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2011年11月18日のブックマーク (2件)

  • スポーツと政治 - 日刊イオ

    火曜日のブログで(K)さんから、15日に平壌で行われたFIFAワールドカップブラジル大会アジア3次予選、朝鮮民主主義人民共和国対日の試合について書いて、というリクエスト(?)を受けたので、書いてみたい。 試合の結果はご存知の通り、朝鮮が日に1-0で勝利。9月2日、埼玉スタジアムでの敗戦の雪辱を果たした。朝鮮は11日の対ウズベキスタン戦(アウェー)で負け、この試合が始まる前から3次予選突破の可能性は消えていたが、それでも自国のチームが勝ったことはうれしい。 私の職場では、みながテレビの前で試合を観戦。ゴールの瞬間は思わず歓声を上げていた。私は、といえば、その直前にかかってきた自分宛の電話に応対していて、ゴールシーンを見逃してしまった(私のデスクテレビを背にした位置にある)。 そして、ここからが題。 今回の朝・日戦もサッカー以外のことが話題になった。国交がなく、関係がよくない両国の代表

    スポーツと政治 - 日刊イオ
    mujige
    mujige 2011/11/18
    これを読んでなお、朝鮮側の対応を非難できるあなたは、立派な帝国主義者。
  • ことさら「諸説ある」と言われることの意味 - Apeman’s diary

    今年の8月17日に asahi.com に掲載された「軍都の風景2 南京大虐殺」という記事には南京大虐殺についての用語解説がついているのだが、驚くべきことにその大半は犠牲者数をめぐる“論争”についての記述に費やされている。 南京事件(南京大虐殺) 1937年12月、旧日軍が南京で捕虜や市民の殺害、略奪に及んだとされる事件中国側は、戦後の「南京軍事法廷」の判決などをもとに「犠牲者は30万人」と主張。日の研究者の間では「約4万〜20万人」の説が多数だが、「虐殺はない」との意見も。外務省は「殺害や略奪は否定できないが、被害者数の認定は困難」との公式見解を出している。 書き手の意図がどうであれ、結果としてこうした記述は「犠牲者数が不明で、諸説ある」ことこそが南京事件に関して特筆すべきことである、と主張していることになる。例えば国際法の歴史という観点から言えば、事件当時外務大臣であった廣田弘毅

    ことさら「諸説ある」と言われることの意味 - Apeman’s diary
    mujige
    mujige 2011/11/18
    アウシュビッツでも南京でも関東大震災朝鮮人虐殺でも、「犠牲者数」を攻撃するのが歴史修正主義の一つのメソッド。