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2008年1月7日のブックマーク (5件)

  • 鏡音リンが発売直後にいきなりやさぐれている件 - 敷居の部屋

    去年の年末に発売されたばかりの期待の新ボーカロイド「鏡音リン」。年末年始でさぞやたくさんの動画がニコニコにUPされてるんだろうなーと思われます。というわけで、今日のニコニコのマイリストランキングをのぞいてみました。 こんなことになってます。 ろ、ロードローラー……? 現在一位はコレ。「みくみくにしてあげる」のカバーですね。 ブレーキついてないけど そんなの関係ねぇ♪ 「油断は死の香り」って危険すぎるだろオイ。 閣下の「Gamble Rumble 春閣カー微黒ver」で培われた高速コメ職人も混じり、ずいぶんとカオスな空間ができあがっております。 で、2位がコレ。 「黄色くぶっといロードローラー」のコーラスと共に、ロードローラーに乗ったリン・レン登場。 冒頭の歌詞はこんな感じ。 (レン)クリプトンの社屋から買ってくれた愛しいアナタのもとへ (リン)自慢の「愛車」で向かうから 受け入れ体制整えて

    鏡音リンが発売直後にいきなりやさぐれている件 - 敷居の部屋
  • 嫌なら見るなよ。 - 煩悩是道場

    雑感 「嫌なら見るな」web上のいろいろなところで目にする、とても厭な言葉である。去年はSchool Daysと初音ミク界隈で見聞きした。嫌なら見なきゃいい、聴かなきゃいいのになぜわざわざ文句をつけるのだろう、と。これは相互理解を初手から放棄して自ら蛸壺に篭もる態度の表明である。新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい - HINAGIKU 『らめぇ』嫌なら見るなという言葉を投げつけられる言説の多くはハナからポジティブな意見と「対話」をする気など所有していないのではないだろうか。相互理解を初手から放棄しているのは「嫌だ」という感情のみを放った側ではないのか。「嫌だ」という感情のみを放たずに「何故嫌なのか」「どのように嫌だと思ったのか」について語れば、そこにコミュニケーションが生まれるとは考えないのだろうか。 コミュニケーション・議論をする態度にある言説に対して「嫌なら見るな」

  • 同調圧力から負荷分散へ - 萌え理論ブログ

    モダンとポストモダン 新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい - HINAGIKU 『らめぇ』 「嫌なら見なきゃいいのになぜわざわざ文句をつけるのだろう」という言葉には、こう返せるのだ。「文句つけられたくないなら書かなければいいのになぜわざわざネット上に書くのだろう」 近頃何においても、クラスタ化(個人的には言霊の力を信じて『くら☆すた』と表記しているが)し蛸壺化する流れを感じる。それも、とても細かい単位で。軋轢を拒み、軋轢を生みそうな相手との接触を避けて生きるのは賢明だろうが、そこには生の熱さがない。自家発電もいい、同好の士とともに熱狂するのもいい。だが、他者とのぶつかり合いもまた、エラン・ヴィタールなのだ。 異を唱える者とは徹底的にやりあうべし。 戦術レベルで実際に議論に巻き込まれたときに、議論の土台自体を揺るがしてしまう「嫌なら見るな」を、肯定するわけにはいかないだろ

    同調圧力から負荷分散へ - 萌え理論ブログ
  •  積極的にオタクであるということ。 - Something Orange

    先日、大泉さんの「オタクとは何か?」でぼくの言葉が引用されていたことを紹介しましたが、誤解を招きそうなところに解説をいれておきます。 このテキストの中で「どうして俺は女子高生じゃないんだ」(『マリみて』ファンの男性の掲示板への書き込み)という発言を含む熊田一雄の文章が引用されている(『“男らしさ”という病?』風媒社)。ある意味で、これまで見てきた萌え系のオタクの行動を象徴するような一言である。 kaienさんはこのようなオタクの行動の背景にあるものを「女性性への憧憬」と「男性性への嫌悪感」であるとみる。前者について僕の意識は向いていたが、後者については十分に意識していなかったので、この指摘はありがたかった。 この部分、たしかにそういう話はしましたけれど、そういうひともいるよね、という次元のことであって、オタクが皆そうだといっているわけではありません。 百合もBLも合わせて読みますよ、という

     積極的にオタクであるということ。 - Something Orange
  • ■Arthur Clarke's 90th birthday reflections video  アーサー・C・クラーク 90歳の誕生日メッセージ - ★究極映像研究所★