■はじめに 湯口事件とは、読売ジャイアンツの湯口敏彦投手が1973年3月22日に急死したことをきっかけに、当時の川上哲治監督はもとより、球団全体へのバッシングに発展した事件である。 ■湯口敏彦という人物 岐阜県短期大学付属高等学校からドラフト1位で巨人で指名。左投左打の投手。1970年の春、夏に甲子園出場。高校時代にノーヒットノーランを3度達成(そのうち1度は完全試合)。ドラフトでは島本講平投手、佐伯和司投手と合わせて三羽ガラスと呼ばれた。選手としてはストレートの球威はよく、角度のあるカーブが武器。しかし、制球難であった。 ■湯口事件 1970年の第6回ドラフト会議でドラフト1位で巨人に入団。当時の巨人はV9の途中であり、当時監督の川上哲治はドラフト1位指名選手を即戦力から将来性重視の方針に切り替えた。 湯口は性格がおとなしく、プロ向きではないという声もあった。また湯口本人も地元の中日ファ