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ブックマーク / www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto (5)

  • 講演「社会の二層性あるいは『二重社会』という視点」

    タイトルについての説明からしておこう。「社会の二層性」ないしは「二重社会」という視点は、最近、湖中真哉さんが、『牧畜二重経済の研究』[湖中 2006]によって見事によみがえらせた、J・H・ブーケの「二重経済」論の前提となっている「二重社会(dual societies)」という用語を、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準(niveaux d'authenticite)」の議論の帰結を表すのに援用したものである。この講演では、この視点を、グローバル化に直面して絶望的な困難さを抱えながら生きている「小さなもの」たちが、その生をまっとうするための実践を理解するのに必要かつ重要となる視点として、提示したいと思う。そして、副題として付けている「小さなものの敗北の場所から」というのは、思想史家の市村弘正さんの「小さなものの諸形態」というエッセイから取ったものである。

    nabeso
    nabeso 2011/01/31
    真正性/非真正の区別は、メディアによる複雑性の縮減ではない、とのこと
  • 現代社会の「個人化」と親密性の変容

    世界的にみて現代社会が新しい段階にきているということはしばしば指摘されている。この段階は、経済的には「新資主義 new capitalism」、政治的には「ネオ・リベラリズム」の時代と呼ばれており、社会学的には、新たな「個人化」(「非線形的な個人化」)[Lash 2001]によって社会のあらゆる面での「液状化」[バウマン 2001]が始まっている段階とされている。「個人化」とは、職業やライフスタイルや人間関係や消費などのあらゆることが、社会の規範や規制といった枠組みによらずに、個人の選択の対象になってきたことを意味する。それ自体は、19世紀に始まる「モダニティ=近代」の特徴の延長線上にあるといっていい。しかし、現代の「個人化」は、19世紀から20世紀半ばすぎまでの「個人化」とでは(延長線上にあることは間違いないが)その様相が異なっている。 ドイツの社会学者のウルリッヒ・ベックは現代の社

  • 集中講義「アイデンティティ・ポリティクスと真正性の水準」

    *2007年度首都大学/東京都立大学大学院集中講義(9/11〜9/14)の講義ノートです。ただし、「5.交換可能性/交換不可能性と真正性の水準」は時間が足りなくなって、実際には講義できなかった部分です。 上野千鶴子さんは、『脱アイデンティティ』の序章で、「社会集団が包括的帰属から部分帰属へと変化するにつれ、断片化されたアイデンティティのあいだを、一貫性を欠いたまま横断して暮らすことも可能になった。この複数のアイデンティティのあいだに、強い『隔離』や『非関連』が成立した状態を、私たちは『多重人格』とか『解離性人格障害』と呼ぶが、それは病理である以前にポストモダン的な個人の通常のありかたではないだろうか」と述べて、さらに「アイデンティティの理論の革新は、アイデンティティ強迫や統合仮説と対抗してきたが、それらの努力は、『宿命』としてこの強いられた同一性から逃れたい、または逃れる必要があると考え

  • オンライン書籍 日常的抵抗論

    日常的抵抗論 Web版 2003/12/10版 このところ時間のあるときに加筆してきた『日常的抵抗論−〈いま・ここ〉を生き抜く術のために』の草稿です。あまりに増殖しすぎていつまでも完結しないため、まったく違った形でにまとめることにしました。ただ、ここまで増殖したものを放棄するのはしのびないので、紙のになるものとは別のものとして、オンライン書籍の形で公表することにしました。ひまなときにでも目を通していただければ幸いです。また、近いうちに刊行される単行(時期は未定ですが、枚数は3分の2くらいになり、内容も大きく変わります)との異同やどっちが良いかなど、比較してみるのも一興でしょう。 目次 序章    日常的実践と〈顔〉のある関係性 1.   「日常的なもののやりかた」への注目 2.   共同体/公共圏/親密圏 第1章  異種混淆性とクレオール 1.     境界や起源に先行する異種混淆

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    nabeso
    nabeso 2007/01/05
    人類学者小田亮氏のサイト。書評など
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