タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

運動と善に関するmorutanのブックマーク (4)

  • はてな

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    morutan
    morutan 2008/03/07
    「安易な善意の矛先として消費していくだけ」という視点は分かってるんですけど別件で書こう。相手を無垢と思ったり可哀想がって満足感を得るため以外の関わり方か。同じ立ち位置ということだけどhttp://tinyurl.com/25t9ph
  • 討議的民主主義 vs. 参加的民主主義ーー「活発に政治参加する市民」が胡散臭い理由 - *minx* [macska dot org in exile]

    シカゴ大学法学部ブログではじまったグレン・レイノルズ(テネシー大学法学教授、保守系ブロガーInstapunditとして有名)との対論において、キャス・サンスティーンが政治学者ダイアナ・マッツの『Hearing the Other Side: Deliberative Versus Participatory Democracy』を引いて集団分極化について面白い指摘をしている。 サンスティーンの『Republic.com』(『インターネットは民主主義の敵か?』)では、集団分極化のメカニズムが人々を分断し、先鋭化を起こすことが懸念されている。しかしそうした先鋭化は、同時に人々の政治参加の動機を著しく強めることにもなる。もし自分たちに何が正しいか分かっており、敵対者はとんでもない悪人かバカのどちらかであるなら、自分たちの主張を通すためにより深く政治活動に関わろうと思うようになる。 逆に、閉鎖的な

    討議的民主主義 vs. 参加的民主主義ーー「活発に政治参加する市民」が胡散臭い理由 - *minx* [macska dot org in exile]
    morutan
    morutan 2007/09/26
    相対化による自縄トラップか。つか、集団分析とは別の個人レベルのことを言っとくと、相対化ばっかすると自分がなくなっちゃうんだけど、それによって研ぎ澄まし自分で考えることができるようになれば、ってのはある
  • 壊れる前に…: 私のちっぽけな苦しみ

  • 赤の女王とお茶を-真実と倫理と責任と

    mojimojiさんから再応答をいただいた。 おっしゃることはよく分かるのだけど、私にはまだ少し違和感があります。 他方で、自己欺瞞をうまく扱えない人がいる。そういう人がたくさんいる。 こういう人に向かって、「仕方ないんだよ」と(だけ)言うことは、何の意味もない。 前回の文脈でいうならば、世の中には「倫理的な責任」を 「感じない人」 「多少は感じる、あるいは感じるけど切断できる人」 「どうしても感じてしまう人」 がいて、「どうしても感じてしまう人」に気休めを言っても仕方ない、ということだと理解しました。 しかし、それは同時に、「当はできるでしょう?」などという必要もないことになります。言おうが言うまいが「感じてしまう人」なのですから。 結局、「感じない人」や「どうしても感じてしまう人」に対しては倫理的な呼びかけ自体が「役に立たない」といえるでしょう。 となれば、「多少は感じる、あるいは感

    赤の女王とお茶を-真実と倫理と責任と
    morutan
    morutan 2007/06/03
    多少は責任を感じる人、感じるけど切断できる人の士気をどのようにキレさせずに持続するか。過剰な責任追及はヤバイな。でも「善」の設定によって責任感は変わってくる。道義的責任の範囲と科学的因果の峻別
  • 1