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ブックマーク / www.mishimaga.com (4)

  • 第7回 未来の巨匠たち。その世代と。|今を歩く|みんなのミシマガジン

    2016.12.13更新 タイのプミポン国王が崩御する少し前のことだが、10月にまたバンコクを訪れた。東京に既に訪れていた秋の気配はバンコクの街にはまだ無かった。あるいはそういう気配は訪れない場所なのかもしれない。春に来た時と変わらず空港の中にはじっとりとした湿気に満ちていた。半袖姿の屈強な警備員の姿をみて、寒い場所から自分は来たのだと改めて思う。 同じことを今は亡き梅棹忠夫が『文明の生態史観』(1957)に書いていたことを思い出した。梅棹は日から東南アジアへと降りた私とは逆の立場で、中東から東南アジアへ長い旅を経て東京の空港に降り立った時に、日に漂う空気の肌寒さを感じたらしい。日という国は寒い国なのだ。 仕事の合間に、バンコクの友人プロジェクトを手がけたという百貨店の内装を観に行った。Siam Discovery(サイアムディスカバリー) という百貨店はnendoを主宰する日

    第7回 未来の巨匠たち。その世代と。|今を歩く|みんなのミシマガジン
  • 第44回 あのー、ご趣味は|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン

    壇上にいるノーベル物理学賞受賞者に私は尋ねた。「あのー...ご趣味は...」と。 秋。スポーツ、芸術、欲、日シリーズの季節である。ところが、スポーツ新聞の社会面の記事を担当する私にとって、近年はノーベルウィークの到来あるいは襲来を意味する色彩が強くなっている。 何しろ日人が獲りまくるのだ。過去の全受賞者は24人だが、2008年以降に半数の12人が集中している。「毎年誰かが獲る」という恐るべき単純計算が成り立つことになる。さらに毎年忙殺されるのは、あの方の文学賞受賞時の準備である。来年こそ...。 案の定、今年もオープニングの医学生理学賞で北里大特別栄誉教授の大村智さんが受賞。さすがに2夜連続は...などと言っていると御家芸の物理学賞で東大宇宙線(宇宙船じゃありません)研究所長の梶田隆章さんがノーベルウィナーとなった。候補に名前が挙がっている時点でバタバタバタ! カウントダウンでドキ

    第44回 あのー、ご趣味は|いささか私的すぎる取材後記|みんなのミシマガジン
  • 第6回 海外生活のはじまり|なめらかな会社が好き。|みんなのミシマガジン

    シリコンバレーと聞いて、みなさんどんな場所を思い浮かべますか。 世界的なハイテク産業の中心地。かつて、ヒューレットさんとパッカードさんというスタンフォードの同級生だった二人が、大学近くの家のガレージで音響の電子計測機器を開発し、そこからHP=ヒューレット・パッカード社が生まれました。1939年のことです。大学院の教授も二人の起業を助け、世界的な企業に成長します。 HP社に続いて、世界中のパソコンに搭載されているCPUの開発を手がけるインテルなどの半導体企業や、Appleのようなコンピュータメーカーが生まれ、世界のコンピュータ産業を率いてきました。 半導体にはシリコンが使われるために、サンフランシスコからサンノゼにかけて、半導体やIT系の企業が集積するエリア一帯が「シリコンバレー」と呼ばれるようになりました。 そして、インターネットの時代が到来すると、ハードウェアメーカーだけでなく、Yah

  • 第1回 胡散臭いのが嫌いです。|なめらかな会社が好き。|みんなのミシマガジン

    こんにちは。近藤と言います。「はてな」というインターネットの会社を経営しています。2001年に会社を作ってから、13年目になりました。思えば随分長い時間になってきました。 会社を作ったのは25歳の時。就職活動をちゃんとやらず、進んだ大学院も中退してぶらぶら、いや、悶々と過ごしていたんですが、ふとしたきっかけで会社を作ろうと思い立ち、気付けば13年もやっています。 よくここまで続いているな、という感覚もありますし、まだこんな所までしか進んでいないのかよ、という気持ちもあります。まあしかし、それが自分です。それ以上でもそれ以下でもない。たぶんもう一度やってもたいして違いはないでしょう。 なぜきちんと就職活動しなかったかというと、ひとことで言うと胡散臭かったんですね(笑)。 だいたい、中学生になったあたりから、僕は世の中とうまく折り合いがつかなくなってきました。だって、なんだか胡散臭くないです

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