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なるほどに関するmotowakaのブックマーク (26)

  • 井荻麟作詞論 第54回 「キングゲイナー・オーバー!」

    井荻麟作詞論は、富野由悠季監督が書いた作詞を語る記事シリーズなのです。全部は110回以上の予定です。今日の第54回では、テレビアニメ『OVERMANキングゲイナー』のオープニングである「キングゲイナー・オーバー!」を語りたいと思います。 キングゲイナー・オーバー! 作詞:井荻麟/作曲:田中公平/編曲:田中公平/歌:福山芳樹 キング キング キングゲイナー メタル・オーバーマン キングゲイナー 真白い地平の向こうから あいつの影が 俺を呼ぶんだ WOWOWスクランブルアニメの第2弾富野作品のOPとして作られたものであり、アニメ・ゲーム音楽の大御所である田中公平をして完敗と言わせしめたこの曲は映像に相まって、確かに非凡な熱量と出来を備えている。タイトルの主役ロボットの名前を連呼する形は富野以前からのスタイルなのだが、あえて2002年で昔からのスタイルに則る自体に意味があると言える。 曲自体には

    井荻麟作詞論 第54回 「キングゲイナー・オーバー!」
    motowaka
    motowaka 2016/01/16
    “「キングゲイナー・オーバー」という曲自体は、還暦過ぎた富野由悠季がそんなアホかわいい青少年へ送るエールなのだろう。”
  • THE PAGE(ザ・ページ) | 気になるニュースをわかりやすく

    いつも「THE PAGE」をご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたウェブサイト(https://thepage.jp)は2018年10月1日をもってサービス終了しました。 THE PAGEの最新の記事は、Yahoo!ニュースの「THE PAGE」掲載ページでご覧いただけます。 ・Yahoo!ニュースの「THE PAGE」掲載ページ(https://headlines.yahoo.co.jp/list/?m=wordleaf) 今後も「THE PAGE」の記事をご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    THE PAGE(ザ・ページ) | 気になるニュースをわかりやすく
    motowaka
    motowaka 2015/06/17
    わかりやすい解説。まあ今の首相の思考回路は、「俺がルールブックだ!」レベルなんだとしか思えない。
  • カプローニ先生と二郎先生の激熱師弟関係/風立ちぬ - 指輪世界の第五日記

    「このイタリア人のおじさんと、主人公の二郎先生との師弟関係が熱いんですよ」 「カプローニさんね」 「そうそう。あれはどういう関係かというと、あのさ、最後の最後、あの丘でさ、カプローニ先生が、十年どうだった、って聞いて、二郎先生は、最後の方はぼろぼろでした、って答える。それにカプローニ先生が、『そりゃそうさ、国を滅ぼしたんだからな』と言う。この台詞がひとつのポイントになります」 「ほう」 「国を滅ぼしたんだからな、これはどういう方向性で言っているか。これは、カプローニ先生が二郎先生を褒めている。二郎先生を弟子として賞賛している台詞なわけです」 「それはどういう話」 「どういう話かというと、二郎先生もカプローニ先生も、ある巨大な集団の中でこそ活躍できる、集団戦の人なわけです。巨大な予算が、企業なり国家なりから投入されて、それによって作られた製品に、数百人数千人の若者が乗ってくれる。死亡率のがっ

    カプローニ先生と二郎先生の激熱師弟関係/風立ちぬ - 指輪世界の第五日記
  • 「鳥獣戯画」を使用した商品は不正利用になるのか?

    リンク Wikipedia 鳥獣人物戯画 鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は京都市右京区の高山寺に伝わる紙墨画の絵巻物。国宝。鳥獣戯画とも呼ばれる。現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻からなる。内容は当時の世相を反映して動物や人物を戯画的に描いたもので、嗚呼絵(おこえ)に始まる戯画の集大成といえる。特にウサギ・カエル・サルなどが擬人化されて描かれた甲巻が非常に有名である。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日最古の漫画」とも称される。 成立については、各巻の間に明確なつながりがな

    「鳥獣戯画」を使用した商品は不正利用になるのか?
    motowaka
    motowaka 2015/05/05
    “著作権が消滅しても、所有者が排他的支配権までも手に入れ、所有権のひとつとして著作権と同様に保護されると解することはできない。”
  • 突然始まる男比べ――『Gのレコンギスタ』感想・第18話 - ものかきの倉庫

    ◆第18話「三日月へ乗れ」◆ (脚:富野由悠季 絵コンテ:吉沢俊一/斧谷稔 演出:吉沢俊一) ここ数話、何度か台詞では触れられていたクレッセントシップが初登場するのですが、これが、超格好いい! 三日月を縦と横に組み合わせたようなデザインで、「SFは絵だねぇ」というかの名言を思い起こさずにはいられない、未来のスターシップとして非常に魅力的なデザインで、素晴らしい! 正直、カシーバ・ミコシのデザインに今ひとつ面白みを感じていなかったのですが、その不満が一発で吹き飛びました。クレッセント・シップ、いい。 そのクレッセント・シップは、ビーナス・グロゥブからカシーバ・ミコシへのフォトン・バッテリーの搬送を終え、再びビーナス・グロゥブへ帰還する準備を進めていた。ビーナス・グロゥブへの長距離航行の為にはアイドリングだけで3日を要し、アイーダの発案でビーナス・グロゥブを目指すメガファウナは、クレッセント

    突然始まる男比べ――『Gのレコンギスタ』感想・第18話 - ものかきの倉庫
    motowaka
    motowaka 2015/02/08
    “理不尽な事があっても生きているなら笑顔で前を向こう、というのは改めて今作の根っこのメッセージであるのかな”
  • 日本は謝り続けないといけないのでしょうか? | GQ JAPAN

    「嫌韓」なんて言葉が生まれる今日この頃、日はいつまで韓国に謝罪し続ければよいのか?素朴な疑問に、思想家にして武道家、相談の達人、ウチダ先生が率直に答えます。読者諸兄のご相談をお待ちしております。文:内田 樹 イラスト:須山奈津希 日韓関係がこじれる中、韓国が日に対して謝罪を要求している、と報道されています。テレビで昔、高市早苗が、「第二次大戦のとき、私は生まれていないので、私には戦争責任はまったくない」という趣旨の発言をしていました。そう言い切るのはどうかとも思いますが、永遠に謝罪し続けなければいけない、と考えるのもつらいです。 歴史的な事情はいろいろあるんですが、一言で言うと、日は「負けすぎた」ということです。ただの敗戦国じゃない。こんなに負けた国はないぐらい負けた。負けた場合の備えをまったくしていないで負けた。底抜けの敗戦国なんです。戦争なんて、勝ったり負けたりするものです。負け

    日本は謝り続けないといけないのでしょうか? | GQ JAPAN
  • Yahoo!知恵袋で「弱者を抹殺する。」という強烈な質問に対しての回答が秀逸だと話題に

    参加者同士で質問、回答するサービス“Yahoo!知恵袋”で、質問者からの「弱者が生き残れない自然界に対して、弱者を税金などで保護する人間社会は理にかなっていないのでは?」というインパクトのある質問に対して、ある回答者の回答がとても興味深いとネットで話題になっていまいしたので紹介します。 ※原文そのままを引用 質問 弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い... 弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。 自然界では弱肉強という単語通り、弱い者が強い者に捕される。 でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか? 文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。 ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。 優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。 今の人間

    Yahoo!知恵袋で「弱者を抹殺する。」という強烈な質問に対しての回答が秀逸だと話題に
  • http://twitter.com/ka2saiki/status/461660010616205312

  • 神奈川県が猫に似ている説 | Kousyoublog

    都道府県コード14,関東地方神奈川県,市町村白地図イラスト,無料白地図 最近、神奈川県がに似ているという話を何かので見かけて、ああいわれてみれば確かにと思ったという軽いネタです。横浜あたりが口で川崎が鼻先、川崎市麻生区(百合丘からよみうりランドあたり)が耳、三浦半島が前足、相模湾がお腹、小田原市から伊豆半島の付け根にかけてが後ろ足、丹沢湖から三国峠にかけてが尻尾という感じ。 たぶん喉仏にあたる根岸あたりから下の根岸線沿線をくすぐってやればゴロゴロ喉をならし、茅ヶ崎から大磯あたりを見せてくれたら服従の証、背中にあたる横浜市中央区から相模原市あたりは触られるとくすぐったがる子もいますね。んで浦賀~観音崎が前足の関節、三浦半島先端の城ケ島公園が肉球だ。んで神奈川県がオスかメスかは熱海にいけばわかる?はず。あ、そうなると千葉県って鰹節っぽくみえてくるな・・・東京湾を挟んで鰹節にシャーって

    神奈川県が猫に似ている説 | Kousyoublog
  • 通過儀礼を終えたあとの一刻館で、2人は生きていく<『めぞん一刻』感想戦>

    今回は、いつもの富野アニメではなく、久しぶりにマンガを題材にしたおはなし。 といっても、単に考える題材がマンガだというだけなので、「物語」というものに興味があれば楽しんで頂けるかも知れません。いつものように、めんどくさい長文だけども。 題材の連載時期などを考えると、結局いつもどおり、昭和の紳士淑女諸君にだけアプローチしている気もしますが、それがどうしたアッテンボローの精神で進めていきたいと思います。(結局、全ての表現が昭和) マンガ原作者として『魍魎戦記MADARA』シリーズや『多重人格探偵サイコ』などを手がけた大塚英志。 私は彼の作ったフィクションにはあまり興味が無いのだけれど、批評家・評論家としての物語論は好きで、昔からあれこれ読んで、大きな影響を受けたりもしました。 その大塚英志がマンガ『めぞん一刻』について昔から何度もくり返し書いていることがあり、そのテキストに出会う度に私は、ペー

    motowaka
    motowaka 2014/03/24
    「物語としてはこうあるべきなのに、こうなってない(=だからダメ)」で止めると、構造のチェックだけで終わってしまうので大変もったいないと思います。
  • つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん:朝日新聞デジタル

    【構成・高久潤】電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。 【接続過剰とは?】 ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。 千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とはそういう意味です。 接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。 SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、

    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん:朝日新聞デジタル
    motowaka
    motowaka 2014/02/17
    “「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう”
  • 「逆襲のシャア」とヘルメット - subculic

    今更と思われるかもしれないが、『逆襲のシャア』で気になる描写がある。それは「ヘルメット」に関してのもの。富野由悠季監督によって細かく指定されているのだと思うが、ヘルメットを脱いだり被ったりといった芝居が妙に多い。まず序盤にあたる小惑星5thルナの戦闘中、アムロはヘルメットを被っているが、シャアは被っていない。サザビーの頭部はシャアはヘルメットをイメージしたものだというのに、当のシャアは仮面を外した素顔を堂々と曝け出す。ヘルメットを被らなかったのはギュネイの援護が命であり、そもそも今のアムロに落とされるはずがないと考えていたからだろう。ファンネルを温存するなど、余裕が垣間見える。続くラー・カイラムに帰投したアムロと待っていたブライト。戦闘空域から帰ってきたばかりで、まだ張り詰めているアムロの厳しい心理をヘルメットを脱がないことで伝えている。月に向かうアムロが仮眠を取るシーンでは、わざわざヘ

    「逆襲のシャア」とヘルメット - subculic
    motowaka
    motowaka 2014/02/15
    “それにしても、こんなにヘルメットが画面に出ていたのかというくらい、注目すると面白いアイテムだ”
  • 結果不振選手批判はブラック企業の論理 - ソチ五輪2014

    為末大学 オリンピックを考える◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭和53年)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高-法大。400m障害で世界選手権で2度(01年、05 年)銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。自己ベストの47秒89は、現在も日最高記録。12年6月の日選手権 で現役引退。現在は社会イベントを主宰する傍ら、講演活動、執筆業、テレビのコメンテーターなどマルチな才能を発揮。爲末大学の公式サイトは、http://tamesue.jp/ 毎回起こることだけれど、選手が結果を出せなかったとき、批判が出る。その批判の中には「選手の強化費は国費から出ているものだから、当然選手は結果を出すべきだ」というものがあるが、いったい、どの程度選手には強化費が使われているのだろうか。 強化費に関して計算の仕方にさまざまな考え方があるので、どの程度、正確なのか分か

    結果不振選手批判はブラック企業の論理 - ソチ五輪2014
    motowaka
    motowaka 2014/02/14
    “私は日本的精神論とは、(1)足りないリソース(資源)を気持ちで補わせる(2)全体的問題を個人の努力に押し付ける、だと考えている。”
  • アニメーションにおける「文化性」の話――ある富野作品のシーンを例として説明

    富野由悠季監督が『映像の原則 改訂版』において一つ面白い例を取り上げましたので、ここで紹介します。 つぎに、作為的につくらなければいけない雰囲気の音、というものがあります。雑踏のなかでも市電が通っているらしいのなら、それを作る、です。これはシーンによって作意をはたらかせる必要があります。 さらに、意識的に入れる音があります。が、ここで問題になることが出てきます。画面にまったくその要素がないのに入れるのは良くない、と判断されるケースです。 今思い出せるひとつのケースは、積雪のあった背景で晴れた朝、木に積もった雪が落ちる音を入れなければならない、と思いついたときです。雪が落ちる画像はいっさいなく、そんな音を入れても、想像できる観客と想像できない観客がいるのだから、どうするか? そういったケースです。 これは強権発動で入れさせてしまったのですが、十年経って見直しても、いいものか悪いものかの判定に

    アニメーションにおける「文化性」の話――ある富野作品のシーンを例として説明
    motowaka
    motowaka 2014/02/01
    “クリエイティブな仕事に多数決的な判断はいりませんけど、こういう多方面の文化性をうまく溶け込む感性が必要だと感じます。”
  • ポジティブ・フィードバックの誘惑 - 擬似環境の向こう側

    「表現の自由」はなぜ必要か 昔、ぼくがまだ大学院生だったころ。大学のゼミで「表現の自由」はなぜ必要なのかを議論したことがあった。 ぼくは「表現の自由」や「言論の自由」は基的人権の一部であり、それは不可侵だと主張した。しかし、たとえば戦争などの緊急事態にあるとき、国家はどこまで人権を保証することができるだろうか?戦争が始まってしまえば勝利こそが最優先課題であり、とにかく国民の一致団結が不可欠である。そうした状況下では国民の士気を損なうような言論は制限されてしかるべきではないか?そのような主張にぼくはうまく応えることができなかったように思う。 情報システムとしての国家 この問題について、ぼくがこれまでで最も強い説得力を感じたのが、カール・ドイッチュが『ナショナリズムと社会的コミュニケーション』で展開している議論だ。ちょっと堅苦しい言葉が並ぶけれども、ここで言っていることは難しくはないと思う。

    ポジティブ・フィードバックの誘惑 - 擬似環境の向こう側
    motowaka
    motowaka 2013/12/09
    “表現の自由や言論の自由は、それが基本的人権だからという理由のみならず、国家が健全に機能するために不可欠であるがゆえに尊重されねばならない”
  • http://archive.gohoo.org/alerts/131011/

  • 千葉雅也さん@masayachibaの「なぜ『ギャル男』や『ラッセン』などを批評の対象にしてきたのか?」

    千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba さて、僕がどうして「ギャル男」や「ラッセン」などを批評の対象にしてきたのか、という点について、誤解する人もいるようなので、これについてコメントしよう。 2013-10-03 22:57:21 千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba 現代の批評をよく知らない人にも聞いてもらいたいのですが、現代の批評とは、少数の「当に美しいもの、かっこいいもの、おしゃれなもの」を見抜くことではありません。現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです。 2013-10-03 23:02:45 千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba 現代の批評では、「当にかっこいい、美しい、おしゃれなもの」を「真に」選択可能であるとは考えません。対象にプラスの

    千葉雅也さん@masayachibaの「なぜ『ギャル男』や『ラッセン』などを批評の対象にしてきたのか?」
    motowaka
    motowaka 2013/10/07
    私たちは(a)特定のイデオロギーによる表現活動=政治をしながら、同時に、(b)イデオロギーを比較検討する活動としての批評をするわけです。
  • 美術史は歴史修正主義のカタマリ - ohnosakiko’s blog

    ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) だんだん記憶が蘇ってきたので、トークイベント実況Togetterに拾われてない自分発言を、若干言葉を補いながらメモしておきます。 「歴史修正主義*1と言うと政治の論争になるのだけど、アートはむしろ歴史修正主義のカタマリ。というか、それまでの歴史を誰がどう書き換えそれを「正史」とするかの、闘争の歴史だった。たとえば椹木野衣企画の『日ゼロ年』展(1999〜2000、水戸芸術館)は「リセット」を謳って、現代アートの村上隆、会田誠など(奈良美智の名を出したけど入ってなかったですね、すみません)から岡太郎や横尾忠則、そして成田亨でしたっけ‥‥(すかさず速水・斎藤両氏から「特撮の怪獣の‥‥」とフォローあり)まで入れていた。アートからサブカルまで横断的に。でもラッセンはそこから漏れていた」*2 ここから補足。 『日ゼロ年』展にラッセン(やヒロ・

    美術史は歴史修正主義のカタマリ - ohnosakiko’s blog
    motowaka
    motowaka 2013/09/03
    「歴史修正主義」は美術においては批判されるべきことではなく、「新たな視点の導入」「新しいアートの見方」として歓迎されることが多い。
  • 作品から自分にとっての真実を盗むこと-アニメ鑑賞怪盗紳士論

    「押井守全仕事-増補改訂版」という うる星やつらからアヴァロンまでの押井守監督についての仕事を総括したがある。 このの中にはアニメ評論家の藤津亮太さんの記事があり、 読み返したらアニメの見方に対する面白い考えが書かれていた。 ただし一つ断っておかなくてはならない。僕は、押井守が自動車に込めたものは何か、といった推理をここで展開したいわけではない。監督やスタッフの隠れた意図や動機を解き明かそうなんていう探偵じみた追求はどうでもいい。僕は探偵ではなく、できれば怪盗でありたい。映画の正義や真実というものには敬意を払いつつも、自分にとってその作品中一番重要だと思えるアイテムを必ず手に入れる映画の怪盗紳士。それが僕の憧れる映画との関係だ。 出典「押井守全仕事 増補改訂版-実写監督・押井守論 スクリーンプロセスの彼方へ」(キネマ旬報社・2001年) 自分にとってその作品中一番重要だと思えるアイテム

    作品から自分にとっての真実を盗むこと-アニメ鑑賞怪盗紳士論
    motowaka
    motowaka 2013/07/29
    作り手と受け手の想いのぶつかり合いによって作品は鑑賞され、作品が作品が語られていくわけだが一視聴者として、アニメを含めて作品に対しぶつかりながらも、自分にとっての真実を作品から盗める怪盗でありたい
  • http://book.asahi.com/ebook/master/2013072500005.html?ref=rss2

    motowaka
    motowaka 2013/07/27
    民主主義にいいところがあるとしたら、それはこの制度が『われわれが生きている世の中は理想的ではない』ことがわかりやすいところだ