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き金光翔に関するmujigeのブックマーク (61)

  • 日韓安保共同宣言 | 私にも話させて

    読売新聞1月8日「日韓、初の安保宣言検討…北の核に連携強化」 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100107-OYT1T01526.htm 産経新聞1月8日「日韓安保共同宣言「機運高まっている」」 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100108/plc1001081055005-n1.htm 東亜日報日語版1月9日「鳩山首相、「日韓安保宣言」構想に前向き姿勢 韓国政府は慎重」 http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2010010962308 日韓の安全保障共同宣言である。現時点では、韓国政府はその事実を否定しているが、いずれこれは政治日程にのぼってくると思う。朝鮮日報は、「これが事実なら、韓日関係において1965年の国交正常化以来の大事

    日韓安保共同宣言 | 私にも話させて
  • 朝鮮総連の資産凍結について | 私にも話させて

    1. 麻生政権は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルまたは人工衛星を発射した場合、朝鮮総連の財産の凍結処分を行う方針を固めたという。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090306/plc0903060120000-n1.htm この件に関しては、吉田康彦が早くにコメントを出し、「在日朝鮮人の生活と人権のさらに圧迫する非人道的措置」として批判している。だが、どうせ大多数の日の左派は黙認するだけだろう。 http://www.yoshida-yasuhiko.com/ それにしても、ついにここまで来たか、というのが第一報を聞いた感想である。朝鮮総連が何か犯罪を犯したから、という理由ですらなく、外交関係上の「国益」の観点から、資産を凍結するというのだ。在日朝鮮人の「人権」は、はじめから考慮の対象にすらなっていない。さらに言えば、これは吉

    朝鮮総連の資産凍結について | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2010/01/12
    “イスラエルのパレスチナ人への蛮行を批判したり、憂慮したりしている人々は、目の前の、朝鮮総連や在日朝鮮人への嫌がらせに対し、どう考えているのだろうか。” 目の前の問題を見ずに良心を満足させる方便かな。
  • 佐藤優のいない<佐藤優現象>(下) | 私にも話させて

    3. 最新号の冒頭の21頁にわたる座談会(天野恵一・鵜飼哲・崎山政毅 「「政権交代後」の課題」)が、特集「新政権を考える 現場からの視点」の中心であろうが、これがもう、突っ込みどころ満載である。ほとんど逐語的に批判したい衝動にかられるが、時間もないので、以下、目についたところを指摘する。 ここで天野は、「『現代の理論』あるいは『世界』のように民主党にアイデンティファイしちゃって「民主党革命」万歳じゃなくて」と、一応は自らと『世界』との「立ち位置」の違いを強調するが、座談会で天野が言っていること自体は『世界』とほとんど変わらない。言葉づかい自体は相変わらず「無党派左翼」っぽいが、むしろ、「きっこの日記」あたりを愛読するような左派ブロガーを想起させる。冒頭の、事業仕分けを称賛するところから呆れさせるが、根的に、民主党政権を運動側が介入するチャンスだとしているのが倒錯としか言いようがない。渡辺

    佐藤優のいない<佐藤優現象>(下) | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2010/01/12
    “そもそも、朝鮮学校への襲撃は、90年代に日本の警察が行なっていたことであり、朝鮮総連への政治弾圧も国家によって行なわれている。国家がやっていたことを民間(在特会)がやっているだけだ。”
  • 佐藤優のいない<佐藤優現象>(上) | 私にも話させて

    1. 最近、以下の記事を知って、唖然としてしまった。朝日新聞2009年12月17日付の記事である。 ---------------------------------------- 運動の論理貫き30年 理論・情報誌「インパクション」 死刑廃止や反基地、反天皇など、大手メディアが伝えない運動を紹介し続けてきた理論・情報誌「インパクション」(隔月刊)が創刊30年を迎えた。 (中略) 創刊時、すでに学生運動のピークは過ぎ、左翼系総合誌の休刊も始まっていた。代わって登場したのが、ウーマンリブや自然保護など、シングルイシューを掲げた雑誌。創刊以来編集長を務める深田卓さん(61)は「それぞれの運動がタコツボに入り、『専門化』しかけていた。各運動をつなぐ総合的なメディアが必要だと考えた」という。 ほぼ一人で編集実務を担い続けてきた深田さんは、86年に独立し、「(株)インパクト出版会」の社長になった。現

    佐藤優のいない<佐藤優現象>(上) | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2010/01/12
    “今の『世界』や『金曜日』が佐藤優を起用することは、別に矛盾でもなんでもないのであって、矛盾しているのはいまだにそれらの雑誌が「平和」やら「人権」やらを標榜(する記事を掲載)していることである。”
  • 『世界』2010年1月号と<佐藤優現象> | 私にも話させて

    1. 『世界』2010年1月号(特集・韓国併合100年――現代への問い)が発売された。単に掲載記事に異論があるというだけならば、雑誌それ自体まで取り上げる気も起きないのだが、今号はそのレベルにとどまらない特徴を持っていると思うので、いくつかの特徴を簡単に指摘しておく。 これは、言い換えれば、今号の『世界』は<佐藤優現象>との関連から論じるべき特徴が、如実に表れている、ということでもある。とはいえ、今号では佐藤優は登場していないので、よく事情がわからない読者は、「『世界』も佐藤優と手を切って、朝鮮植民地支配や戦後補償を扱うなど、真っ当なジャーナリズムに戻ろうとしているようだ」などと勘違いするだろう。以下、<佐藤優現象>との関連で論じるべき諸特徴を指摘する。 2. まず指摘しておきたいのは、今号の『世界』は、佐藤優起用についての編集部の状況認識と佐藤との共犯関係が、よく表れている号であろう、と

    『世界』2010年1月号と<佐藤優現象> | 私にも話させて
  • 第2回口頭弁論期日報告 | 私にも話させて

    対『週刊新潮』・佐藤優氏裁判の第2回口頭弁論期日が終わった。東京地裁第708号法廷にて、10月7日14時から約30分間開かれた。被告側は、弁護士2名(岡田宰弁護士・杉博哉弁護士)のみが出席していた。 今回は、被告側による、準備書面に基づいた陳述のほか、裁判官から、原告・被告双方の書面に関する注意がなされた。 次回口頭弁論期日は、11月11日14時より、同じく東京地裁第708号法廷で開かれる。 さて、今回の被告側の陳述では、驚くべき事実が明らかにされている。絶対にこれは自分からは認めないだろう、と思っていたのだが・・・。 当該『週刊新潮』記事では、「岩波関係者」の発言として、私の論文「<佐藤優現象>批判」において「社外秘のはずの組合報まで引用されているのですから、目も当てられません」とあり、その後に、佐藤氏の発言が来て、「「『IMPACTION』のみならず、岩波にも責任があります。社外秘の

    第2回口頭弁論期日報告 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 14 | 私にも話させて

    4-7.挫折と転向(下) 5. その飛躍の証が、『愛国の作法』(2006年10月)だと思われる。ここで、この企画の経緯について語った、編集者の証言を見ておこう。 「 「愛国心について書いてみたいんです」 編集長と私のほうを見据えて、姜尚中さんが静かに言いました。神田のホテルのロビーで、朝日新書の最初の打ち合わせをしたときのことでした。 テレビでおなじみの姜さんは、朝日カルチャーセンターで不定期の講座を持っています。いつも満員の盛況で、老若男女の幅広い層の方たちが熱心に聴いています。朝日新書もそうした広範な読者を獲得したいと思い、姜さんに執筆をお願いしたのでした。でも、まさか「愛国の作法」というタイトルを、ほかならぬ姜さんから提示されるとは思いもよりませんでした。 その当時、新書業界では藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーを独走中でした。 (中略) 執筆中に、北朝鮮のミサイル発射、首相

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 14 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 12 | 私にも話させて

    4-7.挫折と転向(上) 1. これまで、2006年夏前後の姜の転向に先立つ約1年間について、それを姜の「模索期」と見て、主張の特徴を見てきた。これまで述べたように、姜は、恐らく2005年前半の中国の「反日」運動に関する報道を契機として、自らの立場を「国益」論的なものに移行させている。それは、日の言論状況に即応しようとした姜の立場修正であり、その程度の修正では対応は不可能であるという認識から生じたのが、2006年夏前後の姜の転向であると私は見ている。 姜の転向は、これまでその特徴的な主張に即して検討してきたように、「国益」論との論理の連続性の観点から見れば、論理的帰結とも言えるが、一方で、その挫折の結果とも言える。今回は、この模索期における姜の挫折を見ておこう。 2. まず確認しておくべきなのは、この時期の姜が――転向後の楽観的な姜とは異なり――状況がかなり絶望的である、という認識を表明

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 12 | 私にも話させて
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 10 | 私にも話させて

    4-5.「平和国家」としての戦後日の積極的肯定 この模索期(2005年夏頃~2006年夏頃)の特徴としては――既に2005・2006年以降の左派の主張の特質としてかつて指摘したことであるが――姜が、戦後日を「平和国家」または成功した国家として描き、それを積極的に肯定する姿勢も挙げておこう。これは、『東北アジア共同の家をめざして』を除き、それまでの姜にはあまり見られない傾向である。 そもそも、かつての姜の「戦後社会」認識とは、例えば、以下のようなものである。 「戦後の平和主義・護憲主義が、冷戦という歴史的な制約条件と、その意義について深く掘り下げてこなかった・・・・・・自分たちの戦後の原点が、冷戦と深くかかわっており、それが近隣アジア諸国にとって新たな苦難のはじまりとなり、自分たちには「一国内平和と繁栄」をもたらすことになった、その落差の意味を問いつめてこなかった・・・・・・。」(『アジ

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 9 | 私にも話させて

    4-4.「リベラル保守」の擁護 今となっては「愛郷心」の擁護や「健全な保守」(「リベラル保守」)への期待しか語っていないようにすら見える姜だが、「リベラル保守」への期待を主張として打ち出すように至ったのも、この転向前の1年間の模索期(2005年夏頃~2006年夏頃)からだと思われる。 まず確認しておくべきなのは、姜が「リベラル保守」について肯定的に言及すること自体が奇妙だということある。在日朝鮮人の社会的排除という点において、「リベラル保守」も「排外主義的保守」も何の違いもない。そもそも「リベラル保守」などという不明確なカテゴリーを作ること自体がおかしいのであり、「リベラル保守」を自明な固定的な層として想定し、持ち上げようとすること自体が、ある種の政治的衝動に基づいたものである。そのことは、「リベラル・左派からの私の論文への批判について(3)」で既に述べたので、ここでは繰り返さない。 実際

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 8 | 私にも話させて

    4-3.国立戦没者追悼施設の擁護 模索期におけるもう一つの特徴として、姜が、国立戦没者追悼施設の擁護の主張を展開し始めたことが挙げられよう。 日の侵略戦争の戦没者に対する国家的追悼儀式について、姜ならば反対するだろう、と普通は思うだろう。現に、 西部邁も田原総一朗も、以下のように述べている。 「西部  (中略)つまり、明治二年に東京招魂社として創建された昔から、やはり靖国というのは国家儀式の場であり、姜さんのように、そういう国家儀式は有害であるとか不当であるとかという意見もあるが、僕はまったく逆だと思っている。 田原  それは、姜さんだけじゃなくて、高橋哲哉もおんなじことをいってる。」(「補章 「愛国心」ふたたび」姜尚中・田原総一朗・西部邁『愛国心』講談社+α文庫、2005年7月、322~323頁。この章は、文庫化時に加えられた章) ところが、この鼎談の中で、姜は2人に反論するかのように

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 7 | 私にも話させて

    4-2.護憲的解釈改憲論への移行 2006年夏前後の転向前1年間にわたる姜の模索期において、まず注目されるべきは、この時期に、姜が、護憲的解釈改憲論――しかも、小沢一郎の憲法9条解釈に近いもの――に、立場を移行させている点である。これによって、姜の安全保障論は「国益」論的立場のものに純化し、姜の憲法論における憲法9条の規範性は実質的にほぼ消滅した、と言えるだろう。 こんなことを言うと、奇妙に感じる読者もいるかもしれない。姜といえば、護憲派というイメージが強い(そもそも在日朝鮮人が、一般の日人と同じ立場で「護憲派」となっていること自体が奇妙なのだが)だろうし、特に、戦後60年の2005年には、いろいろな媒体で護憲のメッセージを積極的に唱えている。 だが、まずはじめに確認しておかなければならないのは、2005年以前には、姜は取り立てて積極的な「護憲派」ではなかったことである。 「憲法第9条の

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 6 | 私にも話させて

    4.転向前の1年間の模索 前述のように、『愛国の作法』(2006年10月刊)を私は姜の転向宣言書だと捉えており、姜の転向は、2006年夏前後に姜が何らかの決断を行ったことにより、成立したものだと考えている。 だが、転向は、何らの準備過程もなしに生じるものではあるまい。そして、姜の転向も、2006年夏より前の約1年間における模索の挫折によって、または帰結として生じたものだと思う。 この1年間の姜の言動は、それまでの姜のイメージ――在日朝鮮人の左派の代表者、日朝交渉における平和的アプローチの提唱者、日の「国体」ナショナリズムへの批判者、日のポストコロニアリズムの中心的人物――とはかなり異質な、「国益」論的な立場からのものである(注10)。私はこれを、日の言論状況に即応しようとした姜の立場修正だと見る。他方で姜は、この時期、状況が絶望的であることも告白している。 そして、そうした状況認識こ

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    mujige
    mujige 2009/08/23
    状況に対する絶望が転向への道を用意する。だが、状況が絶望的であることは事実。いかに転向せず、“正しく”絶望するかを考えたい。
  • よい大連立か、わるい大連立か | 私にも話させて

    衆議院選投票日も間近であるが、姜尚中がまた注目すべき発言を行なっている。 連載「姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象」でも指摘しているが、現在のリベラル・左派の転向または右傾化は、それらの人物の欲望に合致した発言を姜が積極的に行い、それにリベラル・左派が追随する、という形でおおむね進んでいる。したがって、次にリベラル・左派がどういうことを言い出すかは、姜の発言を見ていればよい。 姜は、毎日新聞8月5日付朝刊で、衆議院選に関する連載物の記事の中で、以下のように述べている(抜粋。強調は引用者、以下同じ)。 「政治の最も大切な役割が「富の再分配」にある以上、民間活力の低下で縮小していく経済のパイをどう配分するかが政治の課題になる。政治の不作為や失策は、そのまま経済に跳ね返って有権者の生活を直撃する。 政治家は、前例踏襲が常の「官僚政治」を超えてリーダーシップを発揮する時期に

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    mujige 2009/08/23
    “現在の姜の役回りは、佐藤優のリベラル・左派版”
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 5 | 私にも話させて

    3.姜尚中の転向と日リベラル・左派 3-1. 姜の理論的な次元での転向宣言とも言うべき著作は、2006年10月に刊行された『愛国の作法』(朝日新書)である。この後に刊行された、『日――根拠地からの問い』や『憲法ってこういうものだったのか!』において、すでに引用したように、姜の発言の奇矯さは、よりエスカレートしていくが、戦後日社会の全面的肯定、愛郷心の擁護、南原繁・和辻哲郎・矢内原忠雄といった「オールド・リベラリスト」の称揚(三人とも、以前は批判対象)、「国益」中心主義的な国家観の戦死者追悼論(以前は批判対象だった、加藤典洋『敗戦後論』とほぼ同趣旨)等、『愛国の作法』において、質的な点で転向は成立している。 転向後の姜の発言を笑うのはたやすい。姜に嘲笑的な日の左派が、笑っている姿も目に浮かぶ。だが、左派も含めた日人や、(特に北朝鮮批判を率先して行って)日人に迎合する在日朝鮮人

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  • 論評:佐高信「佐藤優という思想」③ ブラック・ジャーナリズム化する左派メディア | 私にも話させて

    論評:佐高信「佐藤優という思想」 ①――佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点の欠落 論評:佐高信「佐藤優という思想」 ②――文批判(付記:佐藤優と小林よしのりと「パチンコ問題」) 1. この連載「論評:佐高信「佐藤優という思想」」は、②まで書いたが未完で、『金曜日』から何らかのリアクションがあれば、結論部分として③を書くつもりであった。直接的なものではないが、興味深いいくつかの文章があったので、これを機会に書いておこう。 もう先週号になってしまったが、『金曜日』2009年7月31日号の編集後記(「金曜日から」)において、株式会社金曜日のある社員は、以下のように書いている。 「「金曜日はニセモノだけれど、ほかよりはずっとマシ」との評価をある人から受けた。なにを!とは思わない。むしろ同感であり、好評であると思う。 ニセモノは不純で、不足し、ブレている。しかしそれは何と比較してか? 前提さ

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 4 | 私にも話させて

    2-3.姜尚中と「愛郷心」 ところで、最近の姜尚中と言えば、二言目には「故郷」の熊への愛を表明し、「愛郷心」「パトリ」の価値を称揚することで知られる。姜の「愛郷心」の称揚は、今や小林よしのりですら引いてしまう(注8)レベルに到達している。 姜が、こうした立場を強く打ち出してきたのは、管見の範囲では、『愛国の作法』(朝日新書、2006年10月刊)が初めてである。同書から、いくつかの発言を引用しておこう。 「わたしにも自分が生まれ、育った地、熊への愛着があります。もっとも、ケンタッキーの黒人たちとは較べようもないにしても、やはり差別と賎視に堪えなければならなかったことは言うまでもありません。しかも、父母に連なる世界(韓国・朝鮮)は、劣った否定的なイメージにおおわれていました。直接、そう指摘されなくても、いつもそう刷り込まれていたのです。」(150頁) 「「郷土」への愛着は、わたしの中に身体

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    mujige
    mujige 2009/08/04
    日本人の側としては、なぜ日本で「姜尚中」というアイコンが必要とされているのかを考えるべきだろう。
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 3 | 私にも話させて

    2-2.姜尚中と「民族的自覚」 姜のこうした天皇制(的価値観)の肯定は、姜自身の在日朝鮮人としての「民族的自覚」の否定と対応している。 「かつて作為的に民族的自覚を「ねつ造」せざるをえなかった私は、どこかで「パトリへの情念」を押し殺し、そうすることで民族主義者に脱皮できると思ったことがあった。しかし、身体性を欠いた思想が虚ろなように、パトリなきナショナリズムも虚ろではかない。そこには「根拠地」が欠けているのだ。/確かにその欠落をより積極的な意味へと反転させる回路がないわけではない。ユダヤ的知性に見られるような「意識的パーリア」の道である。だが、私にはどうしてもそれがしっくりとはこなかった。なぜなら、私は余りにもパトリを愛していたからである。/こうして私は、民族を捨て去ることもできず、さりとて、民族から切り離された「パトリへの情念」を手放すこともできないまま、煩悶し、悶々とした日々を送ってい

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて

    2. 前置きが長くなった。もう一つ補足しておくと、今回の主題は、姜の転向をどのように位置づけ、それをどのように批判するかであって、転向それ自体を倫理的に批判する、というものではない。もちろん、転向それ自体への倫理的な批判もあってよいと思うが、ここではそうした点に重きを置いていない。 だが、姜のファンや擁護者たちは、姜が転向したなどとんでもない誹謗中傷だ、と言うかもしれない。姜自身、ごく最近でも、以下のように発言している。 「これまで左だった人が一挙に右に傾くこと、あるいは、これまで中間だった人が一挙に右か左に変わること、これは由々しいことです。大切なことは、ブレないことではないでしょうか。 自分自身の最小限の矜持として言えることは、私は変わらなかったのではないか、ということです。学生時代から三十数年経っても、あのとき言っていたことと、いまの考えに変わりはありません。韓国の民主化により、日韓

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/02
    姜尚中の変化を感じたのは東大教授に就任したころ、朝日新聞のインタビューで「最近は永野鉄男という日本名が懐かしくってね」と述べているのを読んだとき。そこからは坂を転げ落ちるようだ。
  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 1 | 私にも話させて

    1. 「AERAムック」なるシリーズで、姜尚中の『AERA』連載記事を中心にまとめた、『姜流』なるDVDつきの(ムック)が出た。 http://www.aera-net.jp/editorial/blog/090724_001010.html 書店で書名を見かけたときは、「またやってる」という感想しか持たなかったが、中身を見てみると、佐藤優との対談(『週刊朝日』2006年12月1号)が収録されている。佐藤とのこの対談は既に読んでいたが、私が「<佐藤優現象>批判」を発表して以来、私のものも含めていくつかの佐藤批判が出ているにもかかわらず、同書へのこの対談の収録を了解したことは、姜が佐藤および<佐藤優現象>を擁護するということの意志表示である、と見なしてもよいだろう。 私はこれまで、姜尚中については、折に触れて批判的に言及することはあっても、これまでの功績に鑑みて、まとまった形での批判はして

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 1 | 私にも話させて
    mujige
    mujige 2009/08/02
    空気の読める(読み過ぎる)人みたいだから、たぶん日本の変化に合わせているんだろう。