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ブックマーク / nov1975.hatenablog.com (41)

  • ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館

    世代論としては愚劣だと思わなくもないのは携帯世代というよりは携帯「しか」使わない世代的なものだと思っているからなんだけど、それはさておき。 今、ケータイを取り巻く世界では何が起きているのだろうか。知りたいと思っても、まとめサイトがない。PCとケータイは世界が分断されており、情報が入ってこない状態である。 http://journal.mycom.co.jp/series/mobilecom/001/index.html それ、携帯使えよw「PC世代よ、ケータイコミュニケーションを知ろう」どころじゃないだろw あえて世代論として、すごく雑感的に記すと、僕が携帯で我慢が出来ないのは、そのI/Fの劣悪さとスピード、そして何より単位時間(というより面積か)当たりの情報量なのであるが、携帯で満足している人にとってそこは重要ではないようだ。つか、僕らにとって、携帯は手段である。彼らにとって携帯は目的で

    ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館
  • 弾圧も何も、言論の自由なんて相対的にしか存在しないんだけどね - novtan別館

    言論の自由を守るためには社会に対する対価が必要なんだ。対価がバランスさせる範囲でしか言論の自由は保障されない。あくまで相対的なものだ。というと、絶対的な原理として、あるいは自然権として?、言論の自由があると思っている向きは否定するかも知れないけれども。 2ちゃんねるなんかは発生している多大なコストを払わないで回避するという荒業でコストを下げているけれども、そういう一部の例外を除けば、過剰なコスト源は排除される。フリー(タダ)でフリー(自由)なインターネットなんていうのは幻想に過ぎないことは結構な人がわかっていると思うけれども、匿名になればコストを払わなくてもいいなんて考えている人は匿名であることによるコストを少しずつ上げている。 表現の自由が、言論の自由がインターネットに与えられていると考えるのは、間違いだ。影響力×コストがトータルの支払いだとすると、既存のメディアよりも影響力が極めて過少

    弾圧も何も、言論の自由なんて相対的にしか存在しないんだけどね - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/05/01
    "影響力×コストがトータルの支払い""既存のメディアよりも影響力が""過少に見積もられている" "強い力をもつ言論にはコスト負担者がついてまわり""アブノーマルな言論は、ウェブが力を持つことによりかえって駆逐される
  • 聖火リレーで転載スパイラル - novtan別館

    ウェブリソースの無駄遣いだから勘弁して欲しい。長野県警は(ぇ 単に多くの人の目に触れさせたいだけだと思うけど、事実に対する証拠を撲滅できなくする的な効果はなくて、広まれば広まるほどデマのように思えてしまうのは何故だろう。少なくとも映像がないときついよね。 ネットが報道が明らかにしない「事実」を伝えるだろうというのはある意味幻想で、極端に言えば、ネットで明らかになるのは既存広く流布された事実に基づく真実の検証でしかない。カウンターメディア(別にカウンターじゃなくてもいいんだけど、便宜上ね)になりうる道は一つしかなくて、圧倒的なまでの同時性、これは時間だけではなく、空間もね。つまり、そこにいた人が別々に、しかし同一の現象を大量に語ることが必要なはず。転載スパイラルでは絶対に達成できない。もちろん、事実(と思うこと)を発信していくことは大事です。でも伝え方を間違うと意味なくなっちゃうかもね。

    聖火リレーで転載スパイラル - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/04/28
    ノイズの増幅
  • ウェブであることの意味 - novtan別館

    日記帳やmixiに書かない理由とも。 プライベートな空間は常に現実との接点を求めていると思う。ただ、プライベートがプライベートたる所以はコントロールが可能なところであり、逆にいうと、現実と触れるとどうしてもコントロール不能なところが出てきてしまう。そこは折り合う対象だ。 匿名での活動の一つの軸はその現実との接点を、プライベートのコントロールをさほど犠牲にせず獲得、維持することにあるとすれば、既存の手段に比べてその容易性と制御性に優れるウェブ上での匿名活動が盛んになるのは当然だ。精神的な異質物排除の傾向が強く、ロジックを用いることが一種の人格判断(例えば思いやりがないと言われてみたり)されがちな日では尚更。そういった従来の延長線上のゆるい接点がある一方で、現実のサブセットのような部分もあるわけだ。この接点は強く、浸してくる。これがあるからこそのウェブ。つまり、今までは交わりようのなかった

    ウェブであることの意味 - novtan別館
  • どうすればブクマコメントを気にしないでいられるか - novtan別館

    一度全レスしてみるといいよ!…わりと気。 その際、自分が正しいだろう前提は一旦おいておきましょう。そうしてレスをしていると、色々とハッキリしてくるように思います。自分の言葉の酷く脆弱なところとか、相手の言葉のあまりに劣悪なところとかは特に見えやすい。そして、自分が時間を費やすだけの価値があるのはどの辺なのかもわかると思います。 ある程度言葉に対する価値判断フィルターを作っちゃえば後が楽ちんですね。たまに掃除しないと目詰まりを起こすのには注意ね。 ネガティブに感じられるものを無視しましょう、という話ではありません。自己承認のみが目的ならそれでも良いですけど、発展的な何かを求めているのであれば、自分に対しての有用な批判を見つけだすのは大事です。そういう意味では価値観フィルターの見直しはすごく大事か。あれ?ブクマコメントすごく気にしてる?(笑) 腹を立てないでスルーしろって話でもないです。怒る

    どうすればブクマコメントを気にしないでいられるか - novtan別館
  • 今日からSI企業に勤める新人に向けて - novtan別館

    ようこそ、SIerの世界に。これから君達を待っているのは幾多の苦労を乗り越えて、モノを作り出していく喜びです。どんな仕事でもそうですが、決して平坦な道のりではありません。いくつかの壁を自ら、あるいは他の人の手を借りて乗り越えていくことで成長し、より大きな仕事で活躍する機会を得ていくものです。 みなさんに必要なのは、お客様へソリューションを提供する力、すなわち、問題解決能力です。一言で言うと簡単ですが、これは様々な能力の複合要素であります。是非それを身に着けて、立派なSEになってもらいたいと思います。いいSEがたくさんいて、切磋琢磨していくことで、技術も変わるし、お客さんの意識も変えることができると思います。その為の私的な心がけをいくつか紹介したいと思います。 ベースとなるのは、技術 大手のSIerになればなるほど、若いうちからプロジェクト管理などが主体となり、お客さまとお話しする機会は多く

    今日からSI企業に勤める新人に向けて - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/04/01
  • TVが面白いの面白くないのってのはコンテンツのメタ化が進んだからかも? - novtan別館

    個人的な思いとしては、あの過剰な字幕の乱舞が始まってからテレビがつまらなくなったというか、コンテンツそのものではなくて、パッケージがつまらなくなったと感じている。つまり、スポーツ中継一つとっても、その試合の内容そのものではなくて、タレントによる解説とか、特定の選手への肩入れとか、字幕とか、そういうものが試合の中身の代わりに主役になろうとしている。コンテンツの受け取り方までもがある一定方向に誘導される。それに対する反発ってのもコンテンツの受け取り方のうちなのかも知れないと思うと実に腹立たしい。 このようなメタなコンテンツに慣れてしまったからこそ、よりダイレクトなニコニコ動画のような参加型メタコンテンツが流行るのかも知れない。ここでは既にコンテンツの価値はメタ的に楽しめるかどうかに変質してしまっている。コンテンツは素材に成り下がった。 元々映像コンテンツ、特にドラマではなくてノンフィクションや

    TVが面白いの面白くないのってのはコンテンツのメタ化が進んだからかも? - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/31
  • 「何故?」に対する応答 - novtan別館

    書くことは思考の固着だというのは再三述べてきた。幸いにも僕はその思考が既に自分のものではないと知っている。いや、厳密には僕の一部ではあるけれど、練りあげて得られた理論でない限り、そのときの思考の一端を切り出したものにすぎず、将来にわたっては縛られ得ないものだ。 だから、そこに永続するロジックが存在するか否かについても保証の限りではない。 僕は、そうはいっても自分自身の中での一貫性を保とうとは思っている。趣味嗜好についてロジカルである必要性はないけれど、それ以外の言については。 ロジックの組立かたこそがその人の思考の根幹を為しているとすれば、発するに際して個別のロジックを必要としなかった不用意な言説の提示に対する「何故」と言う問い掛けは、根幹の提示要求である。 自分の思考と矛盾しない個別ロジックにより発せられた言であれば問いかけに対しての回答は容易である。そうでなければ、「何故」という問いか

    「何故?」に対する応答 - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/31
  • SI業界を目指す君達へ贈る「何故システム開発はテンパるのか」 - novtan別館

    先日学生に聞かれたんですよ。 「下流工程は大変って聞きますが、上流は楽なんですよね?」 よろしい、君はよく勉強している。でも根的に間違っている。下流工程が辛いのは、上流工程でちゃんと仕事ができなかったからだ*1。 というわけで、主に学生向きに話を単純化して語ってみます。これが普通だとか、一般的だとか言うつもりはなく、違う視点もあるかと思いますが、一つの考え方として。 SIでのシステム開発は、建設業にたとえられます。が。 顧客の希望を聞き、設計し、施工し、引き渡す。こういった工程を踏む仕事ということで、システム開発はよく建設業にたとえられます。実際に工程管理の手法なども似通っています。ところが、大抵の場合、耐震偽造をした建築物よりもシステムのほうが脆弱に仕上がります。何故でしょうか。 一つには、建物の図面を引くには建築士の資格が必要ですが、システムの設計に資格は必要ありません。 もう一つ、

    SI業界を目指す君達へ贈る「何故システム開発はテンパるのか」 - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/25
  • 20XX年、世界はマッチョで溢れ、人類は滅亡の危機を迎えていた… - novtan別館

    もはや、働かなくてもかなり豊かに暮らせるようになった旧世代のある中年は、 「もはや、私たちの役目は終わった。我々はもう経済を支えなくてもいいんだ。 マッチョたちに任せておけば、日は安泰だ。 金を稼ぐのはマッチョの役割。ゆっくり余生を楽しむのが私たちの役割だ。」 と言いながら、寂しそうに笑った。 2010年、マッチョ主義によって日社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ そして、世代は一回りし、世界はマッチョで溢れた。 「どうする?地球はもういっぱいだ」 「明るい未来の為に子供を作りすぎたな俺達」 「なんとかなるって。居住可能な惑星の探索もそろそろ結果が出ていいはずだ」 楽観主義に溢れるマッチョの策は、常に希望に溢れていた。彼らにとって宇宙は無限に広がるリソースの山だ。しかし、未だ太陽系外に到達するテクノロジは開発されず、

    20XX年、世界はマッチョで溢れ、人類は滅亡の危機を迎えていた… - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/02
    労働競争の極み 個々人が全力で労働すると… /マッチョ個人の老後的なものはどうなるんだろうか 労働に全力投資した人の人生
  • 小市民を作っているのはマッチョどもだろ? - novtan別館

    悪いマッチョが小市民を作るんだよ。 どれもそうだということは出来るけど、直截的には君の上司や同僚といった、君の隣で働いている人たちだよね? その彼らに思い切って聞いてみればいい。「なんで僕にこんなひどい仕打ちができるんですか」って。 404 Blog Not Found:小市民の敵は、小市民 設定があいまいだから、何パターンかあると思うけれども、僕がその上司や同僚だったらこう答えるかもしれない。「そうしないと俺の給料が下がるからだ」 「マッチョになれ」「マッチョになれ」と繰り返し尻を叩かれるのはそういうことだ。競争が悪いわけではない。他人を犠牲にしないと成果が出せないような、あるいは、どんなに効率化しても「ならもっとできるだろ」と更なる結果を求められ、効率化でようやく一人前になった人を能力的に脱落させ、徹夜の連続に追い込むような、そういうマッチョが。「俺は出来た」ならば、スタープレイヤーだ

    小市民を作っているのはマッチョどもだろ? - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/03/02
    >平和では競争に勝てない 資本主義の原理的なところか。/定量評価されるようになったものは競争・市場の枠組みに取り込まれ、運用される というようなのを思い出した
  • 成功体験では人は救えない - novtan別館

    成功体験においては、往々にして、その成功においての最も重要な要因が「努力」「決断」「行動」として語られる。多分、もっと重要な要因がある。「才能」「環境」「運」だ。しかし、これらは自らの意思そのものではない。無論、これらの要因も人の「努力」「決断」「行動」によって作り上げられて来たものであることはあるけれども、つまるところ「実力」なのだよね。やるやらないの前にできるできないが大きな壁として存在することは、多くのケースで無視される。そりゃそうだ。当人にとって見れば、実力は人生の結果なんだから。 叩かれるのを承知で正直に告白すると、ぼくはいつもろくに残業せずに、睡眠時間と読書時間はたっぷりとりつつ、わりと頻繁に休日出勤をして快適に仕事を楽しみ、休日出勤手当がどんどんぼくの銀行口座に振り込まれた。 仕事時間中に、じっくり良い技術書を読みこなし、納得のいくまでプログラムを作り込んだから、僕のソフト

    成功体験では人は救えない - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/02/29
    "競い合い、高めあうのと違う、責任の押し付け合いと要領のよさと。" "他人を蹴落とさないと生き残れないことを「仕方ないから」と是とするには" "ITの効率化によって、大部分はいつか要らなくなる雇用。"
  • エルマークってのはエコマークとかそんな奴か? - novtan別館

    正直なところ、主意には賛同できるけれども、「適法サイト」であることを示すマークとやらが、特定の業界団体の制定するものであっていいものかどうか、判断しかねる。 例えば、エコマークなんかはエコ製品かどうかの一つの指標にはなる。ただ、審査をしているかしていないか、した結果として認められなかったかどうか、なんてのはわからない。だから、「ある基準においてエコっぽいマーク」であるに過ぎないけど、十分指標としては利用されているよね。これである認定基準に達しているのはわかるから。ただ、エコマークをつける側は使用料を結構取られる。 一方で、エルマークはどうかっていうと 社団法人日レコード協会(RIAJ)が発行機関となり、エルマークの使用許諾条件を満たしたレコード音源等の配信サイト運営事業者に発行します。 http://www.riaj.or.jp/shikibetsu/ よくわかりません。審査するってより

    エルマークってのはエコマークとかそんな奴か? - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/02/20
    "適法サイトマークがついていないサイトは危険だよ、行かない方がいいよ" 古紙100%笑った
  • なんか、匿名至上主義者の代弁をしている気になってきた - novtan別館

    いやね、前書いたエントリのコメント欄(ここ)でだいぶ議論してたんだけど、どうも自分の主張が単なる対抗言論になっている気がしてきて、仕事の休み時間に昔のエントリを読み返したりしてみたんだけど、アレだ、僕が匿名をなんとしても維持すべき、ってのは、対抗言論のときしか言ってないな。つまり、あまりに急進的な原則実名主張に対して、そりゃあんまりだっていうときにだけ。だけってのはいいすぎかもしれないけど、ウェブについて書いたエントリは、大抵無法はそろそろ終わり的な論調なんだから。 今の社会の中で、直接ウェブに現実世界を適用するのは乱暴だよね、って言っているにすぎないことが多いんだけど、匿名すなわち悪と断定されるとどうしてもそこは否定したい。僕は匿名ではあるけれども、それなりに頭を使えば実名を知る手段はあるし(だからって公開して欲しいとは思わないけど)、会社の名刺を渡している人だっている。僕自身、ウェブ上

    なんか、匿名至上主義者の代弁をしている気になってきた - novtan別館
  • ウェブ自由主義の敗北 - novtan別館

    既に、我々は敗北している。何に?現実の世界にだ。 急速なウェブの拡大は我々に何をもたらしたのか。限りない自由の世界への展望か?否、現実からの干渉である。あまりに急速な成功は、現実のビジネスとの融合を余儀なくされる結果を招いた。我々の回線使用料で整備されるはずのインフラは広告料や囲い込み戦略というビジネスによってとって替わられた。もはやそれなしにはインフラは成り立たない。そう、ビジネスに乗っ取られたのだ。 そして、我々の自由な発言は、ビジネスの波と共に押し寄せた一般人によって危機に晒されている。小人のなす…しかし数だけは多い…不善により、匿名は悪のレッテルを貼られ、撲滅されかかっている。小人どもは自らのなしたことが自由への攻撃であることも認識していないであろう。ビジネスに飼い慣らされた消費者は自由への敵であり、しかし、味方でもある。これは我々の戦術的敗北である。 一つの手段としてのウェブは終

    ウェブ自由主義の敗北 - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/02/05
    "現実の浸食度が高まれば高まるほど、規制も、また利権も現実に近づいていく。"
  • ネガコメを非難できるほど立派なこと書いてない - novtan別館

    誤解を招くこともいっぱい書いたし、いろんな解釈ができることについても自分の考え方、見え方からのエントリを書いたりもしたし、感情的なことも書いてきたんだけど、ブクマコメント読んで、一瞬カチンと来ることなんて何度もあるけれども、「ふざけんなこのヤロー表へ出ろ」みたいな思いを抱いたことがない、というのは幸せなんだろうか。単に書いていることが無難なだけかも知れない。 僕は自分が間違うことも、全方位から見て正しくないことも、知っている。いや、僕がなんていうのもおかしいな。何事にも反対の意見、立場ってものはあるんだから、100%受け入れられるなんてことは人智を超えた何かが介在しない限りありえないんじゃないか。1+1が3であることはそうはいってもありえないかもしれないけれど、定義は意見じゃないし、3である異世界に思いを馳せることはきっと楽しかったりするだろう。 前にも書いたような気がするけれども、コメン

    ネガコメを非難できるほど立派なこと書いてない - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/01/31
    「考え方が違って当然、でも僕はこう思う」と「自分は正しいはず、みんな賛同してくれるはず」
  • 自らの信念のみにより何かを動かしたい人はブログを書くべきではない - novtan別館

    忘れない為のアイディアノート。内容は練れてません適当です。 何かを提言するだけの人はバランスよく人の意見を聞かなければならないと思う。自分はこう思う、しかし、こういう考え方もある。どちらも間違ってないし、いいところを取り入れて、こういう風になっていったらよいね、というように。そういう人が、自分の考えを練り上げる過程で例えばブログで発信するような、反論を受け付けます。議論をします。悪いところがあれば直しますし、他の良いところは取り入れます、というような行動を取るのは非常に納得感がある。 しかし、気で何かを動かしたいと思っている人が取るべき戦略はそうではないのではないか。 自らの信念のもと、強引に実行に移し、既成事実を作ってしまうか、あるいは、反論の必要を認めず、人を洗脳するかのように自らの考えを広めることが最適だろう。そして、それを行う場としてブログは全く相応しくない。 言論人としてブログ

    自らの信念のみにより何かを動かしたい人はブログを書くべきではない - novtan別館
  • 実名化によるインターネットの健全化とは - novtan別館

    今のわりと不健全(その定義はひとまずおいておく)なインターネットに慣れ親しんでいる人にとっては、完全実名化で世間を気にしなければならないウェブにどれほどの価値があるんだ、と疑問を抱くのは自然な事です。一方で、ウェブが現実に対して持つ発言権がイマイチなのも、同じ理由であり、つまり、不健全さによって保たれている価値と毀損されている価値があること自体は否定しづらいものではあります。 しかし、実名化をすることはメディアとしてのウェブの発言権を増す結果にはなり得ないと考えています。何故なら、実名化は現実の権力を持ち込むことに他ならず、現実と同じ抑圧を受けたり、現実と同じような、権力を笠に着た物言いを許すことになるからです。今、現実で実名で発言している人の「個人」が重要なのか「肩書き」が重要なのかといったら前者であるケースがほとんどでしょう。 われわれ、特になんの力もない人間はしかし「市民の声」という

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    n-e
    n-e 2008/01/23
    "「市民の声」という匿名かつ多数であることのできる形態" "不特定多数コミュニケーションでしかできないだろうこと" "「~には相応しくない」という主観で行動を制限される"
  • 自由なウェブ幻想 - novtan別館

    幻想なのは匿名性と言うよりはウェブが自由であることそのものなのではないか このブログを書き始めたときからいくつかのウェブの自由についてのエントリを書いています。 やっぱり自由なインターネットは廃止すべき - novtan別館 そろそろインターネットの自由な利用の制限という潮流についてまとめておこう - novtan別館 インターネットの自由とは - novtan別館 それにしても、自由な社会は世知辛い - novtan別館 ウェブは公共空間(断言) - novtan別館 「ウェブの自由」の範囲について - novtan別館 自由な言論とウェブの自由 - novtan別館 わりと最初からウェブの自由については懐疑的なんです。それはなぜか。僕はもはや古参ネットワーカーな方だと思うのだけど、いよいよインターネットの世界も変貌してきたかな、と思ってきたから。それは、CloseだったウェブがOpen

    自由なウェブ幻想 - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/01/15
    ウェブはpublicになった。
  • 実名の横暴「も」何とかしないとウェブに未来は無いかも知れない - novtan別館

    よく、でもないか、作家が私小説を書いて周囲の人に訴えられるじゃないですか。その作家を個人的に知っている人にとって、モデルが自分であることが明らかであり、プライバシーの侵害だったり、名誉毀損になるから出版差し止めろ、とか。 今まではそういう事件ってのは普通の人には関係ない、あったとしても新聞の投稿欄とか読者参加型番組みたいなごく限られた部分であるわけで。記録としては残るけれど、情報として辿ることは困難な。 でも、ウェブの時代になって、そうでもなくなっているわけです。実名の人が自分の領分の中で書いたものはあまり問題になりません。専門家が専門のことを書いたような。作家でもそうだけど、エッセイみたいなものを書き出すと危ない。あ、あれもしかしてあの人のことを言っている?みたいなのを平気で物してしまいます。まあでも大抵のことは害が無い。でもたまに罵倒したりもする。さて、どこまで許されるのかな。 こうい

    実名の横暴「も」何とかしないとウェブに未来は無いかも知れない - novtan別館
    n-e
    n-e 2008/01/15
    実名ならなおさら発言には責任を。