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岡潔に関するmshkhのブックマーク (3)

  • 中谷治宇二郎と,人が生きているということ

    前回のエントリでは,中谷宇吉郎のことについて書いた.宇吉郎には,治宇二郎(じうじろう)という弟がいた.中谷宇吉郎は有名であろうが,その弟の治宇二郎については,ネットではおそらくほとんど触れられていないのではないかと思うので,今回のエントリでは,治宇二郎のことと,それにまつわる思いについて書いてみたい. 中谷治宇二郎とその人となりについては,兄宇吉郎の,「一人の無名作家」という短いエッセーをいつも思い出す. 昭和十年発行の岩波版「芥川竜之介全集」第八巻に「一人の無名作家」という短文がある. 七,八年前,北国の方の同人雑誌を送って来たことがあるが,その中の「平家物語」に主題をとった小説が,印象に残っている.「今はその青年の名も覚えておりませんが,その作品が非常によかったので,今でもそのテーマは覚えているのですが,その青年のことは,折々今でも思い出します.才を抱いて,埋もれてゆく人は,外にも沢山

  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

  • 秀樹のばか-日本初のノーベル賞受賞者の愚問はいかに人々を活気づけたか?

    ソースはあの森毅なので真偽のほどに自信はないが、たとえばラ・フォンテーヌの寓話詩がたとえ事実と一致しなくとも(狂ったデモクリトスを診察したヒポクラテス、二人が親友になったというのは史実だろうか)人を真実に導く何事かを語っているように、この逸話も聞き留むべきものを備えているように思うので、いつのもましてうろ覚えのままに書き出してみる。 森毅は、晩年の湯川秀樹の人柄をしのばせるエピソードをいくつか紹介している。 最初のは森敦が森毅に教えてた話。 おそらく少人数を前にしての講義だったのだろう。 よくできる学生が、湯川が黒板で展開する数式に誤りを見つけた。 それを指摘すると、湯川はうーんとうなり、しばらく考えたが何ともすることができず、立ち往生してしまった。 それから「ちょっと待っとき」と言って、ぷいと教室を出た湯川は、しばらくすると岡潔(数学者)を連れて教室に戻ってきた。 「これなんやけど」 と

    秀樹のばか-日本初のノーベル賞受賞者の愚問はいかに人々を活気づけたか?
    mshkh
    mshkh 2012/08/01
    湯川秀樹と岡潔ってどっちもいろんな意味でレジェンドだよなあ… その二人のこんな場面をリアルタイムで見られるとか夢のような話.
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