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  • Gのレコンギスタ劇場版の見どころ-富野流編集術と元気な作劇について

    Gのレコンギスタ 劇場版 行け!コア・ファイターを視聴。 令和になっても富野監督作品が見られてただただ嬉しい。 はじめに 私のとってTV版のGレコは 富野由悠季の「科学技術と社会経済の視点から見た世界に対する研究論文」という位置づけだ。 劇場版は主にアイーダ・ベルリの独白や(心情)描写のシーン、 互いが互いに触れてどう感じどう思っているのかを盛り込んだ。 結果、ベルリとアイーダの二人を中心に少年少女と大人が 文明崩壊後の世界を生き抜いていく物語としての色を強めた印象。 富野監督は講演会などでGレコの欠点はドラマ(キャラ)を無視したことと自戒していて、 実際に劇場版ではどう修正してくるのか期待していた。 ドラマを無視した弱点を補強するように、アイーダはTV版以上に 気丈で主張が強く、でもカーヒルを失った悲しみで一人の時は涙を流す、 それでも姫であろうと振舞う描写を挿入することで、 Gレコの物

    Gのレコンギスタ劇場版の見どころ-富野流編集術と元気な作劇について
    motowaka
    motowaka 2019/12/01
    富野監督はやっぱり映画の人なんだなと私は思いました。いや、テレビ版もおもしろかったんですけどもね。
  • Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け

    昨年「機動戦士Vガンダム」を見返していた。 一番気になったのが、ファラ・グリフォンの存在の重さ。 理由は、まず後半での劇中の強さだ。 後半でとても強くなったウッソと互角以上に渡り合う強さ。 特にザンネック(ザンネックキャノン)は凶悪だった。 ファラが戦死するキッカケになった マーベットのお腹の赤ちゃんの存在に気を取られなければ、 逆にウッソはファラにやられていた可能性がある。 ファラとカテジナの強さを比べてみる。 カテジナはシュラク隊の面々は葬っているが、 ウッソとの真正面の対決ではファラより強さを示せていない印象を持つ。 カテジナはネネカ隊やコックピットから降りてウッソを直接刺殺する奇襲で、 ウッソに優位に立とうとするが、MS戦においてはファラの強さに軍配が上がる。 次にこれがより大切だが、ファラはVガンダムを象徴するキャラであること。 特にファラが死ぬ47話「女たちの戦場」のファラとウ

    Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け
    motowaka
    motowaka 2019/02/20
  • 富野由悠季監督と安彦良和さん、湖川友謙さんの関係性について

    はじめに 「機動戦士ガンダム」の中心アニメーターにして、 今は漫画家として活躍されている安彦良和さんの 「機動戦士ガンダム」の原画集が庵野秀明監督編集の元、 5/31に発売されているようだ。 日の代表的なアニメ作品の一つである「機動戦士ガンダム」。 安彦さんが描くキャラクター、メカニックに惹かれて 「機動戦士ガンダム」を支持しているファンも多いと思われるし、 安彦さん抜きに「機動戦士ガンダム」は語れない。 さて今回は安彦さんと「機動戦士ガンダム」の総監督である 富野由悠季監督の関係について私見を述べてみたい。 さらに富野監督と湖川友謙さんの関係を比較することで、 富野監督と安彦さん、富野監督と湖川さんの それぞれの関係性を見ながら考えてみたい。 梶原原作におけるちばてつやさんと川崎のぼるさんの関係と比較して考える 私が富野監督と安彦さん、そして湖川さんの関係を考える時に 梶原一騎原作にお

    富野由悠季監督と安彦良和さん、湖川友謙さんの関係性について
  • 「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】

    劇場版5部作を終えた「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括を述べたい。 「Gレコ」は富野由悠季の研究論文 「Gのレコンギスタ(以下Gレコ)」は、富野由悠季のによる「宇宙エレベーターやフォトンバッテリー等を通して現代の社会経済と科学技術に対して異議申し立てをする研究論文」である。 Gレコの企画が具体化する2000年代後半。富野監督は取材やインタビューを通し、「ハンナ・アーレントの『全体主義』の考えをアニメで表現したい」と語る。この試みに期待を高めていた。 2015年の講演会では参考資料として池内了「科学・技術と現代社会」とE・H.カー「危機の二十年」を紹介。2016年の講演会ではガンダムエースの対談企画「教えてください。富野です。」での対談。特に宇宙エレベーター実験の参加と青木義男教授達との出会いが大きかったと語る。以上の経緯を踏まえると、Gレコは富野監督の出会い・取材・経験を通したインプット

    「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】
  • 富野由悠季とは何者なのか

    はじめに 富野由悠季はアニメ演出家・監督、原作者・作詞家・小説家である。 国産TVアニメの幕開けの「鉄腕アトム」(1963年)からアニメ制作に携わり 「ガンダム Gのレコンギスタ(Gレコ)」(2014年)までに今に至る。 現在はGレコの劇場版を準備中。 老舗虫プロからサンライズに至る、 日テレビアニメの歴史の一つの流れを形成。 作家の福井晴敏は富野を「ガンダムを創った方」と評する。 富野由悠季が何者かと言われれば、 ガンダムの原作者というのが一番通りが良いのではないか。 でもそれだけでまとめるのは、惜しいと思う。 富野演出とは~映像の繋がりを意識した演出 富野由悠季監督作品の演出とは何か。 ベースはエイゼンシュテインのモンタージュ理論。 カットの組み合わせによって最大限の映像効果を求める演出である。 富野の著書「映像の原則」ではこの理論をベースに映像演出法を書いている。 では富野作品か

    富野由悠季とは何者なのか
    motowaka
    motowaka 2017/04/03
  • 『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読んで

    『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読む。 タイトル通り「宇宙戦艦ヤマト」の製作・制作の原動力となった 故西崎義展氏の生涯を振り返っただ。 断片的には西崎さんのヤマトの制作や会社経営のエピソードは語られていたが 一冊のにしてまとめると、物凄い濃い話が満載で、スラスラ読んでしまった。 虫プロ商事に入社1週間で、化粧品会社の広告を取ってきた あっという間に手塚治虫先生のマネージャーになったなど 西崎さんの企画力、実行力、資金集めの力、 作品製作におけるプロデュース力の高さが伺えるも 一方で周りに苦労や経済的損失を被らせることも行い 功罪がくっきり分かれた方だと改めて思った。 才能ある方を重用しつつも利用し尽くし、 金と権力で従わせる冷酷な独裁者としての振る舞いが強いが 「ヤマト」にかける思いだけは、物であり 他の誰にも寄せ付けない愛があったのは当のようだ。 逆にいえばヤ

    『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読んで
    motowaka
    motowaka 2015/09/13
  • 日本のアニメはクラウドファンディングの夢を見るか?

    はじめに 日5/10、PCゲームの「Dies irae」が5月9日にクラウドファンティングを利用した アニメ製作のプロジェクトを立ち上げ、目標金額の3000万円に対して 1日で入金待ちの金額を合わせて実質的に3000万円を突破した事を知り驚いた。 参考:『Dies irae』アニメ化プロジェクト ※ブログ更新中の5/10 19:30の時点で、 76万5千円の入金と3521万円の入金待ちとなっており、 合計で約3597万円の資金提供がされている。 私はこのゲームの事を全く知らなかったが、 たった1日で3000万以上が受け手によって資金提供されたことに、 この作品が強く支持されていると強く感じた。 この事を知って、私は日のアニメにとって クラウドファンディングの存在がより大きくなると感じ、 一方でファンと作品の関係もまた変容する可能性が起こると感じた。 今回はクラウドファンディングについて

    日本のアニメはクラウドファンディングの夢を見るか?
    motowaka
    motowaka 2015/05/11
    “一部の有名ブランドのものを除けばそのいずれもが質の高さとは不釣合いな興業的苦戦”“個々の作品の宣伝の問題というよりも、全体的な状況として、そうした作品ジャンルの存在の一般的な認知が進んでいない”
  • 「Gレコ」最終話は「T(富野)のレコンギスタ」である

    はじめに 「Gのレコンギスタ」最終話を視聴。 ベルり達の冒険がこれから始まるという幕引きだった。 宇宙、月、金星まで行って地球に戻ったベルリが下した結論は、 もう一度世界一周という旅をすることだった。 そして姉のアイーダはクレッセントシップで再び宇宙の旅に出る。 旅する事で得られるサムシングをベルリは、再び手に入れたかったのだろう。 元気いっぱいの未来へ繋がるラストだった。 さて、私が気になったのはベルリの旅の始まりの場所が日のある場所だったこと。 そして旅の道中でベルリが話した老夫婦についてだ。 ピンクの服を着てメガネの老人。どう見ても声を聞いても富野監督自身である。 その傍らにいる女性は、富野監督の奥さんの亜阿子さんであろう。 そしてベルリ達の奥では新幹線のようなものが走り、 さらにその奥には富士山がある。 富野監督、奥には富士山、新幹線のようなものが走っている。 この3つの要素から

    「Gレコ」最終話は「T(富野)のレコンギスタ」である
    motowaka
    motowaka 2015/03/28
    自分の作品が子供に引っかかってほしいと願い、アニメを作る富野監督にとって このシーンは富野監督が若者であるベルリに道を案内するという点において、 富野監督が若者に未来を託した描写という解釈ができるだろう
  • 宮崎駿と富野由悠季の「大量消費」観

    今週、TBSラジオの「荒川強啓 デイ・キャッチ!」で宮崎駿氏のインタビューが放送された。 その中で気になったキーワードは「大量消費」だった。 宮崎駿「何を言っているかっていうと、大量消費という文明そのものに問題があるんですよ。日国に起こっていることだけじゃないんですよ。」 宮崎駿「大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるからあちこちで騒ぎがおきているんだと思う。」 宮崎駿「だからこんな民族にねろくな判断がつくはずないんですよ。大量消費文明そのものが行き詰まりつつあるから、あちこちで騒ぎが起こっているんだと思うんですよ。でも大量消費をしたいんですよみんなね。それが、もうできないんです。」 大量消費文明があと何年続くか、五十年だろうというんですが、僕は三十年くらいだろうと期待しているんです。大混乱が起こって、不幸も病気も戦争も、くだらないことがいっぱい起こるんですよ、人間の歴史ってそういうも

    宮崎駿と富野由悠季の「大量消費」観
    motowaka
    motowaka 2015/02/20
    Gレコが面白くないと言ってる人たちにはなんとなく未来少年コナンを見せてやりたいと思ってたけど、大量消費したがる(=自分の好みに合わせろと言う)ことに疑問を持たない彼らには、それも無駄なことなのかなあ
  • 「Gのレコンギスタ」は違和感で出来ている-富野由悠季のレコンキスタ

    「Gのレコンギスタ」9話を視聴。 今回は「違和感」をキーワードに語ってみたい。 富野作品では、画面もしくは音響面においてあえて違和感を置くことで、 物語を停滞させないような工夫が施されている。 私がこの事を強く感じたのは、8話のマスク大尉ことルインとマニィの会話。 お互いがお互いの事を知りながら、あえて知らないフリをしつつ会話するシーン。 ただ素性を隠しているからこそ、マスク大尉は音も言える。 二人の仲の良さを違う形で表現した格好だ。 こういう「劇」を見せるのが、富野作品の醍醐味の一つだと思う。 今までのGレコの中でも屈指のシーンかもしれない。 しかし逆にいえばこうしたシーンはわざとらしいとも感じられるし そこには「違和感」があるという見方もできると思う。 ただこうした違和感を感じさせるような、 キャラ同士の掛け合い、物語の進行、もしくは画面上・音響上を あえて仕掛けることで作品を停滞さ

    「Gのレコンギスタ」は違和感で出来ている-富野由悠季のレコンキスタ
    motowaka
    motowaka 2014/11/22
    “富野作品には、視聴者にとって違和感を与えるようなキャラクターの物語や絵作りや音の入れ方がなされている。しかしこうした違和感をあえて入れることによって作品を物語を停滞させない力の源になっているのだ。”
  • 「Gのレコンギスタ」4話の繋がらない富野流会話劇の意味

    「Gのレコンギスタ」4話。 アイーダに連れられて、ベルリ・ノレド・ラライアが宇宙海賊の元へ。 一方キャピタル・アーミィはデレンセン大尉のカットシー部隊を使い、 宇宙海賊を叩く魂胆だが、ベルリはカーヒル大尉の件で アイーダに貸しがあると感じ、戦いを止めようとGセルフに乗る展開。 カットシー乱舞というタイトル通り、 カットシーとGセルフの戦いが小気味よく描かれていた。 さて今回はGレコの会話劇について、4話を例に語ってみたい。 まず富野監督の作品は、Gレコもキャラ同士の会話が噛み合わないと指摘されている。 しかし他にも動作にしてもキャラクターがどこかに飛び移ろうとして失敗しそうになる、 もしくはストーリーの進行上を見ても、何かを行おうとしても進まないなど、 富野作品は世界観・キャラの会話や動作も含め「うまくいかない」価値観で通底される。 これが前提としてある。「ディスコミュニケーション」的であ

    「Gのレコンギスタ」4話の繋がらない富野流会話劇の意味
    motowaka
    motowaka 2014/10/19
    Gのレコンギスタは、繋がらない会話の連続のようにも聞こえるかもしれないが繋がらないのが普通であり、会話とはつなげているだけに過ぎないと捉えればまた新しい見え方ができるのかもしれない。
  • 富野由悠季と小田原と東京-富野アニメにおける故郷探しの物語の観点から

    はじめに 富野由悠季監督の「Gのレコンギスタ」が今年度中に発表される。 富野監督は「Gレコ」でどんな物語を描くのか。 そんな富野作品にはある物語作りの傾向がある。 それは、ある場所から故郷・祖先の地へ、元の所へ戻ろうとする物語を描く点だ。 先祖返りの物語 特に近年の作品では故郷、祖先の地へ戻る物語の傾向が強い。 「∀ガンダム」では月から地球へ帰還するディアナ。 「キングゲイナー」ではウルグスクから故郷の地ヤーパンへエクソダスする人々。 「リーンの翼」ではバイストンウェルから日へ戻ろうとするサコミズ王。 一方で「Vガンダム」のように故郷カサレリアを出発し、 最後には再びカサレリアに戻る作品もある。 これらの作品で共通するのは、移動する物語であり、 ある場所からある場所へ向かう物語であるということだ。 富野監督自身も、故郷へ戻りたい物語を描いてしまう事を自覚しているようだ。 それは富野監督が

    富野由悠季と小田原と東京-富野アニメにおける故郷探しの物語の観点から
    motowaka
    motowaka 2014/06/01
  • 逆襲のシャアのアムロの「あんたちょっとセコイ」決定的瞬間。そしてシャア。

    はじめに 逆襲のシャアでアムロがクエスに 「アムロ。あんた、ちょっとセコイよ」と言われるシーンがある。 逆シャアの名シーンであり、名セリフの一つだろう。 セコイと言われる主人公はそうもいない。 これは、クエスがシャアとアムロの二人の因縁を知っていて 二人の対決が不意打ちじみた展開で、かつMS戦ではなく、銃で決着をつけようとし 堂々としていないアムロに対して、セコイと感じたのだろう。 その後、クエスはアムロの銃を奪い、セコイ発言をしてシャアの元に走る。 そして逆襲のシャアにはアムロがセコイシーンが他にもある。 そんなアムロのセコイ決定的瞬間を紹介する。 またそんなアムロに対して、シャアはどうなのかも見てみたい。 アムロがセコイ決定的瞬間 シャアが乗るサザビーとの対決で、ビームライフルを失ったアムロ。 その後アムロは、出くわしたギラドーガをビームサーベルで斬りつけ、 隙を見て、ギラドーガからビ

    逆襲のシャアのアムロの「あんたちょっとセコイ」決定的瞬間。そしてシャア。
    motowaka
    motowaka 2014/01/05
    “大人になったアムロと、大人になりきれなかったシャア/こうした戦い方でキャラクターの性格を説明台詞だけではなく、 行動でサラリと見せてくれるのが、逆襲のシャアという作品の魅力の一つなのである。”
  • 「かぐや姫の物語」は人間の業の肯定の物語である

    高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」を鑑賞。 この作品は、かぐや姫が地球で生まれ、育ち、人と出会い、そして月へ帰る。 かぐや姫が生きる中で起こった出来事の喜怒哀楽を見事に切り取った、 タイトル通り、「かぐや姫の物語」といえる作品だ。 そんな「かぐや姫の物語」は人間の業を描いた作品であるともいえる。 「かぐや姫の物語」におけるかぐや姫の人物像。そして感情。 作を見て一番強く思ったのは、 この作品のかぐや姫はなんてワガママで感情の強い女の子だということだ。 見るまで気づきもしなかったが、私は原作の「竹取物語」という作品の名前は知っていたが かぐや姫という人物が物語で抱く感情を全く知らなかったことに気づかされた。 原作の古典「竹取物語」は教科書の授業で触れた程度でしか知らなかった。 そして授業で教わったことを、今思い返してみても、 かぐや姫がどういう感情を持つ人物なのかわからないことを思い出した。

    「かぐや姫の物語」は人間の業の肯定の物語である
    motowaka
    motowaka 2013/12/01
    “人は、生きることで弱さや脆さなどを見せつつも、 それでもあがき生きているその姿こそに意味がある。生がある。 その生を肯定する物語が「かぐや姫の物語」という作品であると私は思う。”
  • 作品から自分にとっての真実を盗むこと-アニメ鑑賞怪盗紳士論

    「押井守全仕事-増補改訂版」という うる星やつらからアヴァロンまでの押井守監督についての仕事を総括したがある。 このの中にはアニメ評論家の藤津亮太さんの記事があり、 読み返したらアニメの見方に対する面白い考えが書かれていた。 ただし一つ断っておかなくてはならない。僕は、押井守が自動車に込めたものは何か、といった推理をここで展開したいわけではない。監督やスタッフの隠れた意図や動機を解き明かそうなんていう探偵じみた追求はどうでもいい。僕は探偵ではなく、できれば怪盗でありたい。映画の正義や真実というものには敬意を払いつつも、自分にとってその作品中一番重要だと思えるアイテムを必ず手に入れる映画の怪盗紳士。それが僕の憧れる映画との関係だ。 出典「押井守全仕事 増補改訂版-実写監督・押井守論 スクリーンプロセスの彼方へ」(キネマ旬報社・2001年) 自分にとってその作品中一番重要だと思えるアイテム

    作品から自分にとっての真実を盗むこと-アニメ鑑賞怪盗紳士論
    motowaka
    motowaka 2013/07/29
    作り手と受け手の想いのぶつかり合いによって作品は鑑賞され、作品が作品が語られていくわけだが一視聴者として、アニメを含めて作品に対しぶつかりながらも、自分にとっての真実を作品から盗める怪盗でありたい
  • ヤマトの西崎義展氏と手塚治虫氏とガンダムの富野由悠季監督の関係~海のトリトンの頃

    はじめに 「宇宙戦艦ヤマト2199」が好評放送中だ。 個人的には新登場の女性キャラ達が良い味出しているなぁと感じながら 特にメガネっ娘の新見薫さんがお気に入りである。 結城信輝さんのキャラ絵は良い。 そしてヤマトに関連する話題といえば、 西崎義展の手記というサイトに 「宇宙戦艦ヤマト」の企画書が掲載され話題となっている。 http://web.archive.org/web/20070106185820/http://homepage3.nifty.com/newyamato/omoi.html (西崎義展の手記:宇宙戦艦ヤマト企画書) 西崎義展氏はオリジナルの「宇宙戦艦ヤマト」の製作総指揮・プロデューサー。 ヤマトを世に送り出した功績者である。 そして企画書をみると、今我々が目にするヤマトの形とは違うとはいえ 並々ならぬ決意感がこの企画書から感じ取れるだろう。 こうした決意感を含め、

    ヤマトの西崎義展氏と手塚治虫氏とガンダムの富野由悠季監督の関係~海のトリトンの頃
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