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共同体に関するmorutanのブックマーク (7)

  • 共同体 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "共同体" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年7月) 共同体(きょうどうたい)とは、同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のこと(地域共同体)。組織の名称の一部として用いられることがある(欧州共同体など)。 日語では「地域共同体」が「地域社会」をも意味し得うるため、転じて国際的な連帯やインターネット上の集まりなども「共同体」あるいは「コミュニティ」(英語:community)と呼ばれる(例:ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体、アフリカ連合、米州機構、東アジア共

    morutan
    morutan 2011/09/15
    こっちだと単ヌンに「共同体」=「Gemeinschaft」とされてるけど。。いやゲゼルシャフトも社会だしなぁ。。ゲゼル=職人て意味なだけだし
  • Suche: gemein - wadoku.de

    morutan
    morutan 2011/09/15
    「意地汚い」とかのネガティブな意味 + 「共同」かぁ。。
  • Amazon.co.jp: コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書) (ちくま新書 800): 広井良典: 本

    Amazon.co.jp: コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書) (ちくま新書 800): 広井良典: 本
  • Amazon.co.jp: 単身急増社会の衝撃: 藤森克彦: 本

    Amazon.co.jp: 単身急増社会の衝撃: 藤森克彦: 本
    morutan
    morutan 2011/02/15
    「おひとりさまの老後」よりしっかりしてそうである程度安心できそう
  • 無縁社会への処方箋 - 桜井政成研究室

    2011年2月11日および12日に放送されたNHKの「無縁社会」特集(※)へのコメント。 そもそも無縁社会ってなんだかよくわからないけど社会不安だけ煽っていてできるだけ避けていたのだが、この二日間の番組視聴及びツイッター上の議論を通じて、その無縁社会なるものの「成分」がだいぶ分かってきた気がする。 番組(12日のほう)で一人のフロア参加者が叫び、またツイッター上でも議論になったことですが、「なぜ無縁社会というのか。排除社会ではないのか。」 これはまったくそのとおり。無縁社会で時としてクローズアップされるのは現代日社会における「社会的排除問題」である。 社会的排除とはEUの定義では、次のようになっている。 ➢ 貧困による参加の阻止、学習機会の不足、または差別の結果として、社会の隅に押しやられてしまうプロセス。 ➢ 仕事、収入や教育の機会、社会やコミュニティのネットワークや活動から疎遠にする

    morutan
    morutan 2011/02/15
    「無縁社会つってもぼんやりしてわかんねー」に対して「社会的排除、社会ネットワーク(の誤解)、少子高齢化問題、青年期の疎外感である、と見立てた」 + 「たいがいの地域・人はつながりがないわけではない」
  • どこまでを自己と認識する社会なのか。 - 旧 はてブついでに覚書。

    自分の物理的な(自分以外のものとの)境界というのはこの身ひとつなわけだけど、 社会的に、概念的に、どこまでを「自己」とするかは、 人は適宜決めている。 学問的にどういう言い方をするのか知らないけど、 精神は自由であるので、「自己」というその定義を、 自分の物理的な境界を越えて、他者や家族や組織やコミュニティに 結構フレキシブルに拡張している。 自己の拡張、というと説明しづらいので、もうちょい大きい、 家族という概念の拡張について例をいうと、 いわゆる血の繋がっていたり戸籍が繋がっている家族以外に ある部族が丸ごと大家族という認識だったり、 田舎のある地域が家族同然だったり、 社員はみんな家族だという認識の社長がいたり。 人がほかの人を単なる他人ではなく「家族」という認識をした場合に 何が起こるかというと、 まず心を許す。 親しき仲にも礼儀ありなんて恐ろしい心の構えがなくなる。 損得の勘定を

    どこまでを自己と認識する社会なのか。 - 旧 はてブついでに覚書。
    morutan
    morutan 2009/10/26
    けっこうドライな印象ないぬこがこういう愛着を持つというのは意外、というかゲマインの解体→自らの選択・再契約的なものが無意識にと言う感じなのかな。めたぼんの変化とも同期 http://bit.ly/2cmU3o
  • 「共同体」のイメージ - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    Morutanさんが、2月17日の日記に、 なんだかトラックバックがうまくいかないのでこちらにリンクを置いておきます。 http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html というコメントをくださいました。そのリンク先の「muse-A-muse 2nd」で、このブログの記事が取り上げられています。ありがたいですね。 そこでのコメントに、「代替不可能性が連帯を創りだす」ということについて、 代替不可能性は社会的連帯を創り出す(あるいはそれに基づく)ということなんだけど、これに関しては少しウザそうな田舎的連帯(cf. ゲマインシャフト)を連想するけど、それとは違うのだろうか? よくわかんないけど、そういうことにして話を進めると、そういう繋がりって良いところもあれば悪いところもあるように思う。良いところとしては今までの流れで出てきた感じのもので、

    「共同体」のイメージ - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    morutan
    morutan 2007/03/06
    「田舎のほうがきちきちした監視があるっていうのは偏見じゃないの?」、と。面白かった。こういうのは農民蔑視の偏見解除にも役立つな。あと、後段:共同体の脱構築/再構築もおもしろそう
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