星新一展には、日本宇宙旅行協会発行の火星土地分譲予約受付証まで展示されていましたね。その協会の理事長だったのが原田三夫。原田の自伝『思い出の七十年』(誠文堂新光社、昭和41年3月)に波多野春房が出てくるので紹介しておこう。 奇縁にも私は、前に秋子の夫を知っていた。かれは火災保険会社に勤めていた。たしか銀座で映画事業をはじめたときだと思うが、火災保険をつけるのに映写機の検査を受ければならぬことになり、何かの理由で映写機の置いてあった浅草へ保険会社の社員を自動車でつれていった。それが秋子の夫であった。かれはマッチをすってフィルムのかけてある映写機の窓に近づけた。乱暴なことするやつだと、私は直ちに火を吹き消したように思うが、けっきょく保険はかけられな[か]った。この暴行は下心があってのいやがらせと思うほかなかった。 波多野夫妻は初めは美人局を企てたが、秋子が真剣になったので、波多野が有島先生を脅