タグ

めぞん一刻に関するmshkhのブックマーク (4)

  • コミュニケーションは、要らない - 基本読書

    押井守氏の新刊新書。コミュニケーション能力が盛んに叫ばれる現代でなかなか挑戦的なタイトルだ。 しかし別にコミュニケーションが当に要らない、という話ではない。じゃあどういう意味なのか……どういう話なのかいまいちわかりづらいだ。行き当たりばったりに思いついていることを書いているだけにも見える。アニメのことを語ったかと思えば原発を語り、戦争を語ったかと思えば大江健三郎と山田正紀だったら虚構の世界において山田正紀の方がすごい仕事をしたという。 ただ一貫して強い問題意識が伝わってくる。それが震災以降に問題として大噴出した(しかしそれまでもずっと続いていた)コミュニケーション不全の問題だ。押井守氏はコミュニケーションについて論じる前に、コミュニケーションの二つの側面に注目してある程度定義を行なっている。 ひとつは「現状を維持するためのコミュニケーション」で、もうひとつは「異質なものとつきあうための

    コミュニケーションは、要らない - 基本読書
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
    mshkh
    mshkh 2012/10/02
    高橋留美子は天才.私は連載が終わってから読んだけれども,時代背景がこんなに古いとは気づきませんでした.あと,発言の打順が予想外に秀逸で,けっこう泣ける.
  • そういえば二流の文学というか - finalventの日記

    この話の続きだけど。 ⇒それは世間と文学で学ぶんだよ - finalventの日記 ぶくまがなんかついている⇒はてなブックマーク - それは世間と文学で学ぶんだよ - finalventの日記 直レスとかではないけど。 ふと思ったのだけど、文学っていうのは、なんというか、そう立派な文学、である必要はない。マンガでもよいというか、自分の琴線に触れるものなら。 というか、意外と二流の文学というのが、世間に近いものがある。 それが、良い、とかいう意味じゃなくて、世間を見るというか。 たとえば、今の自分が五木寛之とかあまり好きではないけど。 青春の門〈第1部 筑豊篇〉 (講談社文庫): 五木 寛之 とか、高校生のときに、第五部までは読んだよ。 織江とのセックスで、彼女が、「蛙のごたある」だったかな、いいセリフだよ。 ぼっけもんは、まともには読んでないけど。 ぼっけもん(1) (ビッグコミックス):

    mshkh
    mshkh 2008/07/12
    条件反射で申し訳ないですが,めぞん一刻いいですよね.後半の高まりは異常なくらい.何べん読んで泣いたか知れない.高橋留美子の才能は圧倒的すぎる
  • 1