平安時代という時代呼称はどう考えてもまずい。奈良時代と対比して山城時代にするのがいいのではないかと考えている。 平安時代という歴史用語がいつどのように一般化したのかを調査してみる必要があるが、桓武による「平安遷都」の時の希望の歌に「平安」とあるのをそのままとった訳で、これはその時代の主観的希望にもとづいて時代名を命名するという学術的には最悪の方法である。人の客観的な姿をその自称から分析することはできないように、時代の主観によって時代の客観的な歴史像を描くことはできない。 たしかに、「平安時代」の「王権」は、王統間の軍事闘争が「保元の乱」までなかったという点では「平安」なのではある。しかし王権内部の矛盾が一貫して政治史を動かしてきたこと、そしてそれが徐々に確実に強化されてきたことを、この時代呼称はまったく曖昧にしてしまう。「平安」時代のどこが平安なのか、「平安京」のどこが平安なのかというのが