唐沢俊一さんのTwitterが3週間ほど止まっているのは、入院しているために電話代を支払えなかったため、なのか。 そしてアニドウでの盟友なみきさんの文章では「コロナで入院」のように読めますが、他の方の報告では「現在コロナ禍で病院の… https://t.co/cNCvUErsNK
今日、「させていただく」という言葉を百回以上聞いた気がする。 いろんな会議に出る必要があって、スピーカーの言葉を聞いていたけど、何しろ「させていただく」祭り。以前から「させていただく」が社会で濫用されていると気が付いていたけど今日は特にそれを痛感した。 そもそも、使っている主体が、単に一般市民だけではなく、かなりのお偉方(大企業で経営会議に出るレベル)の人たちにも、させていただく症候群が広がっている。テレビを見ていても口々にさせていただくの連呼。 させて - いただく、だから主語は自分だ。じぶんがする、を、させていただく、つまり誰かの了承を得て、失礼しながら実行する、という意味を含んでいるらしい。主体的に動く時に誰かの許しがいるのだろうか。 何しろ、どこにいてもさせて頂く祭りだ。 しかも困ったことに、この前私がスピーカーである場面がある会議であったのだが、自分の口から、このさせていただくが
わりと賛否両論というか、村上春樹さんらしい騒ぎになっているな、と思って、興味深く読みました。 ちなみに私は一応研究と論文が本業(の一つ)であり、文章を書くことが仕事となっている人間の一人です(悪文ですが)。そして、村上春樹さんの20年来のファンでもあります。 そして、既に色々まとまられている通り、村上春樹さんはこういった思想信条の方です。ある意味で「下界」との交流を絶つという特殊な形の研鑽を積まれた故に、余人には模倣しえない独創的な文体をつくりあげ、作家としての評価を積み上げられてこられたわけです。 そして、こういった形で色々と批判されることも含め、村上春樹さんご本人は受け入れられていると思います(まさしくそれが、村上春樹さんの作家としての覚悟の一つの現れなのでしょう)。 ですが、一つ気になることがありまして。 どうも議論の中で、村上春樹さん自身も文章が上手いわけではないと批判されている、
今年大学4年で、卒業できたものと思ってたんだけど、実は全然単位とれてなくて、留年した、っていうことをちょっと前に伝えられた。 就職先の具体的な話とか出てこないし、ムムッとは思ってたんだけど、案の定だった。 それはまあいいんだけど、本人が完全にブルー入っちゃってるのが、本当にどうしようという感じだ。 いわく、「そもそもどんな形だろうと働きたいと思えなくて、それくらいなら今持ってる金で細々生き延びたあとに死ぬ方がマシだと思うから、就職活動をやる気が一切出ない」「そうなると大学を出る意味もないから、授業に行く気にもならない」「いまはほとんど何もしないで暮らしているが、それでも全然楽しくないし、苦痛」「ここに労働とかの義務が加わった生活を送ることは考えられない」「そもそも俺は生まれないほうが絶対よかった」 絶対鬱病だからクリニックに行ったほうがいい、と思うし、そう言ったんだけど、クリニックに行く気
今回の俎上に上げるのは、てらさわホークです。 「人間性には問題が有ったかもしれないが、彼ら(町山智浩・柳下毅一郎・高橋ヨシキ・てらさわホーク)の本業である映画について書かれた記事や本をこれまで読んで楽しませてもらった」と言う人も散見されます。そこで今回は「そもそも、彼らの本業の部分である『映画について書く/語る能力』も、本当は怪しいものではないのか?」と云う点について、てらさわホークを事例として書きたいと思います。 雑誌『映画秘宝』では近年、クリストファー・ノーランをディスる傾向が見られました。おそらく、柳下毅一郎がクリストファー・ノーランを嫌うようになった事が原因なのだと思います。雑誌『映画秘宝』のホモソーシャルな環境の下、柳下毅一郎オジキのご機嫌を損ねないように、子分たちは必死でクリストファー・ノーランを腐すことで忠誠心を示していたのです。それも『映画秘宝』内部だけに留めておけば、馬脚
皆さん、『漫画ゴラク』好きですか。好きですよね。筆者は好きです。筆者のこのコラム、初回では『男!日本海』を紹介しましたし、前回は『優駿劇場』を紹介しました。今後紹介しようかなーと何となく思ってる作品の中にもいくつかゴラク作品があります。ゴラク編集部の方には足を向けて寝れる気がしません。 さて、それとは別に、筆者はいま家の片付けに追われています。しばらく前に借りてる家の大家から「老朽化ひどいんでそこ取り壊すから」と通達を受けまして、こっちとしてもそろそろ引っ越そうかと思ってたんでOKはしたんですが、本やら同人誌やらで床が見えないゴミ屋敷のようになってる家をなんとかしないといけない。そうして家を片付けていると、「あーそういや俺こんなの買ってたなー」というものが出てくる出てくる。そうやって出土したものの中に、『漫画ゴラク』の創刊号(1964年1月1日号)というものもありました。 というわけで、今
一言でオタクといっても、いろんなオタクが存在する。アニメオタク。鉄道オタク。プロレスオタク。あらゆる対象に対してオタクといわれるコアなファン層がついているわけだが、ここで筆者が言及していこうと思っているのがアイドルオタクについてである。さらにいうなら、女性アイドルのオタクであり、所いわ謂ゆる「地下アイドル」のオタクについてである。 筆者はミュージシャンとして「ロマンポルシェ。」や「プンクボイ」というユニットで活動する傍かたわら、文筆業者としてコラムなどを書いている人間である。1972年生まれである私が最初に「アイドル歌手」として意識したのは松田聖子や中森明菜だったわけだが、それは子どもがテレビのなかの人気者を好きになっただけのことだ。それが明確にアイドルという存在について執着しだしたのは、おニャン子クラブの登場以降になる。 思春期にパンクロックやニューウェーブ、ノイズのようなマニアックな音
https://togetter.com/li/918117 増田民は長い文章を読むのが苦手なので、どのようにまとめるのかは悩んだ。少々長くなるかもしれない。 今の2020年代の東京にレベッカ・サンダースやマートン・イレシュやカタリーナ・ローゼンベルガーやマーク・アンドレを演奏するオーケストラはない。(追記:2029年くらいにはだれか一人くらいは大丈夫かもというのはあります) かつての東京はなんとかメシアンとストラヴィンスキーとデ・パブロとタバシュニクは1980年代に演奏できたようである。(追記:ミュライユではありませんでした) どうして、こうなってしまったのか。それは東京に文化教養が、もともと何もないからである。 東京に文化教養がないので、地方や田舎は「ない人たちの追っかけ」になる。「知られてしまえば先を越される」ため、田舎にはメシアンの楽譜はなにもない。ストラヴィンスキーすらない。地方
タイトル通り。本当にしょうもないことをずっと引きずってしまう。 例えばよくよく考えたら知ってる建物だったのに道案内できなかったとか、仕事の電話口で言い間違えをしたとか、同じ人に2回もあいさつしちゃったとか。 改めて言うと本当にどうでもいいな。道案内に関しては4、5年前のやつだし。どうでもいいことはわかってるんだけど、どうしても長いこと落ち込んでしまう。 引きずるって言っても常にそのことばっかり考えてる訳じゃなくて、ふとした時に思い出す感じだけど。ただその思い出す出来事が多すぎて、毎日なにかしら思い出しては凹んでしんどくなる。 それに日々人と接したり仕事があったりするからそこでまた何かしら落ち込む。new!しんど〜! 別に特別記憶力がいいわけじゃない。覚えないといけないことは忘れて、些細なことばっかりに記憶のリソースを割いてるだけ。クソじゃん。 引きずるのは長いと何年もやっちゃうけど、短かっ
雑な仕事が嫌い。 「許せない」に近いくらい大嫌い。 っていうと「そりゃ、あなたはできるだろうけど」って言う人がいるけど、 私が「できる」んじゃなくて、ただ「そうしている」だけなんだよね。 雑な仕事が嫌いだから自分ではそうしないようにしているって話。 「気をつけて見ていたけど見落としてしまった」と「最初から見てない」は大違い。 商品Aの写真に商品Bの説明がついているなんて、 内容が分からなくても間違いに気づけることなのに気づかないというのは見ていない証拠。 確認するのがあなたの仕事なのに、つまり仕事をしていない給料泥棒ですね。 周囲が修正しているのに自分は別の仕事してるって、まるっきり他人事か。 落書きみたいな書類を渡されたときはふざけてるのかと思ったし、 受け取れないから差し戻したら「あーやっぱダメでしたか~笑」とか舐めてるのか。 どうしたらいいか困ったら近くの人に相談すればいいのにしない
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