自分は「コアゲーマー」「ライトゲーマー」という言葉が好きじゃありませんでした。 定義が曖昧なまま“何となく”使われているにも関わらず、「ライトゲーマーのせいでゲーム業界はダメになったんだ」みたいなスケープゴートに利用されたりする。「よく分からないものに責任を背負わせて理解した気になる」、そんなの「天狗の仕業だ」と言っているのと大差ないじゃないか、と思っていました。 (関連記事:「コアゲーマー」の定義は発言者の立場によって異なるんじゃないか) ただ、現実問題としてどんな分野にも「コアなファン」「ライトなファン」がいるのも確か。 先日まで行われていたサッカーのW杯で、「コアなサッカーファン」「ライトなサッカーファン」が一緒になって試合を観ているという現象が起こっていて色々と考えさせられました。ゲームとサッカーに限らず、小説でも映画でも音楽でも「コアなファン」「ライトなファン」には分かれてしまい