06 TDC展で見ることができた大日本タイポ組合の出品作は深い悪意に満ちている。この作品がいくつか準備されていた賞を逃している(にもかかわらず受賞作品と同じフロアに同等に置かれている)のは、いわば必然と言える。大日本タイポ組合は、この賞が判断する範囲を超えてしまったのだ。どういうことか。 TDC展を主催する東京タイポディレクターズクラブ(Tokyo TDC)は、以下の文言をwebサイトの冒頭に掲げている。 http://www.tdctokyo.org/index_j.html 文字の視覚表現を広く深く追求し、従来の文字の設計にとどまらない「タイポディレクション」の世界を確立していきたい。このビジョンのもと、東京タイポディレクターズクラブ(Tokyo TDC)は1987年12月17日に設立されました。年に一度の国際的なデザイン・コンペティションを行い、年鑑の発刊と展覧会の開催を主な活動とし
第四回 「シナリオライターの眼から見たテレビゲームの特異性」 / 2006年10月11日 ゲームの物語について論じるうえで、もっとも大きな問題となってくるのがゲームシナリオの存在である。 最近、「ゲームシナリオ」に関する本が相次いで出版された。今回は、その中から『ゲームシナリオのドラマ作法』著者の川邊一外氏、『ゲームシナリオライターの仕事 名作RPGに学ぶシナリオ創作術』著者の前田圭士氏、『ゲームシナリオの書き方 基礎から学ぶキャラクター・構成・テキストの秘訣』著者の佐々木智広氏を発表者として迎える。 それぞれゲームシナリオライターでもあるとともに、映画・ドラマの脚本家、ゲームデザイナー、演劇の脚本・演出家でもあり、そうした視点からテレビゲームに特有なシナリオ・演出・ゲームデザインなどについて論じる。 ディスカッションでは、『ドラゴンクエスト』シリーズ、『ファイナルファンタジー』シリーズ、
以下は何の雑誌記事か、みなさまおわかりになりますでしょうか 答えは、e-sportsの専門雑誌の記事です。掲載されている人物はマルチタレントだとかアイドルなのではなく、上に掲載されている人物は全てプロゲーマーたちです e-sportsというのは韓国で2001年〜2002年ごろから急速にもりあがってきたゲームの文化で*1、スタークラフトなどのスタープレイヤーに賞金を出して、彼らを「プロゲーマー」として生活させていく土台を与えている概念であり、分野です。 日本の側の現象として、理解するためには「高橋名人のようなもの」といった理解がよくされるのですが、見てもらえればわかるとおりぜんぜんちがいます。 ノリとしては、ブンブン丸とか新宿ジャッキーとかが、胸をはだけてポーズとってるる…みたいな。しかもネタじゃなくて。 この雑誌の特徴(として僕が見出したもの)を羅列していくと 1.ゲーム画面がない ありま
毎週観ている『仮面ライダーカブト』のオープニング曲に、「選ばれし者ならば」という歌詞が出てくる(本篇にも玩具のCMにも出てくる)。最初に聴いたとき、「ああ、またか……」と思ったね。 いったいいつのころからだろう、やたら“選ばれし者”が幅を利かすようになってきたのは? どうも近年のフィクションにやたら多いのだ、主人公とか重要なキャラクターとかが、本人の意思とはあんまり関係なく、何者かに選ばれてそこにあるという設定が。 まあ、たしかに現実の世の中でも、才能の有無やら生まれた家の貧富やらなにやらかにやらは、本人の責任とは関係なく暴力的に降ってくるものではあるが、むかしのフィクションの主要キャラクターは、どちらかというと、“選ばれていない”ということに立ち向かってゆくケースが多かったように思う。まあ、その結果、なにか特殊な力や立場を手にすることができたのなら(できないと、ドラマにならない)、それは
金曜から日曜まで家に帰らず呑んだり色々してましたが。まぁそれでも最近好調です。特に運気。第六の要素である運さえ十分ならば、どんな事でも上手くいくもんなんですよ。幸せ。 さて、ちょっと前に、ゲーム雑誌「Player1」でインタビューの取材を受けました。 プレイヤー1? 聴いたこと無いなぁと思うかも知れませんが、それはそうです。これはスウェーデンのゲーム雑誌。 頂いた雑誌を見ても、英語ですらないので何がなにやらさっぱり読めません。 でも、HORIの森川さんがペリボーグをフル装備でポーズを取っている写真が一ページ丸々あって、面白い雑誌だと確信した。 他は世界中で有名な某監督とかプロデューサー面々……って、同人味どころかPCゲーの一切無い雑誌ですが、なんで私のインタビュー? まあいいやと思いつつ。手に入れられる方は是非読んでみてください。日本に売ってないと思うし、読むにはかなりの教養(スウェーデン
世の中には「運ゲー」と呼ばれるゲーム群があり、それらがそのように区分けされること自体に問題はないと思うが、しかしそこに貼るラベルとして「運ゲー」というのは、これはあまりいい名前とはいえないなと、改めて考え直してみた。 やはりこの運というのがよくない。いや運なら運のゲームでもいいのだが、この名前だとそこにプレイヤが関与しているかんじがしないのがよくない。世の中には避けゲーや連打ゲーなど「○○ゲー」はいろいろあるが、これが「運ゲー」となると、じゃあそのゲーム中プレイヤはなにをゲームしているわけ?となると…白装束のおっさんが瞑して天命を待っているだけ、みたいなイメージしか浮かばない。これは実態と乖離している。それがゲームであるなら、そこには何らかのゲームプレイが存在するのである。「運次第だからなにをやってても一緒だよ」というニュアンスで、敢えて(投げ遣り気味に)ゲームプレイの部分に「運」を貼り付
kamiproとウラ事件簿のおかげで、当分巻頭ネタにはこまらないのであるが、その前に小ネタを。 さて、あらためて確認しよう。 1/26(木) パンクラス後楽園 2/3(金) GI・スマックガール下北沢 2/4(土) MARS有明コロシアム、k-1MAXたまアリ 2/5(日) DEEP後楽園 2/9(火) シュートボクシング後楽園 2/15(水) スマックガール後楽園 2/17(金) 修斗代々木第二 2/18(土) ZSTディファ有明 2/26(日) PRIDE-31 無理だって。こんなに行けるかって。 金銭的には問題が無いが、時間的な余裕ってもんがないだろ。業務的なしばりがかかる日も、個人的にはあるし。 にしても、平日興行の多いことよ。 PPVや地上波放送がある興行はカットだの。 同種の興行は、多少間があいたほうがいいのか、いっそ続いたほうがいいのかは議論の分かれるところだけれど、地方の未
クオリア降臨! 名著誕生!!(と、表紙に書いてある、帯ではなく表紙に)、読まずに批判するな!!ということで、読みました。この本がタイトルと表紙だけで笑えるのは、おそらく"意味不明なカタカナ語「クオリア」" + "疑似科学っぽい詩的用語「降臨」"の組み合わせがいかにも大袈裟である、装丁も含めて大時代的、文学的に過ぎる(購入してから気付きましたが、この本は脳科学本ではなく"「クオリア」という独自の概念を武器に斬りこむ超斬新な文学論"("斬"の重複)("文藝春秋の新刊"(綴じ込みペーパー)より)なのです)からだと思います。 実は最後まで読めなかったのですがそれはなぜかというと一文一文に一々納得がいかない、とげとげしく鮮明なクオリア(質感)が私の中に現れて苦しくなってしまい読み進められなかったからです。 僕もこのクオリアをどう表現して良いものか分からないので、この本でも推薦されている印象批評で行こ
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 軽々しい発言をご容赦下さい Table Games in the World
いろいろあるが、いはゆる伝統的なビデオゲームにおけるシナリオというのは、手を変え品を変え勿体つけたり冗長になったりとかしながらも、青春文学における「ボクハココニイルヨ」と同様に、基本的にはただひとつのメッセージをプレイヤに伝えるために存在していたと言ってよい。つまり、 きみは人類最後の希望だ! 人類最後の希望を名指しされて立ち上がらないようでは男ではない、という時代(逆にいえば「選ばれたがゆえに選ぶ」というナイーヴさはこの時点でもすでに内包されている)。「戦争だ!」といわれればブツクサ不平言いながらもちゃんと戦ったアムロのように、おれがやらねば誰がやると腕まくりして挑んでいったのが往年ゲーマーだった。じゃあこれがエバンゲリオン以降の現代の場合だと様相は変わってるわけかな。碇シンジは「乗れ!」といわれてもまずそこで逡巡したわけだし。アニメ一本で世界が変わるわけはないのでそれは言葉あそびという
オンラインゲームから生まれたポルノマガジン 2006年1月 5日 コメント: トラックバック (0) Bonnie Ruberg 2006年01月05日 編集部注:この記事にリンクされている画像は成人向けで、職場での閲覧には適しません。 ポルノとオンライン・ビデオゲームが手を組んだ。 ビデオゲームのシーンを利用して制作された映画、『マシニマ』(日本語版記事)については、聞いたことがあるだろう。だが、最近になってゲームの世界から誕生したのはマシニマだけではない。多人数参加型オンラインゲーム『Second Life』のプレイヤーは、本物のモデルのかわりにゲームの世界に登場するセクシーなアバターを使った新しいタイプのポルノ雑誌を始めた。 この「雑誌」は『スラストラー』(Slustler)といい、撮影・配信ともに『Second Life』の世界の中で行なわれている。毎号100ページ以上というボリュ
http://d.hatena.ne.jp/hally/20051213 の記事がマジですばらしかったです。あらためてhallyさんの力量に敬服いたしました。アタリショックの話と同じぐらい、大きなインパクトのある話です。論文なり書籍なり、ぜひ研究者などが引用できるような形で残していただきたいですね。 ということで、なんだかhallyさんの記事へのコメントばっかりしている野郎とかに成り果てている感がありますが、これだけの分量に詰めるにはかなり込み入って話になっていたかと思いますので、論旨を私なりに要約させて確認させていただくとともに、理解のおよばなかった点についてコメントしていきたいと思います。*1 以下、全てわたしのコメントは脚注です。 まず、hallyさんの議論のおおざっぱな図式は以下のように理解しました。 プレモダン:実用主義+Juul的ゲームモデルの時代、シリアスゲームの時代*2 モ
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