「地獄へようこそ!」と書かれたボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの「スナイパー通り」の壁(1993年8月24日撮影)。(c)AFP / Gabriel Bouys 【6月5日 AFP】ロシアによるウクライナ侵攻は、欧州における第2次世界対戦(World War II)後最悪の内戦となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を経験した人々のつらい記憶を呼び覚ました。当時取材に当たったAFP記者、ソーニャ・バカリッチ(Sonia Bakaric)が、生々しくよみがえるトラウマを書き留めた。 ■仏パリ発 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争開始から30年過ぎたが、その残虐性は決して忘れることはできない。ウクライナ侵攻で市民が同じように苦しんでいるのを見て、ユーゴスラビア崩壊後に起こった最も悲惨な紛争の記憶が鮮やかによみがえってきた。 ウクライナの首都キーウと、近代史上最長の包囲を経験したボスニア・ヘルツェゴ
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