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しそうに関するmujigeのブックマーク (16)

  • 「11にんめ」を めぐる ふあん - やねごんの にっき

    ラカン的な大文字の「他者」が存在不可能であるのと同様に、社会は全体性が不可能であることとしてのみ存立可能である*1。 にんずうを かぞえるという こうい(行為)には、その かぞえる ひと じしんを ふあんに させる なにかが あるように おもいます。 「ひとり、ふたり、さんにん……」と その ばに いる ひとの にんずうを かぞえるとき、わたしは ひとり ひとりの かおなどを みながら、もじどおり 「あたまかず」を かぞえてゆく わけですが、そうやって かぞえている わたし じしんの 「あたま」を わたしは みることが できません。つまり、わたしは、わたし じしんが ぞくしている その ばの しゅうだんを、「ぜんたいせい(全体性)」として ちょくせつ しや(視野)に おさめることは できないという ことです。その いみで、じぶん じしんを ふくむ しゅうだんの 「ぜんたいせい」とは、そうぞ

    「11にんめ」を めぐる ふあん - やねごんの にっき
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    mujige 2009/08/24
    異端者になることは怖い。そして、異端者の側に立つことは、自分も異端者になるということだ。いかにその恐怖を乗り越え、異端者の側に立ちうるのか。
  • 語法を語る語法について - 猿虎日記

    http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060408/p1 「言い方」とか「語法」の問題が大事だ、という話はよく聞く。特に、左翼的な主張について、「内容はともかくああいう「言い方」(「審問の語法」とか)では多くの人々の賛同を得られない」とか、「共感を得られないのはああいう言い方をする人も悪い」というようなことがしばしば言われる。もちろん、そうした指摘は当たっている面はあると思う。そして、「言い方なんかどうでもいい」とは言えないことは確かである。しかしそれにしても、それはあくまで「言い方「も」大事」ということであって、言い方のことしか問題にしない、という(例えばいわゆる左翼に対する)批判には、やっぱり違和感がある。 たとえば、「あの商品はパッケージのデザインが悪い。あんなんじゃ売れない。」とどこかで言っている人がいたとする。で、そういうことを言っている人が、「

    語法を語る語法について - 猿虎日記
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    mujige 2009/08/12
    最近の「反日上等!」をめぐる議論とも関係ありそうなのでブクマ。マジョリティーの特権を問題にしない人からあれこれ言われてもなー。
  • 何のためのカミングアウト? - おまわりさんのはなみず

    Ry0TAさんの日記から孫引き。 クローゼットからのカミングアウトに何か自己肯定的な、実際解放的なものがあるとしても、それは、カム・アウトすれば、従属状態から逃れ、一切の足枷のない自由な状態になれるからではけっしてない。むしろ逆だろう。カム・アウトすることは、また違った種類の危険と制約に自らをさらすことであり、自分で手軽なスクリーンになって、ストレートの人々がいつだってゲイに対して抱いている幻想を引き受けることである。そしてなにより、自分の身振り、発言、表現、意見のすべてに、ホモセクシュアルのアイデンティティを認めた者、という、とてつもなく大きな社会的意味が加わってくる。(Halperin 1995=1997: 48-49.) デイヴィッド・M. ハルプリン/村山敏勝訳『聖フーコー―ゲイの聖人伝に向けて』太田出版, 1997. 「カミング・アウト」の言説は明らかにその目的をはたした。だがそ

    何のためのカミングアウト? - おまわりさんのはなみず
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    mujige 2009/08/12
    “だから何だというのでしょう。…生きやすさよりも大切なことがあるから行うのがカミングアウトではないですか。 正直者が馬鹿をみることはわかっていて、それでも正直でいようとする意思なのではないですか。”
  • 縞模様のパジャマの少年 - おまわりさんのはなみず

    縞模様のパジャマの少年 (2008) The Boy in the Striped Pyjamas 強制収容所に隣接する家に住む一家。 父は軍人で収容所の看守。 探検物語が好きな5歳の息子に、父は厳格な家庭教師をあてがい、現実を見ろと教育する。 家庭教師の語る現実とは、すべてのユダヤ人は悪で自分たちは正しい、というもの。 でもその前に息子は、収容所から一家に派遣されこき使われるユダヤ人元医師の温和さを知っていた。家の裏地を探検し、鉄条網を発見、その向こう側にいた同い年の子供と友達になる。 どう見ても、残酷な高慢さを持っているのは、父親や、出入りする部下の軍人たちのほう。 ユダヤ人をとても悪とは思えなかった。 やがて、それまで収容所の実態を知らなかった母親も少しずつ事実に気づくようになるけれど…。 ナチ党員=悪、それ以外=善、の単純な図式のタイプの映画。 善と悪のあいだの曖昧な人間性を信奉す

    縞模様のパジャマの少年 - おまわりさんのはなみず
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    mujige 2009/08/12
    “でもね、単純な図式に例えるからこそ、寓話として善悪についての考察を掘り下げることができるのだと思うよ。”
  • 猿虎M字開脚! - 猿虎日記

    コイズミ・オブ・ジョイトイ? 政界の大仁田入りについてなかなかするどく分析した、面白い記事を見つけました。 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050817 小泉にに賛成しないわけにはいかない? (……)そんな中で面白いのは、選挙ですね。これほど政治ネタを楽しくみるのはそうそうないのかもしれませんね。毎日毎日、刺客とか、新党とか、そしてとうとうホリエモン登場ですか?ボクは、小泉支持ですね。とにかく郵政の参議院否決から、衆議院解散へと、小泉首相「おもしろいすぎ」ですね。こういうの個人的に大好きです。 たしかに、おもしろすぎですよね。そんじょそこらのお笑い芸人より百倍面白い。ザ・ニュースペーパーというコント・グループの主要なネタは、小泉の物まねなのですが、これが爆笑なのです。しかし、ザ・ニュースペーパーの人は、小泉がいつも言っているようなことをそのままステージの上で

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    mujige 2009/07/05
    “メタレベルに立つことによって…優位を保とうとするわけですが、よく見るとその嗤いは引きつっているのであり、「必死だな」と言っている人こそが実は「必死」に、「自分は必死じゃない」ことを示そうとしている”
  • 命名、妖怪「どっちもどっち」 - 猿゛虎゛日記

    パレスチナ かつてこちらの記事 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20041219/p1で引用した、土井敏邦氏の言葉をもう一度引用します。 もちろんパレスチナ人の自爆テロは許されるべきではなく、糾弾されるべきである。ただ、自爆テロをはじめとするパレスチナ人側の暴力とイスラエル側の「報復」の暴力を並列し、「暴力が暴力を呼ぶ悪循環」「どっちもどっち」といった描き方で終わってしまいがちな現在の報道や識者の評論は、問題の質を見誤らせると私は考えている。問題の根源はイスラエルによる”占領”にある。”占領”という状況がパレスチナ人を自爆テロにまで追い込んでいるといえよう。[(『パレスチナ ジェニンの人々は語る――難民キャンプ イスラエル軍侵攻の爪痕――』69-70頁) イスラエルとパレスチナ、機動隊と活動家、警察と西成の労働者、の対立についてのニュースなどがあると、かなら

    命名、妖怪「どっちもどっち」 - 猿゛虎゛日記
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    mujige 2009/07/05
    最近のはてな界隈に妖怪が大量発生しているような気がするのでブクマ。
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

  • やさしく、きれいに、かしこくなろう!!! -Wooki's Blog- 「同じ女」であるとは何を意味するのか。

    歴史、ジェンダー、英語、心の持ちよう、美容、健康などについて、気ままに、つらつらと書いていきます。コメント大歓迎。 昨日は、久しぶりに大学院のゼミで文献報告をしました。 私は昨年1年間を通して、修士論文執筆で得られる単位以外の、大学院修士課程卒業のために必要な単位は取得しました。なので、今年は特に単位取得のために授業に出る必要はないのですが、さまざまな論文をジェンダーの視点から批判的に読む力をより身につけるために、現在は2つのゼミに出席しています。 昨日私が発表した論文は、先日のエントリーで紹介した『性・暴力・ネーション』というの中の第七章、岡真理さんが執筆した「「同じ女」であるとは何を意味するのか――フェミニズムの脱構築に向けて――」でした。 書の中のどの論文を報告するのかは、ゼミの初回で早いもの勝ちで決めたのですが、私は著者とタイトルを見た瞬間、「この章はおもしろそう」という強い魅

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    mujige 2009/06/22
    第三世界フェミニズムについて
  • bne.jp

  • バランスのバランス - 猿゛虎゛日記

    また世論について書こうかと思ってるんだけど(もう飽きたと思うけど)うまくまとまらない。というわけで、ムーアの「華氏911」についてとりあえず。 たまたまみつけた神奈川新聞6月20日の記事「時代のキーワード」。「華氏911」が紹介されている。「マイケル・ムーア『華氏911』全米公開へ 時代の寵児に賛否両論 お騒がせ男か英雄か」とのこと。作品やムーアの背景を解説する部分については割愛しますが、記事の最後、「善悪二元論」と題する小見出しのある部分をちょっと紹介します。 米国はこの個性的な”お騒がせ男”をどう見ているのか。ニューヨーク在住のジャーナリスト、鈴木ひとみは「草の根リベラルの代表としてもてはやす人と、あのばかがまた何かやってる、相手にしない人と。彼への見方は真っ二つに別れている。 (……)ムーアと同じドキュメンタリー監督、森達也の見方はこうだ。 「ブッシュを引きずり降ろすなどという政治

    バランスのバランス - 猿゛虎゛日記
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    mujige 2009/05/29
    私もせっせと天秤の反対側に重りをのせているのだが……。天秤を眺めている人たちは、どうも天秤の傾きが見えていないような気がする。
  • 当事者幻想論

    — あるいはマイノリティーの運動における共同幻想の論理 — 豊田 正弘 はじめに 稿の主要な目的は、質的に社会全体で取り組まれなければならない問題、あるいは社会の歪みから派生している問題など、元来社会がその責務を負うべき様々な社会問題が、社会全体の問題とされることなく、狭義の当事者性に封じ込められていることの現状と問題点とを明らかにすることである。 問題の質の社会性にも関わらず、マイノリティと称される社会的少数者の問題の多くが同様の現状にあり、この現状は深化することによって問題の質を拡散させる傾向にある。例えばそれは障害者、在日韓国・朝鮮人、あるいは外国人、女性、被差別部落などの問題である。これらの問題はいずれも社会的なそれであるにも関わらず、一方では当事者の問題と言われる。あるいは自衛隊演習場・在日米軍基地・原子力発電所・ダム・ごみ処分地などの様々な施設、道路・空港・港湾施設など

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    mujige 2009/05/11
    被差別の当事者から「あなたにはわからない」と言われることはしばしばあって、とはいえ「わからない」ことに開き直れず、どうしてもわかりたい自分がいて、「わかるとはどういうことか」と自問する日々です。
  • ナショナリズムの両面性 | 薫のハムニダ日記

    ナショナリズムの両面性/高橋哲哉 2カ月前にこのコラム(11月18日付「フリーター世代の戦争待望論」)で、両極化する日で非正規雇用労働者として貧困と排除に苦しんでいる若年層の間で、赤木智弘という若者の「戦争が希望」という議論が、一定の共感を得ていると紹介した。 アメリカ発の金融危機と世界同時不況の余波に韓国も日も巻き込まれている。日では大企業が相次いで人員縮小方針を明らかにしている。今年の春までに非正規労働者3万人を解雇するという予測も出ている。「ワーキングプアー」(働く貧困層)の苦境は、非正規労働の職すらない失業者の急増関係に悪化する兆しを見せている。 最近、若者たちが同世代の労働や生活支援を目的に設立した非営利法人主催の討論会が開かれた。主題は「ナショナリズムが答えなのか-承認と暴力の政治学」。萱野稔人・津田塾女子大教授と筆者が討論者として参加した。萱野氏は国家の存在を曖昧にして

    ナショナリズムの両面性 | 薫のハムニダ日記
  • 宮台真司の恣意的な歴史認識

    1997年8月23日 朝まで生テレビ「誰のせいだ! ニッポン」を見た。 新聞のTV欄でタイトルを見て、フリートークの状況論をやるのだろう、例によって例の連中が出演するのだろうと想像した。 果たしてその通りだった。 司会は田原総一郎、レギュラー陣からは小沢遼子や舛添要一らが参加している。パネラー席片側に、彼ら年長世代の論客が並び、もう片側に「例の連中」が坐っている。 岡田斗司夫、宮崎哲弥、藤井良樹、切通理作といった「30代(「若手」)文化人」である。 「世代でくくられたくない」という云い方がぼくは嫌いである。くくられたかろうとなかろうと、「世代」というものは確かに存在するし、「世代」から自由であることは(とくに時代状況を語る「論客」といった人種にあってはなおのこと)難しいからである。 現に、彼ら30代論客たちは、彼らの世代独特の状況認識をおおよそ前提として共有した上で物事を論じている。彼らと

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    mujige 2009/05/11
    “30代論客たちの完成された物云いこそが、冷戦構造下、55年体制下の思考の最終形態なのだ”“「終わりなき日常を生きろ」はその喉元に、「ちゃんと働け」「大人になれ」「反抗するな」…を隠している。”
  • 「闘わないことが闘い」

    前回の記事(甲虫ブログ: 壁の卵、卵の壁。)のブクマコメントで、horai551さんという方から外山恒一の昔の文章を教えていただいた。 その中で外山氏はこう言っている。:彼ら30代論客たちの青年期は、云わば「闘わないこと」が「闘い」であり得た特殊な、稀有な時代だった。 (「論じる気がありません」(Internet Archive)。:ここで言われている「30代論客」というのは、いわゆる新人類世代の「宮台真司とその周辺」の文化人たちのことだ。この「30代論客」たちが、たまたま彼らの置かれた特殊な状況を「一般化・普遍化する誤り」によって、より若い世代の政治的「闘争」を抑圧していることを外山氏は批判するのである。 つまりこれは“非政治政治性”を肯定的に捉えることで“真の政治性”を獲得したとみずから信じる者が、政治的なものが政治的な形態を取らざるを得ないというそもそもあたりまえのありかたを非難攻

    「闘わないことが闘い」
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

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    mujige 2009/05/11
    “「宮台派」と「浅羽派」の違い、「サブカルチャー・勝ち組」と「サブカルチャー・負け組」の違いだと思う(後者(=「サブカル保守」)の理論的拠り所となったのが…金光翔氏のリンクにあるように全共闘転向組)”
  • 論じる気がありません

    論争する気がありません 1997年8月25日 先日、宮台真司とその周辺の「30代文化人」を批判する論文を書いたら、「ちっとも論文の態をなしていない」「おまえは物事をきちんと論じる気がないんか」という批判をいただいた。どこからいただいたかというと、自分で出したのである。 自己批判に応じよう。 論じる気は、ない。 考えてもみよ。ぼくが宮台真司や浅羽通明や岡田斗司夫や宮崎哲弥や……といった30代論客たちに真正面から論争を挑んだとして、勝てると思うか? 勝てるわけがない。 ぼくの標榜する立場が間違っているから勝てないのではない。論争技術がないから勝てないのである。 それでは論争技術があれば勝てるのか? 勝てる。 ではなぜ技術を磨く努力をしないのか? 努力で技術が身につくわけではない。技術を身につけるために必要なのは「環境」である。 環境? しかり。こちらのレベルに見合ったほどよい論争相手が探せばい

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