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か姜尚中に関するmujigeのブックマーク (15)

  • 姜尚中の政治家転身宣言? | 私にも話させて

    C・ダグラス・ラミス、姜尚中、萱野稔人『国家とアイデンティティを問う』(岩波ブックレット、2009年12月4日売。なんちゅうメンツだ)を、姜の事実誤認に笑ったり、萱野が日頃のレイシスト的な主張を封印している姿を不快に思ったりしながら読んでいたら、以下の発言にぶつかった。 「姜 (中略)今後、日でさらに高齢化が進み、労働力人口の割合がどんどん減少していってしまう以上、外から労働力を入れざるをいえないというのは、暗黙にはほとんど了解ずみのことなのだと思います。 むしろ問題は、僕のような人間が、あしたから日国籍を取って東京都知事になるというような事態です。僕、みなさんが応援してくれるなら都知事選挙に立候補しますよ。石原さんと一騎討ちしてもいい。そういうふうに僕の名前が東京都知事になるということもありうるわけです。4年後、みなさんさえサポーターになってくれれば、姜尚中という東京都知事が誕生する

    姜尚中の政治家転身宣言? | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/12/18
    これはどうも本気みたいだな。
  • 「闘う反共リベラリスト」姜尚中の不気味な予言 | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    韓国の日刊紙『朝鮮日報』に姜尚中のインタビューが掲載されている。タイトルは「闘うリベラリスト」。これがなかなか凄まじい内容に仕上がっている。 まず、このインタビューにはやたらと「反共」の話が出てくる。以下抜粋。 ―教授の大学時代(1970年代初盤)はまさしく日は混乱の時代でした。 「私は反共から出発しました。左翼全盛期に。(この野暮ったく旧態依然として「反共」という単語を「闘うリベラリスト」から聞くことになるとは想像もしなかった)。大学(早稲田大)の頃、台湾友人がいました。その友人と共に大学で私は「マイノリティー」でした。毛沢東万歳を叫んでいた時期です。容共というか、左翼に染まった人が多かった。「左翼小児病(極端に走り易い性向)」が流行した時期に、私たちは「右翼小児病者」と呼ばれました。総連に接近されましたが全部拒絶しました」 ―流行を追わなかった。 「よい先輩のおかげでした。私が身を

    「闘う反共リベラリスト」姜尚中の不気味な予言 | 日朝国交正常化と植民地支配責任
    mujige
    mujige 2009/12/15
     「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、川を渡っていればよい」
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 14 | 私にも話させて

    4-7.挫折と転向(下) 5. その飛躍の証が、『愛国の作法』(2006年10月)だと思われる。ここで、この企画の経緯について語った、編集者の証言を見ておこう。 「 「愛国心について書いてみたいんです」 編集長と私のほうを見据えて、姜尚中さんが静かに言いました。神田のホテルのロビーで、朝日新書の最初の打ち合わせをしたときのことでした。 テレビでおなじみの姜さんは、朝日カルチャーセンターで不定期の講座を持っています。いつも満員の盛況で、老若男女の幅広い層の方たちが熱心に聴いています。朝日新書もそうした広範な読者を獲得したいと思い、姜さんに執筆をお願いしたのでした。でも、まさか「愛国の作法」というタイトルを、ほかならぬ姜さんから提示されるとは思いもよりませんでした。 その当時、新書業界では藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーを独走中でした。 (中略) 執筆中に、北朝鮮のミサイル発射、首相

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 14 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 12 | 私にも話させて

    4-7.挫折と転向(上) 1. これまで、2006年夏前後の姜の転向に先立つ約1年間について、それを姜の「模索期」と見て、主張の特徴を見てきた。これまで述べたように、姜は、恐らく2005年前半の中国の「反日」運動に関する報道を契機として、自らの立場を「国益」論的なものに移行させている。それは、日の言論状況に即応しようとした姜の立場修正であり、その程度の修正では対応は不可能であるという認識から生じたのが、2006年夏前後の姜の転向であると私は見ている。 姜の転向は、これまでその特徴的な主張に即して検討してきたように、「国益」論との論理の連続性の観点から見れば、論理的帰結とも言えるが、一方で、その挫折の結果とも言える。今回は、この模索期における姜の挫折を見ておこう。 2. まず確認しておくべきなのは、この時期の姜が――転向後の楽観的な姜とは異なり――状況がかなり絶望的である、という認識を表明

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 12 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 10 | 私にも話させて

    4-5.「平和国家」としての戦後日の積極的肯定 この模索期(2005年夏頃~2006年夏頃)の特徴としては――既に2005・2006年以降の左派の主張の特質としてかつて指摘したことであるが――姜が、戦後日を「平和国家」または成功した国家として描き、それを積極的に肯定する姿勢も挙げておこう。これは、『東北アジア共同の家をめざして』を除き、それまでの姜にはあまり見られない傾向である。 そもそも、かつての姜の「戦後社会」認識とは、例えば、以下のようなものである。 「戦後の平和主義・護憲主義が、冷戦という歴史的な制約条件と、その意義について深く掘り下げてこなかった・・・・・・自分たちの戦後の原点が、冷戦と深くかかわっており、それが近隣アジア諸国にとって新たな苦難のはじまりとなり、自分たちには「一国内平和と繁栄」をもたらすことになった、その落差の意味を問いつめてこなかった・・・・・・。」(『アジ

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 10 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 9 | 私にも話させて

    4-4.「リベラル保守」の擁護 今となっては「愛郷心」の擁護や「健全な保守」(「リベラル保守」)への期待しか語っていないようにすら見える姜だが、「リベラル保守」への期待を主張として打ち出すように至ったのも、この転向前の1年間の模索期(2005年夏頃~2006年夏頃)からだと思われる。 まず確認しておくべきなのは、姜が「リベラル保守」について肯定的に言及すること自体が奇妙だということある。在日朝鮮人の社会的排除という点において、「リベラル保守」も「排外主義的保守」も何の違いもない。そもそも「リベラル保守」などという不明確なカテゴリーを作ること自体がおかしいのであり、「リベラル保守」を自明な固定的な層として想定し、持ち上げようとすること自体が、ある種の政治的衝動に基づいたものである。そのことは、「リベラル・左派からの私の論文への批判について(3)」で既に述べたので、ここでは繰り返さない。 実際

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 9 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 8 | 私にも話させて

    4-3.国立戦没者追悼施設の擁護 模索期におけるもう一つの特徴として、姜が、国立戦没者追悼施設の擁護の主張を展開し始めたことが挙げられよう。 日の侵略戦争の戦没者に対する国家的追悼儀式について、姜ならば反対するだろう、と普通は思うだろう。現に、 西部邁も田原総一朗も、以下のように述べている。 「西部  (中略)つまり、明治二年に東京招魂社として創建された昔から、やはり靖国というのは国家儀式の場であり、姜さんのように、そういう国家儀式は有害であるとか不当であるとかという意見もあるが、僕はまったく逆だと思っている。 田原  それは、姜さんだけじゃなくて、高橋哲哉もおんなじことをいってる。」(「補章 「愛国心」ふたたび」姜尚中・田原総一朗・西部邁『愛国心』講談社+α文庫、2005年7月、322~323頁。この章は、文庫化時に加えられた章) ところが、この鼎談の中で、姜は2人に反論するかのように

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 8 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 7 | 私にも話させて

    4-2.護憲的解釈改憲論への移行 2006年夏前後の転向前1年間にわたる姜の模索期において、まず注目されるべきは、この時期に、姜が、護憲的解釈改憲論――しかも、小沢一郎の憲法9条解釈に近いもの――に、立場を移行させている点である。これによって、姜の安全保障論は「国益」論的立場のものに純化し、姜の憲法論における憲法9条の規範性は実質的にほぼ消滅した、と言えるだろう。 こんなことを言うと、奇妙に感じる読者もいるかもしれない。姜といえば、護憲派というイメージが強い(そもそも在日朝鮮人が、一般の日人と同じ立場で「護憲派」となっていること自体が奇妙なのだが)だろうし、特に、戦後60年の2005年には、いろいろな媒体で護憲のメッセージを積極的に唱えている。 だが、まずはじめに確認しておかなければならないのは、2005年以前には、姜は取り立てて積極的な「護憲派」ではなかったことである。 「憲法第9条の

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 7 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 6 | 私にも話させて

    4.転向前の1年間の模索 前述のように、『愛国の作法』(2006年10月刊)を私は姜の転向宣言書だと捉えており、姜の転向は、2006年夏前後に姜が何らかの決断を行ったことにより、成立したものだと考えている。 だが、転向は、何らの準備過程もなしに生じるものではあるまい。そして、姜の転向も、2006年夏より前の約1年間における模索の挫折によって、または帰結として生じたものだと思う。 この1年間の姜の言動は、それまでの姜のイメージ――在日朝鮮人の左派の代表者、日朝交渉における平和的アプローチの提唱者、日の「国体」ナショナリズムへの批判者、日のポストコロニアリズムの中心的人物――とはかなり異質な、「国益」論的な立場からのものである(注10)。私はこれを、日の言論状況に即応しようとした姜の立場修正だと見る。他方で姜は、この時期、状況が絶望的であることも告白している。 そして、そうした状況認識こ

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 6 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/23
    状況に対する絶望が転向への道を用意する。だが、状況が絶望的であることは事実。いかに転向せず、“正しく”絶望するかを考えたい。
  • よい大連立か、わるい大連立か | 私にも話させて

    衆議院選投票日も間近であるが、姜尚中がまた注目すべき発言を行なっている。 連載「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象」でも指摘しているが、現在のリベラル・左派の転向または右傾化は、それらの人物の欲望に合致した発言を姜が積極的に行い、それにリベラル・左派が追随する、という形でおおむね進んでいる。したがって、次にリベラル・左派がどういうことを言い出すかは、姜の発言を見ていればよい。 姜は、毎日新聞8月5日付朝刊で、衆議院選に関する連載物の記事の中で、以下のように述べている(抜粋。強調は引用者、以下同じ)。 「政治の最も大切な役割が「富の再分配」にある以上、民間活力の低下で縮小していく経済のパイをどう配分するかが政治の課題になる。政治の不作為や失策は、そのまま経済に跳ね返って有権者の生活を直撃する。 政治家は、前例踏襲が常の「官僚政治」を超えてリーダーシップを発揮する時期に

    よい大連立か、わるい大連立か | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/23
    “現在の姜の役回りは、佐藤優のリベラル・左派版”
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 5 | 私にも話させて

    3.姜尚中の転向と日リベラル・左派 3-1. 姜の理論的な次元での転向宣言とも言うべき著作は、2006年10月に刊行された『愛国の作法』(朝日新書)である。この後に刊行された、『日――根拠地からの問い』や『憲法ってこういうものだったのか!』において、すでに引用したように、姜の発言の奇矯さは、よりエスカレートしていくが、戦後日社会の全面的肯定、愛郷心の擁護、南原繁・和辻哲郎・矢内原忠雄といった「オールド・リベラリスト」の称揚(三人とも、以前は批判対象)、「国益」中心主義的な国家観の戦死者追悼論(以前は批判対象だった、加藤典洋『敗戦後論』とほぼ同趣旨)等、『愛国の作法』において、質的な点で転向は成立している。 転向後の姜の発言を笑うのはたやすい。姜に嘲笑的な日の左派が、笑っている姿も目に浮かぶ。だが、左派も含めた日人や、(特に北朝鮮批判を率先して行って)日人に迎合する在日朝鮮人

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 5 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 4 | 私にも話させて

    2-3.姜尚中と「愛郷心」 ところで、最近の姜尚中と言えば、二言目には「故郷」の熊への愛を表明し、「愛郷心」「パトリ」の価値を称揚することで知られる。姜の「愛郷心」の称揚は、今や小林よしのりですら引いてしまう(注8)レベルに到達している。 姜が、こうした立場を強く打ち出してきたのは、管見の範囲では、『愛国の作法』(朝日新書、2006年10月刊)が初めてである。同書から、いくつかの発言を引用しておこう。 「わたしにも自分が生まれ、育った地、熊への愛着があります。もっとも、ケンタッキーの黒人たちとは較べようもないにしても、やはり差別と賎視に堪えなければならなかったことは言うまでもありません。しかも、父母に連なる世界(韓国・朝鮮)は、劣った否定的なイメージにおおわれていました。直接、そう指摘されなくても、いつもそう刷り込まれていたのです。」(150頁) 「「郷土」への愛着は、わたしの中に身体

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 4 | 私にも話させて
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    mujige 2009/08/04
    日本人の側としては、なぜ日本で「姜尚中」というアイコンが必要とされているのかを考えるべきだろう。
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて

    2-2.姜尚中と「民族的自覚」 姜のこうした天皇制(的価値観)の肯定は、姜自身の在日朝鮮人としての「民族的自覚」の否定と対応している。 「かつて作為的に民族的自覚を「ねつ造」せざるをえなかった私は、どこかで「パトリへの情念」を押し殺し、そうすることで民族主義者に脱皮できると思ったことがあった。しかし、身体性を欠いた思想が虚ろなように、パトリなきナショナリズムも虚ろではかない。そこには「根拠地」が欠けているのだ。/確かにその欠落をより積極的な意味へと反転させる回路がないわけではない。ユダヤ的知性に見られるような「意識的パーリア」の道である。だが、私にはどうしてもそれがしっくりとはこなかった。なぜなら、私は余りにもパトリを愛していたからである。/こうして私は、民族を捨て去ることもできず、さりとて、民族から切り離された「パトリへの情念」を手放すこともできないまま、煩悶し、悶々とした日々を送ってい

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて

    2. 前置きが長くなった。もう一つ補足しておくと、今回の主題は、姜の転向をどのように位置づけ、それをどのように批判するかであって、転向それ自体を倫理的に批判する、というものではない。もちろん、転向それ自体への倫理的な批判もあってよいと思うが、ここではそうした点に重きを置いていない。 だが、姜のファンや擁護者たちは、姜が転向したなどとんでもない誹謗中傷だ、と言うかもしれない。姜自身、ごく最近でも、以下のように発言している。 「これまで左だった人が一挙に右に傾くこと、あるいは、これまで中間だった人が一挙に右か左に変わること、これは由々しいことです。大切なことは、ブレないことではないでしょうか。 自分自身の最小限の矜持として言えることは、私は変わらなかったのではないか、ということです。学生時代から三十数年経っても、あのとき言っていたことと、いまの考えに変わりはありません。韓国の民主化により、日韓

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/02
    姜尚中の変化を感じたのは東大教授に就任したころ、朝日新聞のインタビューで「最近は永野鉄男という日本名が懐かしくってね」と述べているのを読んだとき。そこからは坂を転げ落ちるようだ。
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 1 | 私にも話させて

    1. 「AERAムック」なるシリーズで、姜尚中の『AERA』連載記事を中心にまとめた、『姜流』なるDVDつきの(ムック)が出た。 http://www.aera-net.jp/editorial/blog/090724_001010.html 書店で書名を見かけたときは、「またやってる」という感想しか持たなかったが、中身を見てみると、佐藤優との対談(『週刊朝日』2006年12月1号)が収録されている。佐藤とのこの対談は既に読んでいたが、私が「<佐藤優現象>批判」を発表して以来、私のものも含めていくつかの佐藤批判が出ているにもかかわらず、同書へのこの対談の収録を了解したことは、姜が佐藤および<佐藤優現象>を擁護するということの意志表示である、と見なしてもよいだろう。 私はこれまで、姜尚中については、折に触れて批判的に言及することはあっても、これまでの功績に鑑みて、まとまった形での批判はして

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 1 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/02
    空気の読める(読み過ぎる)人みたいだから、たぶん日本の変化に合わせているんだろう。
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