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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • なぜ格差は広がっているのにアベノミクスが支持されるのか - 第三の波平ブログ

    ピケティの「21世紀の資」が自由主義に与えた衝撃 自由主義は、自由競争を徹底すれば機会の平等が得られるという思想である。誰にでも均等に成功のチャンスはある。格差は結果でしかなく、敗者は再び成功に向かってチャレンジすればよい。その象徴がアメリカンドリームだ。現在の経済学は単なる科学ではなく、このような思想をもとにしている。 ピケティの「21世紀の資」(ISBN:4622078767)はここに楔を打ち込んだ。過去の資を分析した結果、資主義は原理的に固定した格差を生み出す。金持ちはより金持ちに貧乏人は貧乏人のままで、それが資主義の原理であると。それは、ピケティが資主義の第一法則と呼ぶもので単純に表せた。資の平均年間収益率r>経済成長率g さらにピケティは、なぜ現在の経済学がこのような間違いを犯したか、説明する。それは戦争である。世界大戦で、金持ちの資産は解体した。そのために戦後は、

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  • なぜマクロ思考は現代最強の倫理なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    西洋近代が生み出した「十分なマクロ領域」 ダーウィンの進化論の衝撃は進化そのものではなく自然淘汰にある。ダーウィンはこの発想をマルサスの人口論から得た。すなわちこの世界そのものが持つ自浄作用である。マルサスの自然の人口調整は、これが限られた地域ならば対応しない。料が足りないなら回りから奪うことも可能だ。しかしそういうミクロな現象も含んだ「十分なマクロ領域において」という前提がある。 このような「十分なマクロ領域において」というマクロ思想は西洋近代の発明である。このような思考の起原をさかのぼることは難しいが、アダムスミスが神の手と呼んだ以前の14世紀の欧州の経済には連動ずる物価があったという。すなわち「十分なマクロ領域」としての市場経済があった。貨幣という一元的な価値の流通はもっとも「十分なマクロ領域」を生み出しやすい。 人口論 Wikipedia マルサスは人口の増加が生活資源を生産する

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