ウクライナ東部ハリコフ州のイジューム近くでウクライナ軍に確保されたロシア軍武装車両に放尿する犬=9月30日、ロイター共同 ウクライナ軍は9月30日、東部ドネツク州のリマン周辺でロシア軍の包囲が「ほぼ完了した」と表明した。ウクライナメディアが報じた。親ロシア派も周辺で劣勢だとした。ロシア軍が拠点とするリマンを攻略できれば、隣接するルガンスク州の拠点リシチャンスク奪還の可能性が高まる。 米シンクタンク、戦争研究所は30日、ウクライナ軍が72時間以内にリマンを掌握…
もうこの件について書かないといいましたが、詳細をご存じない方の「もやもや」を解くために、私のライフワークと関わるところでもあるゆえ、最後に記すことにします。 現地では人吉が「かくれキリシタン」の町であり、相良清兵衛はキリシタンであったと信じている人々がいます。史料による証拠は「一切」存在しません。少し変わったマークのある石造物の存在がその根拠となっています。その説を提唱し、著作もある郷土史家がいます。「宮原銀山は銀山ではなかった」説を『日本歴史』にコラム掲載したのと同じ方です。このコラムは一見説得的な内容ですが、重大な史料の読み誤りがあります(と著名な中世史研究者が指摘しております)。その方の著書によると、郷土史研究会の会員の多くは、今回の呼びかけ人はじめ、自説を支持してくれている、とあります。これが今回の混乱の最大の原因です。 最初の朝日新聞やABEMAニュースの報道に使われたように(私
Published 2022/10/01 16:01 (JST) Updated 2022/10/01 16:05 (JST) 自民党が2度にわたり発表した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と所属国会議員との接点調査では、山谷えり子元国家公安委員長の名前は公表されなかった。山谷氏を巡っては専門家から、教団が推し進める政策に欠かせない存在として、安倍晋三元首相と同様に重要視されていたことを相次いで指摘されている。 元参院議員でジャーナリストの有田芳生氏が入手したとする教団内部文書では、2010年参院選で安倍氏と並び立つ存在として山谷氏への支援が呼びかけられていた。 文書では、教団が重視するジェンダーや青少年の問題を巡り、山谷氏の存在が「なくてはならない」と説明していた。
国立国会図書館レファ協公式 @crd_tweet 『レファレンス協同データベース事業』の公式アカウントです。イメージキャラクター「れはっち」が、事業に参加する全国の図書館に寄せられた質問の記録など、調べものに役立つ情報を紹介します。運用方針はこちら→https://t.co/PNIdFcpJL2… https://t.co/DiH0ef6mYK 国立国会図書館レファ協公式 @crd_tweet 親が子どもに、「お前は橋の下で拾った子どもだ」「川で拾ってきた」と言うことがあるが、橋の下や川が民俗学的にどういう意味を持つのか、また、そのような場所から子どもを拾うことの民俗学的な意味を知りたい。(埼玉県立久喜図書館) crd.ndl.go.jp/reference/deta… リンク レファレンス協同データベース 親が子どもに、「お前は橋の下で拾った子どもだ」「川で拾ってきた」と言うことがあるが
ノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏 帝政ロシアをたたえ、ロシア人とウクライナ人の一体性を強調した作家ソルジェニーツィン。その理念はプーチン大統領と重なるが、両者には大きく異なる点がある。 ウクライナ戦争をめぐる報道には、ロシアを絶対的な悪とみなす「悪魔化」が目立つ。あたかも冷戦期の東西対立が繰り返されているかのようだ。だが、社会主義と資本主義の対立、「自由なき社会」と「自由な社会」の対立であった冷戦期と、今の状況はきちんと重なるものではない。 たとえば、ノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918~2008)はソ連政権に迫害され、欧米社会に支持されたわけだが、帝政ロシアを讃えるその思想は、ソ連体制はもちろん欧米の民主主義とも対立するものであり、むしろ、強権的なプーチン体制に重なるのである。ソルジェニーツィンが西側社会と立場を同じくしたのは、反ソという立場だ
細川連立政権樹立の原動力となった新党さきがけの代表や官房長官などを務めた、武村正義氏が先月28日、亡くなりました。88歳でした。 武村氏は滋賀県出身で、旧自治省に入省後、滋賀県八日市市長や滋賀県知事を経て、昭和61年の衆議院選挙に自民党から立候補して初当選し、連続4回当選しました。 この間、武村氏は、リクルート事件をきっかけに党内の若手議員が結成した「ユートピア政治研究会」の代表を務め、政治改革を目指す若手のリーダー格として頭角をあらわしました。 そして、平成5年6月には、政治改革に対する自民党の取り組みを批判して、10人で自民党を離党し、「新党さきがけ」を結成して、みずから代表に就任しました。 直後の衆議院選挙では、日本新党などとともに、いわゆる「新党ブーム」を起こし、自民党政権に代わる、細川連立政権を樹立する原動力となりました。 武村氏は、細川内閣では官房長官を務め、細川総理大臣の女房
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