしょう。 ──本書「総
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年10月) 『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』(もんじゅしりぼさつきゅうしょせんしょせつきっきょうじじつぜんあくすくようきょう)は、宿曜道の所依の教典の一つ。一般には『宿曜経』(すくようきょう、しゅくようきょう)と略称される。上下二巻。 文殊菩薩とリシたちが、二十七宿や十二宮、七曜などの天体の動きや曜日の巡りをもとに、日や方角等の吉凶を読み解く方法を説き明かした物であるとされる。ただしこれは伝説に過ぎず、実際にはインド占星術の入門書
19世紀後半~20世紀初め頃の開封のユダヤ人 開封のユダヤ教徒は、中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。現代の中国では広くユダヤ人を中国語で 犹太(簡体字)・猶太(繁体字)(地名「ユダヤ」 יְהוּדָה の音訳)と呼ぶが、 周辺の漢民族からユダヤ教は挑筋教とも呼ばれていた。これは、「腱を取り除く宗教」という意味で、ユダヤ教の食事規定カシュルートで動物の大腿の腱を食べてはいけないと規定されていることに由来する。 歴史[編集] 歴史資料によると、開封のユダヤ人コミュニティーは遅くとも宋代(960年-1279年)には成立し、19世紀末まで存続していた。 開封のユダヤ人の先祖は中央アジアから渡ってきたと推測されている。また、1163年にウスタド・レイウェイ(Ustad Leiwei = ウスタドはペルシア語でラビのこと)という人が宗教指導者に任ぜら
昨日、行ってきた。 生ラマ様、初体験。 とくに仏教に造詣が深いワケではないが、世界の偉人を見る機会がそうそうあるわけではない。 しかも会場が地元・横浜とあれば行かないわけにはいかないだろう。 この日は午前中二時間、午後も二時間ひとりで説法するという長丁場。 (途中で一時間の休憩と、一時間の声明披露があった) しかもこの週三本目の講演会だったらしい。 無神論者や信心しない者が、道徳や愛、倫理観を保つためにはどうすればいいのか、といったテーマについて触れている点が、宗教指導者としては際だっていると感じた。 でも申し訳ない。 法話それ自体からは、とくに感銘を受けなかった。 (個人レベルで言うと、やっぱメソディスト教会やバプテスト教会のアフリカ系牧師さんのお説教にぐっとくる。聴衆のレスポンスもあって、会場の一体感が感じられるしね) しかし質疑応答のセッションになると、一転。 ダライ・ラマの舌先から
今日は鑑真和上が来朝した日だそうである。1日違うような気もするがあまり細かいことはどうでもいいだろう。また、ネタ元を書くとご負担をかけそうなので、あえて書かない。 私は鑑真和上が好きで、これまで何度も唐招提寺に行った。天平の甍にはあまり関心はない。エンタシスとされる柱にもあまり関心はない。私が好むのは、廟の静けさと凛とした孝謙天皇宸筆だ。私はこの二人に問いかけて時を過ごす。そういえば、夏になれば、前の売店でよく冷やし飴を飲んだ。 鑑真について、いつも気になることがある。和上は失明するほどの辛苦をしてまで、なぜ日本に来たのか。もちろん、仏教にかける宗教的な情熱であることは間違いない。日本の衆生を救おうとしたことも間違いない。だが、あの時代も、そして今も、日本人は和上の思いをまるで理解していないじゃないかと、私は思う。 和上は戒を授けに来たのだ。戒なくして仏教はない。日本の歴史家は仏教を根本的
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