衆院の選挙制度改革をめぐって、多くの党が議員定数の削減を競っています。 議員定数を掲げる各党に共通する主張は、2014年度から消費税率が引き上げられることに伴い、国会自らが「身を切る」姿勢を国民に示さなければならないというものです。 もっともらしく聞こえますが、多くの疑問点が浮かびます。 例えば、今の選挙制度改革の焦点は、司法から「違憲」と判断された1票の格差の是正に移っています。1票の価値が等しくなければならないという考え方の是非を別にすれば、定数削減は、格差是正とは逆方向に進みます。都道府県に人口比例で選挙区を割り振るやり方だと、母数が小さくなるほど1票の格差が拡大する傾向があるからです。実際、中選挙区制当時は、「1票の格差」が問題になると、定数を増やして是正を図っていたものです。 定数を削減すると「1票の格差」が拡大傾向 現在、自民党と公明党が成立を急いでいる「0増5減」(5県で一つ
韓国や在日韓国・朝鮮人の“歴史認識”には困惑する事が多い。しかし、彼らの主張の是非を判断する材料に事欠く人も多いであろう。中国史や欧州史のファンはいても、朝鮮半島史は人気では無いからだ。そんな知識の狭間を埋めてくれるのが、呉善花氏の「韓国併合への道 完全版」だ。 第1章から第10章までが、朝鮮半島から見た韓国併合までの政治史になっており、日清、日露戦争の経緯が描かれている。中華思想をより所とする古代社会的な朝鮮社会が、内部分裂を続けることにより、社会体制の刷新が出来ず、独立の維持に失敗していく様子が良く分かる。2012年の加筆により、第11章で併合後の日本統治の実情が示され、第12章で現代の反日感情事情が語られている。 1. そもそも李氏朝鮮はダメな国だった 本書では経済や風俗の描写がほとんど無いのだが、李氏朝鮮は古代社会的な側面を色濃く残し、極端に政府機能が弱かったようだ。奴隷のいる身分
【北京=竹内誠一郎】中国河北省の地元紙「河北青年報」(電子版)によると、同省石家荘市平山県で、幼稚園の通学路に置かれていたヨーグルトを飲んだ5歳と6歳の女児2人が、4月24日から5月1日にかけ、相次いで死亡した。 警察当局は、別の幼稚園の園長が、ヨーグルトに殺そ剤を投入し、通学路に置いていたとみて調べている。 女児2人の祖父が、通学路に落ちていた瓶詰めのヨーグルトを拾い、持ち帰って2人に飲ませた。二つの幼稚園は、園児の勧誘を巡って対立していたという。
夫…会社経営(31) 私…その手伝い(27) 夫が起業し、私も手伝い、会社が落ち着いた去年の夏に入籍した。 学生時代のバイト先で出会い、辞めた後も飲み友達として時々会い、数年経って恋人へ。 夫から告白された。そこに至るまで色々あったけど割愛。 夫の両親も私の両親も大賛成で、幸せな結婚生活になるはずだった。 私は事務だけして家事をやっている。営業を任せられたこともあったが、上手く出来なかった。 私はとことん要領が悪く、ミスが続いてしまうこともあって夫の機嫌はどんどん悪くなっていった。 はっきり言ってお荷物だと思う。 それならばと、家でも仕事をする夫に快適に過ごしてもらうため、家事や身の回りの世話を全て行った。 ご飯は毎日レシピサイトや本とにらめっこ。 夫が好きな野菜中心の料理。インスタント・レトルト嫌いなのでほとんど手作り。洗濯物・アイロンがけはもちろん、掃除や
安倍首相は、念願の憲法改正に向けてテンションが高まっているらしい。外遊先でも、改憲を夏の参院選の争点にする意向を改めて示し、「まず国民投票法の宿題をやる。その後に96条から始めたい」と述べた。 サウジアラビアでスピーチする安倍首相(首相官邸HPより)第96条は、憲法改正の手続きを定めた条文。改正の発議のために必要な「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」を「過半数以上の賛成」にして、改正を容易にしようというのが、今回の改正の狙い。ただ、「96条から」との発言からも明らかなように、これはほんのとば口に過ぎない。では、ゴールはどこにあるのか。 自民党は、昨年4月に「日本国憲法改正草案」を決定している。マスメディアでは、この問題となると、第9条を書き換えて軍隊である「国防軍」を設置することばかりがクローズアップされがち。確かに、それは重要なテーマではあるが、自民党が目指すゴールは、そういうレベルの
1,憲法は国民を縛る鎖ではない もう、言いたいことはこれに尽きるかも知れない。”憲法は国民を縛る鎖ではない”と。ホントにこれ。憲法は国民が国、国家を縛る鎖であって、国が国民を縛る鎖ではないのです。これが他の普通の法律と違うところだと思います。他の法律は、日頃接する多くの法律は私たち国民を縛ります。やれ自動車は時速60km以上で走るな、やれ万引きするな、やれ路上喫煙するな、やれ未成年で飲酒やタバコするな、やれ消費税払え、やれ違法ダウンロードするな、と。でも憲法は違う。 そもそも、どうして法律が私たち国民を縛ることができるのかというと、それはその法律が憲法の枠組みの中に収まっているからに他ならないです。行政の行いもそう、憲法の枠内でのみ国は何かが行えるんです。 つまり、憲法とは国民が国を縛るための鎖だということ。 乗馬を想像してください。騎手が国民です。馬が国家です。鞍が法律です。そして、手綱
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