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教養と文学に関するmshkhのブックマーク (2)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    橘木俊詔って人は、学者じゃなくて大学ステマ請負人としか思えない。『東京大学 エリート養成機関の盛衰』は結局東大のステマだし、『学歴入門』は国際教養大のステマ。中身のなさには驚かされる。 - 井上靖は美術にも詳しいということで、戦後出た美術全集の監修とか結構やっているのだが、戦後の日の知識人というのは、作家でも美術に詳しいという人が多く、たいていは美術エッセイを書いた。文学者の美術好きというのは『白樺』あたりから、久米正雄とかもそうなのだが、ほかにも芳賀徹先生とか、西洋美術好きが戦後世代には多い。堀田善衛なんか『ゴヤ』四部作を書くし、中野孝次は『ブリューゲルへの旅』だし、大江健三郎はブレイクの絵、川端はもう文学より美術のほうが好きなんじゃないかというくらい。村上龍は美大出身だし、大岡信や橋治は自分で美術評論を書く。 それに対して、戦後の作家で、演劇に関心がない人は多く、特に歌舞伎の場合、

    ■ - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2013/06/17
    私が最近の作家を好きになれないのは,こういった美術とか教養とかの素養がない人がほとんどというところもあるんだよな.まあ,従来の教養というのがそもそも変質してきているというのもあるだろうけど
  • 言うに忍びないが - jun-jun1965の日記

    言わないと私の精神状態が危機に陥るので。 塾に来た男子。某私大を出てかなりいい大学の院に入ったという子で、論文も活字にしている。先日、夏目漱石から話が正岡子規になって、俳句歴史を訊いたら、何も知らなかった。俳諧連歌の発句が独立したということさえ知らず、私が連歌以来の歴史を説明して、菟玖波集は日古典文学大系にも入っている、と言ったら、日古典文学大系を知らなかった。そのくせ、子規の「俳諧大要」なんかは読んでいるらしい。 別に某私大だからというのではない。近代日文学を専攻していて、古典について何も知らないという学生が増えている。それで大学院まで行ったりする。これは教員が悪い。「日文学史」の授業で、自分の専門だけ教えていたりする。これは、教員自身も無能で知らなかったりするからである。 デリダやフーコーは読んでいるが古典文学について何も知らない(レトリックではなくて当に)というのが、

    言うに忍びないが - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2011/05/13
    マスコミに出てくるいわゆる「批評家」がそもそもそんな感じだから,学生もそれを目指してるんじゃないですかね
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