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1970とsociologyに関するnabinnoのブックマーク (7)

  • 好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影

    カナダの著名な写真家グレッグ・ジラード氏は1976年4月に東京に降り立った。東京にはほんの数日だけ滞在するつもりだった。当時、20代前半の「貧乏旅行者」だったジラード氏は、滞在コストの安い東南アジアの目的地に向かっていた。 ジラード氏は羽田空港で荷物を預け、泊まる場所もなく、東京での初日はカメラを片手に活気のある新宿の街を歩き回った。 「当時、西側諸国でこの近代都市(東京)をテレビなどで目にする機会は皆無だったため、見るもの全てに驚いた」 ジラード氏はビデオインタビューでそう振り返った。 西欧諸国の一般の人々がアジアの主要都市を知るきっかけとなったのはSF映画「ブレードランナー」や90年代のポップカルチャーだったが、ジラード氏が東京を訪れたのはそれよりもはるか前だったという。 「結局、東京に到着したまさにその日に、ここに滞在しようと決めた」(ジラード氏) ジラード氏の気まぐれで始まった東京

    好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影
    nabinno
    nabinno 2023/01/01
    写真自体にあまり珍しさは感じないな。
  • Japan in the seventies (2) 70年代の日本

    Second and final part of an educational film for American school children forty years ago. I get many comments on the bath scene. When I was in Japan in the late fifties Japanese used to wash themselves with soap outside a bathtub. The water in the tub was awefully hot. One had to sink in it very slowly. The whole family used to relax one after another in that same tub! I took once such a bath

    Japan in the seventies (2) 70年代の日本
  • 「非実在生徒会」の歴史や特徴について、頂いた情報をまとめます【創作系譜論】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    【創作系譜論】 強大な権力を持ち、主人公のライバルになる『非実在生徒会』の歴史、元祖は?【創作系譜論】 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150118/p3 からの続き(情報まとめ)です。 年代ごとの一覧表(暫定) ※注意 ・いただいた情報の中で「これはちょっと違うけど…」「敵役は、生徒会じゃなくて番長グループとか教師だけど」…という保留があったものも、とりあえず一覧にまとめています。 ・「ちょっと違う」情報をもらってるものを紫にしました(確実な定義や確認ではない)。 ・「違う」の方向性も「敵役は生徒会ではなく非公式の番長、有力グループ、あるいは教師集団である」というのもあれば「生徒会は出てくるけど、敵役とか主人公の敵ではないよ」「というか主人公が生徒会側だよ」というのもあります。 前史 『坊っちゃんや破戒』(※学園内権力闘争の意味で) 石坂洋次郎青春小説

  • 天国から地獄へ : マンガから見た日本の第二次世界大戦の記憶:敗戦直後から1970年代まで | CiNii Research

    タイトル別名 テンゴク カラ ジゴク エ マンガ カラ ミタ ニホン ノ ダイ 2ジ セカイ タイセン ノ キオク ハイセン チョクゴ カラ 1970ネンダイ マデ テンゴク カラ ジゴク エ : マンガ カラ ミタ ニホン ノ ダイニジ セカイ タイセン ノ キオク : ハイセン チョクゴ カラ 1970ネンダイ マデ Tengoku kara jigoku e : manga kara mita Nihon no dainiji sekai taisen no kioku : haisen chokugo kara 1970nendai made From heaven to hell : World War II memories in Japan as seen through the manga, immediately after the war to the 1970s ty

  • 脱工業化社会 - Wikipedia

    脱工業化社会(だつこうぎょうかしゃかい、英: post-industrial society)とは、工業化を経た産業社会(工業社会)がさらに発展し、産業構造において情報・知識・サービスなどを扱う第三次産業の占める割合が高まった社会のこと[1]。「脱工業社会」、あるいは「脱産業(化)社会」、「ポスト工業(化)社会」とも呼ばれる。 脱工業化社会(あるいは脱産業社会)という語は、1962年に初めてアメリカの社会学者ダニエル・ベルによって定式化された。ベルは、それまでの伝統社会/産業社会(ないし近代社会)の二分法による社会学的歴史区分では当時の社会変動を読み解けないとして、脱工業化社会を第三の区分として導入した。その後、論者によって意味やニュアンスの差を伴いながらも使用されるようになるが、アラン・トゥーレーヌやアルビン・トフラーなど多くの論者は情報・知識・サービスなどを扱う産業が社会において重要な

  • Британские субкультуры 1970-1990-х годов

  • カルチュラル・スタディーズ - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年5月) カルチュラル・スタディーズ (Cultural studies) は、20世紀後半に主にイギリスの研究者グループの間で始まり、後に各地域へと広まって行われた、文化一般に関する学問研究の潮流を指している。政治経済学・社会学・社会理論・文学理論・比較文学・メディア論・映画理論・文化人類学・哲学・芸術史・芸術理論などの知見を領域横断的に応用しながら、文化に関わる状況を分析しようとするもの。日語に直訳すれば「文化研究」あるいは「文化学」だが、日国内ではもっぱら「カルチュラル・スタディーズ」と表記される。 カルチュラル・スタディーズが成立する背景として、レイモンド・ウィリアムスなどのマルキストによる

    カルチュラル・スタディーズ - Wikipedia
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