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2016年1月26日のブックマーク (2件)

  • 黒澤明の映画の視点(黒澤明の映画術) - 砂手紙のなりゆきブログ

    樋口尚文『黒澤明の映画術』(1999年、筑摩書房)は、黒澤明の映画の技法についてのみ的を絞ったで、その中では「アクション」「マルチカメラと望遠レンズ」にはじまり、「音楽」「音響」で終止する各種の演出が語られます。 作品評・役者評はまったくなくて、黒澤明がどのように映画を撮ったか、というだけの話。 こういうのはビデオ時代(何度も同じ映画の同じシークエンスを勉強のために見ることができるようになった時代)以降じゃないと難しい。 特に黒澤明の映画はわかりやすくて面白すぎるため、自分でも見ていてあまり勉強になりません。 一般的に、黒澤明の映画は昔から勉強のためになんか見られてなかったと思う。 たとえば「ワイプ」の章、『野良犬』(1949年)では、刑事が女スリを追いかける場面では9回のワイプ、『生きる』(1952年)では役所のたらい回しの場面では16回のワイプが使われてる、なんて、映画館で見ているだ

    黒澤明の映画の視点(黒澤明の映画術) - 砂手紙のなりゆきブログ
    mventura
    mventura 2016/01/26
    映画の画面と視点の話(誰に感情移入させるか / 小説だと原則一人称なので映画・漫画に慣れてしまうと難しい)
  • 動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか - 誰がログ

    【注意】このエントリは、動詞「まなざす」の意味・用法や登場した経緯や背景などについて解説したものではありません。 はじめに 下記のまとめのブコメにも何か書こうかなと書いてそのままいつもの書く書く詐欺になりそうなところだったのですが、 togetter.com その後もちょこちょこ「「まなざす」という動詞は日語としておかしい」というような言い方を見たので何か書いておくことにしました。 最後に背中を押したのは菊池誠氏の次の一連のツイートです。ただこれに似た言い方はいくつか見ましたし、共感を覚える方もけっこういるのではないでしょうか。 @kanenooto7248 はあ、「まなざす」という言葉を使うやつは嫌いだ、という話はしたけど、その出どころですか。「まなざす」は日語じゃないからな— kikumaco(9/7ベアーズ) (@kikumaco) 2016年1月25日 「まなざす」という言葉を

    動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか - 誰がログ
    mventura
    mventura 2016/01/26
    物理的に見ることではなくて、"性的にまなざす"なら"性的なものへ対象化する"みたいな感じかと思うのだけど。見る側に主観性があるから対象に意味が現れるのだし。