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ブックマーク / realsound.jp (7)

  • 台湾は青春映画を作る才能の宝庫だーー『若葉のころ』が描く、二つの時代の恋模様

    昨年台湾で、タイトルである『5月一號』の通り、5月1日に公開された一の青春映画は、日では残念ながら1年以上経った5月末に公開になってしまった(5月1日に観たかった!)。日での邦題は、劇中に使われるビージーズの名曲の日タイトルと同様に『若葉のころ』。夏の始まりに相応しい瑞々しさに溢れた作品になっているのだ。 ビージーズの「若葉のころ(First of May)」というと、やはりワリス・フセインの「小さな恋のメロディ」を思い出すだろうか。同じくビージーズが歌う主題歌「メロディ・フェア」と共に、映画史に残る伝説のヒロインであるトレイシー・ハイドの姿を思い起こすことができよう。筆者ぐらいの世代では、96年にKinKi Kidsの二人が主演した同名のドラマも同時に思い出すのである。いずれにしてもこの歌は、成長と共に過ぎ去っていく初恋や友情の思い出を歌った歌であって、哀愁漂うメロディと、シンプ

    台湾は青春映画を作る才能の宝庫だーー『若葉のころ』が描く、二つの時代の恋模様
    morutan
    morutan 2016/06/11
    ジョウ・グータイ
  • クラムボン・ミトが語る、バンド活動への危機意識「楽曲の強度を上げないと戦えない」

    ミトは、ある種のランナーズ・ハイの状態にあるのかもしれない、と思った。こちらの質問に対して、そんなこともわからないのかと言わんばかりに呆れたような表情を見せながら、畳みかけるように饒舌に語り続ける。その話はある種の衝撃だった。 クラムボンが結成20周年を迎え、5年ぶりのアルバム『triology』をリリースする。9枚目のアルバム。彼らのバンドとしての個性もスタンスもすっかり確立されているはずなのに、しかし、このアルバムは、これまでの作品とはまったく違う意識で作られているようだ。何度も取材して気心が知れているはずのミトの変貌は、いつもと同じつもりで呑気にインタビューしにいった僕を戸惑わせるには十分だった。 彼と話していて思い出したのは、約20数年前、テクノにはまったころの自分。耳が変わり、意識が変わり、聴くものもすべてが変わって、それまで聞いていた旧来のロックみたいなものがすべて聞けなくなっ

    クラムボン・ミトが語る、バンド活動への危機意識「楽曲の強度を上げないと戦えない」
    morutan
    morutan 2015/03/26
  • 『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む

    「史観」という言葉がある。「唯物史観」であるとか「自虐史観」であるとか、音楽の場合だと「はっぴいえんど史観」であるとか、歴史に対するときに採られる見方や立場、価値判断のことだ。これが極端に偏ると、捏造に基づく偽史や、悪い意味での歴史修正主義に陥ったりするわけだが、無数にある史実のどれを選び、どう評価するかということだけでも、史観は自動的に生じてきてしまうものではある。学校の歴史教科書にも史観はあるし、たとえば、あらん限りの資料を渉猟し、できうる限りそれらをそのまま提示して、1968年という「政治の季節」を実証的に丸ごと描き出そうとした小熊英二の『1968』にだって史観は存在している。 結局、人それぞれに史観はあり、史観の数だけ歴史はあるわけで、主観と客観は史観の強弱のグラデーションでしかないということもできるだろう。 歴史を描こうとする者は、このグラデーションの幅のどこかに自分を置くことに

    『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む
    morutan
    morutan 2015/01/05
    <Jポップとは洋楽中心で流してたJ-WAVEなんかで洋楽ぽい邦楽が流れるようになって、両者の中間的なアノヘンを指す>でありポスコロだと思うんだけど、椎名林檎は避けて中田ヤスタカか(はっぴ→YMOの系譜からか
  • 軍歌は国をあげてのエンタメだった!? 新たな史観を提示する新書『日本の軍歌』を読む

    大阪の私立幼稚園が、園児に教育勅語や五箇条の御誓文を暗唱させ、君が代や軍歌を合唱させるといった極めて保守的な愛国教育を施していることが話題になっている。個人的には右も左も極度に偏向したイデオロギーにはゲンナリなのだが、それはひとまず措き、どんな軍歌が選ばれているのか見てみよう。 YouTubeにアップロードされている動画では、「同期の桜」「日の丸行進曲」「愛国行進曲」などが歌われていた。その他行進には「ラデツキー行進曲」が使われていた。また、ジャニーズの忍者が1993年にリリースした「日」(秋元康作詞、三木たかし作曲)も歌われていた。春夏秋冬、季節のごとの自然や風物を賛美して「ああ日、ああ日、この国に生まれてよかった」と歌うたわいない曲だ。 官民がしのぎを削った軍歌ビジネス 「同期の桜」は実は替え歌である。そもそもは1938(昭和13)年に『少女倶楽部』(講談社)に発表された「二輪の

    軍歌は国をあげてのエンタメだった!? 新たな史観を提示する新書『日本の軍歌』を読む
    morutan
    morutan 2014/11/04
    「軍歌をエンタメとして扱うことで、つまり商品として扱うことで軍歌にまつわる政治性を解体して」な部分が具体的にわかりにくかった。カラオケに軍歌が未だあるのとかは想うけど(cf.「この世界の片隅に」
  • 「早すぎたポップ・スター」としてのマリア・カラス 20世紀オペラの伝説的歌唱を改めて聴く

    アイドル、ロック、ボカロ、EDM、時にはジャズ、宝塚など、Real Soundは幅広いジャンルを扱っているけれど、ポップ・ミュージックを中心にした音楽サイトだとはいえるだろう。そのサイトで今回、オペラ歌手の故マリア・カラスをとりあげる。彼女はクラシックの世界に生きた人だが、その記憶のされかたは、ポップ・スターに近いところがある。クラシック通以外にも名前を知られ、広く聴かれた点では、ポピュラーな歌手だったのだ。 生誕90周年にあたる今年、1940~60年代のスタジオ録音が、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオのエンジニアによってリマスターされ、豪華なボックス・セットがリリースされた。また、日企画として、やはり新リマスターによるSACDのリサイタル集13タイトルが11月、オペラ全曲集6タイトルが12月に発売される。一連の再発プロジェクトは、クラシック界でのカラス再評価の機会となるはずだ。同時に

    「早すぎたポップ・スター」としてのマリア・カラス 20世紀オペラの伝説的歌唱を改めて聴く
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    morutan 2014/10/17
  • 音楽における「サブカル」とは? 円堂都司昭が戦後カルチャー史から紐解く

    近年、“サブカルチャー”あるいは“サブカル”という言葉を巡って様々な議論が交わされている。NHK・Eテレが『ニッポン戦後サブカルチャー史』を放映するなど、メディアで特集が組まれる機会も増えている。しかしながら、その言葉の定義はジャンルや論者によって大きく異なり、共通の理解が成立しているとは言いにくい状況ではないだろうか。そこで今回は文芸・音楽評論家の円堂都司昭氏に、“サブカルチャー”と“サブカル”の意味内容の変遷を歴史的に振り返ってもらいつつ、特に音楽における用法の現状について聞いた。 ――そもそも“サブカルチャー”あるいは“サブカル”とは、どのような背景で出てきた言葉なのでしょうか。 「1960年代には先進諸国で学生運動が盛んになり、ベトナム戦争に対する反戦運動もあって、この時期にフォークやロックが若年層に広く聴かれるようになりました。この時代の反体制的で反抗的な、社会に対して異議申し立

    音楽における「サブカル」とは? 円堂都司昭が戦後カルチャー史から紐解く
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    morutan 2014/10/15
  • 『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?

    タイトルに「教科書」と謳われているものの、いわゆる教科書のような体裁はしていない。むしろ「音楽」というものを考え直すことを目的としたである。ここで「音楽」と呼ばれているものは「西洋近代音楽」のことだ。 「考え直す」といっても、著者の中には確固とした結論があらかじめ用意されている。いちおう音楽教育を問うた体のではあるので、音楽教育に対する見解としてもそれは披露される。著者は要するにこういいたいようである。 「音楽教育なんか全部無駄、むしろ害悪だからやめてしまえ」 もう少しひもといてみよう。結論にあたる第8章は、モーツァルトを例に早期音楽教育を論じた部分だ。 いうまでもなくモーツァルトは至上の天才として音楽史に刻まれており、早期教育の成果は申し分なく発揮されている。だが、親の想定を超えて「モンスター化」し、親と故郷を捨てて、非常に低い収入で暮らすうちに若くして死んでしまった。 そんなエピソ

    『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?
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    morutan 2014/10/14
    『本書は、日本の音楽教育を題材に、カルスタの定番言説を、平易にかつ極論に振り気味に再説したものだ』 ここからのアク(西洋音楽なドグマ)を抜いて読むと通史としておもろそう。
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