李時珍の生家に建てられた銅像 李時珍を描いた切手(中華人民共和国1955年発行・中国古代科学家シリーズの一つ) 李 時珍(り じちん、1518年7月3日(正徳13年5月26日) - 1593年(万暦21年))は、中国大陸明の医師・本草学者。字は「東璧」、号は「瀕湖山人」。中国本草学の集大成とも呼ぶべき『本草綱目』や、奇経や脈診の解説書である『瀕湖脈学』・『奇経八脈考』を著した。 黄州府蘄州(現在の湖北省黄岡市蘄春県蘄州鎮)[1]で、代々医師を務める家に生まれた李時珍は、幼い頃から、父の李言聞(字は子郁、号は月池)の助手をしながら育った。 父は『医学八脈考』・『人参伝』と言った医学書を執筆するほどの名医であったが、当時の医師の社会的身分の低さから、息子には医業を継がせずに、科挙に合格して官僚になる事を望んでいた。しかし、子供の頃から病弱だった李時珍は医学への思いを絶ちがたく、23歳の時に父に