ブックマーク / nezu3344.com (15)

  • 通州事件から学ぶべきこと

    7月29日は、日人のみならず、人類史として決して忘れてはならない「通州事件(つうしゅうじけん)」が起こった日です。 事件が発生したのは、昭和12(1937)年7月29日のことです。 ねずブロでこの事件を最初にご紹介したのは、平成21(2009)年6月のことですが、当時この事件について知る人は、限られたごく一部の人たちだけでしたし、事件そのものについても、名前を聞いた事があるくらで、それがいなかる非道行為であったかについてまで知る人は、ほとんど稀という情況でした。 いまは、かなりの人がこの通州事件の惨劇についてご存知のこととなっていますが、消された歴史を暴き、また二度と日のみならず世界の人類史上繰り返す事があってはならない事件として、この事件は、もっと多くの人に、日の常識、世界の常識として知っていただかなくてはならない、まだまだ拡散し続けなければならない事件であると思っています。 この

    motojp2009
    motojp2009 2013/07/31
    虐殺の様子については、報道内容を元にした創作である可能性あり。http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110810/1312991181
  • デフレの真実

    安倍晋三総理が、自民党総裁に就任したその瞬間から、日経平均株価はいっきに上昇を始めました。 民主党内閣のもと、平均株価が8千円内外だったことを考えれば、わずか半月で2割もの値上がりです。 なぜ株式市場は値上がりしているのでしょうか。 ひとつには、安倍総理の経済政策を好感しているということがあげられます。 では、なぜ安倍総理の経済政策を好感しているのかというと、インフレ誘導だからです。 ではなぜ、デフレでなくインフレ誘導が経済界で歓迎されるのか。 そして、これまで長い間、インフレ誘導しようとする、つまり経済を活性化させようとした政治家が政権や政界を追われ、デフレ保持がまるで正義のように言われ続けたのか。 その意味と理由を、めちゃくちゃわかりやすく述べてみたいと思います。 おもしろいもので、日銀は、たとえば1万円札を年間に100枚印刷し発行したとすると(もちろん実際にはもっとはるかに多い数です

  • 拡散希望:「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」

    以下は、Youtubuにアップされている動画にあるテキストです。 このことは日人全員が過去の事実として知っておくべきことです。 みなさんの手による拡散を希望します。 ~~~~~~~~~~~~ 「在日のタブー、朝鮮進駐軍」 ※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。 在日朝鮮人は日戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。 ●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃● ------------ 「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。 約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。 日の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。 そこで米軍憲兵

  • 広島の原爆被災者の記録

    昨日、放射線のことを書きましたので、今日は、実際に広島で起きた原爆による被爆者の体験談を書いてみようと思います。 体験者による実話です。 ~~~~~~~~~~ 京都の西願寺の接待所で、顔半分にケロイドを負った中年の男性がお茶をすすっていたそうです。 そしてその人が、周囲で腰を降ろしているお爺さんやおばさんたちと四方山話をしていた。 しばらくするとこの人が、茶を飲む手を下に置き、つぶやくように言ったそうです。 「あれから一年、もう一年になるなぁ」 表情にはなんともいいようのない苦渋が刻まれています。 あまりにこの男性が黙ったままなので、そばにいたお爺さんが「どうなさったんかね?」と尋ねたのだそうです。 するとこの男性がお茶碗をにぎりつぶすようにして、 「あれから一年ですよ。当は私は生きていられなかったのです。それが不思議に命を拾わせてもらって、こうして願寺様までお参りに来ることができる

  • 関東大震災と不逞朝鮮人の暴虐

    早いもので、もう9月です。 9月といえば、旧暦では「長月(ながつき)」です。 別名は「夜長月(よながつき)」といいますから、まさに秋の夜長を指しています。 他に9月といえば、「稲刈月(いねかりづき)」、「寝覚月(ねざめつき)」なんていう呼び方もあります。 猛暑だった夏の疲れが一気に出るのもこの季節です。 どうかみなさまには、ご健康第一にとお祈り申し上げます。 さて、9月1日というと、どうしても忘れてならないのが、関東大震災です。 関東大震災は、大正12(1923)年9月1日、午前11時58分に関東地方で起こりました。 マグニチュードは7.9、まさに巨大地震です。 東京だけでなく、千葉、茨城から静岡県東部までの広い範囲に甚大な被害をもたらしました。 この被害規模は、日災害史上最大ものです。 公式に記録されている被害の概況は次の通りです。 死者・行方不明者 14万2800人 負傷者   10

  • 通化事件ー国を失うことの悲劇

    昨日の記事で、満州北部に駐屯していた石頭予備士官候補生たちが、老人や女子供を避難させるため、ソ連の侵攻に対して、ランドセルにダイナマイトを詰めて肉弾特攻をしながら、死んで行ったという過酷のお話しを書かせていただきました。 終戦も押し迫った昭和20年8月、ソ連の150万の大軍団が、満州国国境を越えて攻め込んできたのです。 石頭予備士官学校があった東京(とんきん)方面に向けられたソ連軍は、航空部隊や戦車部隊を含めて約50万。 メレンコフ元帥が直接率いたこのソ連部隊は、歩兵4師団、十二個狙撃師団、戦車二個師団、十五個国境守備隊、大隊砲3500門、ロケット砲430門、戦車約1000両、他に空挺部隊を保有する、ソ連の最強軍団だった。 これを迎え撃った石頭予備士官候補生たちは、わずか3600名です。 歩兵銃も乏しい、火力としては数少ない重機関銃があるくらい。しかも弾は乏しい。 そんな状態で、彼らは圧倒

  • 昭和20年8月、ソ連侵攻

    昔、Chinaや満州に駐屯していた関東軍というのは、東京や埼玉、千葉の関東地方とはなんの関係もない名称です。 日がChinaから租借した遼東半島のあたりが、その昔、Chinaで関東州と呼ばれていたことから、この地方の守備隊として関東軍の名前がついた。 その関東軍の指揮下で、満州の北端、牡丹江省に、「石頭予備士官学校」という士官学校がありました。 生徒数3600名、教官は半数が尉官か見習い士官という陸軍の学校です。 昭和20(1945)年8月9日未明のことです。 突然、一方的に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、満洲地方になだれ込んだ。 その日、石頭予備士官学校では、早朝からけたたましく非常呼集のラッパが鳴り響きました。 校庭に全員整列します。 そしてその場で、3600名の生徒は2組に分けられ、歩兵砲、機関銃隊1600名は、荒木連隊長の指揮下に、残り1600名は学校長小松大佐のもとに、東京(と

  • 8月20日をすぎたら思い出していただきたいこと

    8月20日をすぎたら、是非、みなさんに思い出していただきたいことがあるのです。 それは、終戦直後に起こった「小町園」という料亭の悲劇です。 この事件は、日国内、それも東京のいまの東京・品川の大森海岸駅前で実際に起こった出来事です。 文章は、昭和20年代に、ある女性が書いた手記です。 原文には、書いた人の記名がありますが、ここでは割愛します。 あまりにかわいそうで悲惨だからです。 原文は、文語体でしたが、読みやすくなるように、現代文に編集しました。 以下に引用します。 ~~~~~~~~~~~ 大森海岸の「小町園」といえば、いまの中年の御紳士方で、ずいぶんなつかしがる方がいらっしゃるのではないでしょうか。 戦前は、今のように、温泉マーク(注:ラブホテルのこと)が都内のあちこちにありませんでしたので、そういう場合にたちいたりますと、京浜国道をひと走り、大森の砂風呂へ行こうなんて、みなさん、よく

    8月20日をすぎたら思い出していただきたいこと
  • 帝都不祥事件に関する訓話

    昨日、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大将を記事でご紹介しましたが、その阿南大将は226事件のとき、陸軍幼年学校校長として、「帝都不祥事件に関する訓話」を遺されています。 帝都不祥事件とは、226事件のことです。 ちなみに阿南大将は、終戦時は陸軍大臣でした。 彼は、昭和20年8月15日に自決されています。 一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 神州不滅ヲ確信シツヽ は、そのときの遺書の言葉です。 冒頭の写真がその遺書ですが、諸処に血の飛沫の痕が見られます。 阿南惟幾は、まさに以下の訓話の通りに、自身の最後を遂げられました。 日心会でこの一文を紹介してくださったKさんは、次のように述べられています。 「わたしは、阿南惟幾は言行一致の大変に優れた武人であったと知りました。皆様に是非この訓話を読んでいただきたく思い、アップさせていただいた次第です。」 この一文は、単に226事件に関する説諭というだけでなく、日

  • 阿南惟幾~軍を失うも国を失わず

    これからご紹介するのは、平成12年8月13日に、国際派日人養成講座で伊勢雅臣さんが書かれた文章です。 昭和20年8月11日のChina派遣軍総司令官岡村寧次大将の電文から始まるこの一文は、阿南惟幾陸軍大将のことを書いた文章です。 ぜひご一読いただき、日人であるということを再考していただければと思います。 ~~~~~~~~~~~~ 平成12年8月13日 題名:「阿南惟幾~軍を失うも国を失わず」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html土決戦を避け、全陸軍550万を終戦に導く責務は、一人の陸軍大臣の双肩にかかっていた。 ──────────── 1.もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら ──────────── 昭和20年8月11日、外電が日の降伏受入れ予想を報道し始めると、China派遣軍総司令官岡村

  • 終戦の詔勅を読む

    今日は、8月15日です。 終戦記念日にあたり、あらためて陛下の終戦の詔勅を読み返してみたいと思います。 陛下の終戦の詔勅といえば「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」ばかりが強調されますが、大切なことはその前後に書かれています。 まず全文の口語訳を掲載します。 とても大切なことが述べられていることがわかります。 ~~~~~~~~~~~ 【口語訳】 朕は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。 朕は、帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。 そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、朕はそれをつねづね心がけてきた。 先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジ

  • 人権救済法案は人権に名を借りた日本人差別の法案

    人権救済法案について、事実に反した誇張と煽る目的ではないかと疑われる反対動画などがネット上で話題になっているのを拝見しました。 彼らは、現在の人権擁護制度の仕組み・現場における救済措置の現状などは一切無視して、 「在日外国人」「令状なしの家宅捜索」「言論弾圧」などのキーワードを繰り返し主張しています(どれも根拠はありません)。 どんな意図で安易な反対動画等を作成して世に問いたいのかは不明ですが、ネットでの伝播が勢い激しく、新聞・テレビなどでの情報がほとんどないために詳細が見えにくいことから、流言飛語ばかりが先行し、不確かなまま、受けての皆様が誤った認識をする可能性も高く、返って国民の『真実を知る権利』を侵害している事になりかねません。悲しい事です。 以前、爆笑問題さんが自身のNHKの番組の中でうわさやデマの論理を取り上げていました。 まずは、番組に出演された松田美佐さん(中央大学文学部教授

  • 【拡散希望】「無条件降伏」という国際的な詐欺とそれに騙され続ける日本

    史実を世界に発信する会の事務局長茂木さんから、素晴らしい一文をいただきましたのでご紹介します。 日を見直すよい機会になればと思います。 ~~~~~~~~~~~~ 史実を世界に発信する会 茂木弘道 1945年7月26日に米英支が発したポツダム宣言を受諾して日は降伏した。 宣言は、13項目からなるが、第5項で、 「われらの条件は以下の如し。われらは右条件より離脱すること無かるべし」とあり、以下8項目の条件が掲げられている。 明らかに「有条件降伏」であり、その第13項に「全日国軍隊の無条件降伏」がある。 「軍隊の無条件降伏」と「国家の無条件降伏」が全く異なることは言うまでもない。 国際法の常識である。 従って、7月30日に開催されたアメリカ国務省の国務長官スタッフ会議では、それ以前にアメリカが考えていた「国家の無条件降伏」と7月26日の宣言とはどのように違うか、検討された覚書でこの違いにつ

  • 【保守系ブロガー、サイト運営者必見】ブログや掲示板、メーリングリストでの破壊工作者への対応

    保守系の掲示板やメーリングリストには、ときおり工作員と呼ばれるちょっと変な人が入り込みます。 そしてそうした人達が入り込むと場が荒れ、気がつくと掲示板そのものが当初の目的(たとえば日を守りたいなど)がどこかに行ってしまい、まともな人達がいることができないおかしな空気が支配するものになってしまいます。 ちなみにメーリングリストというのは、たとえばAさんがメールを打つと、そのメールがメーリングリスト(略称ML)に参加している全員にほぼリアルタイムに配信され、その配信されたメールにBさんが返信を書くと、その返信も、同時に参加者全員にリアルタイムに配信される、というものです。 リアルタイムのメールのやり取りが、常時できるものであることから、最近では学校のPTAや、お料理研究会、あるいは学会の研究者の集いなど様々なコミュニティに広く利用されているものです。 日心会も、これまでまさにその口で、さんざ

  • 広島と長崎に落ちた原爆は種類が異なる

    今日は、8月6日、広島に原爆が投下された日です。 以下は、昨年の今日、アップした記事ですが再掲します。 わりと知らない方が多いのですが、広島と長崎に落ちた原爆は、種類が違います。 長崎で投下されたのは、プルトニウム型の原爆(Fat Man)です。 ウラン235型爆弾と、プルトニウム爆弾では、まったく種類が異なります。 なぜ、わざわざ違う種類の原爆が投下されたのでしょうか。 「戦争を終わらせる」という目的のためなら、同じ種類の原爆でもいいはずです。 なぜわざわざ、あえて種類を変えて原爆を投下したのか。 ここに重要な問題があります。 二度にわたる原爆は、アメリカで原爆開発のためのマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所で開発されました。 そのロスアラモス研究所の公式記録には、「 史上二度の原爆実験に成功した」と書かれています。 二度の投下は「実験」だというのです。 広島と長崎に投下され

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