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politicsとparental-educationに関するnabinnoのブックマーク (11)

  • 親学議連:「発達障害、予防は可能」…抗議殺到し陳謝- 毎日jp(毎日新聞)

    超党派の国会議員でつくる「親学推進議員連盟」が5月末「発達障害を予防する伝統的子育て」をテーマに勉強会を開いたことが分かった。配布資料には発達障害児の育児環境を「(子どもへの)声かけが少ない」とした表や「発達障害児は笑わない」「予防は可能」などの記述もあった。発達障害は子育ての問題だと受け取られかねない内容に、関係者の抗議が殺到、議連側は最終的に陳謝した。 ◇勉強会内容をブログで報告 発達障害を巡っては、大阪市の「大阪維新の会」市議団が5月に市議会への提案を目指した家庭教育支援条例案に「伝統的子育てで発達障害は予防できる」などの文言が盛り込まれ、批判を受け白紙撤回したばかり。政治の理解不足が改めて浮き彫りになった。 親学推進議連は4月、民主、自民など衆参両院の81議員で発足した。安倍晋三元首相(自民)を会長、鳩山由紀夫元首相(民主)を顧問とし、町村信孝元文部科学相(自民)らいわゆる「文教族

  • いつか来る選挙に備えて「親学」の人たちリスト - 泣きやむまで 泣くといい

    またもや「親学推進議連」の議員が先日の騒動から何も学習する気はないぞ宣言をしておられる(より正確に言えば「親の育て方が悪いというよりも、伝統的な子育てを知らないのが問題だ」と)。 この人をはじめ「議連」の人たちは、もう何を言っても聞く耳ないのかもしれない、という気がするので、いつか来る選挙に備えて、こつこつと「親学推進議連」リストづくりをはじめていこうと思う。ひとまずはwikipediaに出ているものに、所属政党や選挙区などを加えてみた。「設立総会」には議員人49名、代理32名が出席したらしいので、これだけだと人数も全然足らない。順次、情報は追加していきたいし、誤りがあれば修正していきたい。地方議員は多すぎるので(それもまた深刻な問題だけれど)、ひとまず国会議員(現職、立候補予定者含む)だけ。 会長 安倍晋三(自民、衆議院、山口4区) 会長代行 高木義明(民主、衆議院、長崎1区) 副会長

    いつか来る選挙に備えて「親学」の人たちリスト - 泣きやむまで 泣くといい
  • 親学: 市会議員 辻 淳子議会日記

    守口市 橋波保育園では、発達障害の子供さんに親学を取り入れて 実施しているというので、8月29日視察に伺った。 朝1番 全員でのリズム体操から始め、動物カードを使っての カリキュラムなど見せていただいた。発達障害の子供さんにありがちな 動作・態度がみじんも感じられなかった。 大人が勉強して、きちんとした対応をすれば良いということだ。 もちろん現状に至るまで、先生方が勉強し、チェックカードの作成など 試行錯誤を繰り返しての努力の結果であるが、子供さんにとっても 親御さんにとっても社会にとっても幸せなことである。 この成果を各保育園・幼稚園が取り入れていくべきである。 10月2日 西成区内の小学校の運動会へ。 児童の皆さんが力一杯協議に取り組んでいる姿から元気をもらう。 人数の少ない学校の競技はやはりさびしいですね。 2時より、親学推進議員連盟発足式に参加、高橋史郎先生の講演を聴く。 日の伝

  • 大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記

    ひどいものを読んだ。 家庭教育支援条例(案) http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html 第4章 (発達障害、虐待等の予防・防止) (発達障害、虐待等の予防・防止の基) 第15条 乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる (伝統的子育ての推進) 第18条 わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する もし、この条例がこのまま成立するならば、大阪市の発達障害をもつ子どもたちと家族は一刻も早く、大阪市を脱出したほうがよいと思う。 この条例の考え方において、発達障害の子どもは「予防に失敗された存在」であり、

    大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記
  • 日本会議 - Wikipedia

    美しい伝統の国柄を明日の日へ 国民統合の中心である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する 新しい時代にふさわしい新憲法を わが国来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する 国の名誉と国民の命を守る政治を 独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる政治の実現を期す 日の感性をはぐくむ教育の創造を 教育に日の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する 国の安全を高め世界への平和貢献を 国を守る気概を養い、国家の安全を確保するに足る防衛力を整備するとともに、世界の平和に寄与する 共生共栄の心でむすぶ世界との友好を 広く国際理解を深め、共生共栄の実現をめざし、わが国の国際的地位の向上と友好親善に寄与する — 基運動方針 主な方策は下記のとおり[53][54][55][56]。 皇室 男系による皇位の安定的継承を目的とした皇室典範改正 皇室の地方行幸啓の際の奉迎活動 憲

  • 日本会議

    令和6年01月11日 田久保忠衛会長、最後のご原稿「今年こそ、憲法改正元年へ」 令和6年01月10日 【訃報】田久保忠衛日会議会長がご逝去 令和5年11月28日 【憲法】「国民の会」「都民の会」が緊急集会を開催。早期の条文化を要望 令和5年11月6日 【声明】岸田首相、憲法審査会に「条文案の具体化」を強く促す 令和5年11月1日 ■■■【録画放映中‼】8月15日(火)「第37回戦歿者追悼国民集会」 令和5年07月28日 ◆◆◆【録画放映中‼】7月8日(土) 「世界に咲き誇れ日ー安倍元総理の志を継承する集い」 令和5年05月1日 【映像】日会議名誉会長 三好達先生ご逝去 ~ 三好先生をお偲びして 令和5年04月30日 【女性の会の活動だより】 令和5年04月30日 都道府県部・支部の活動 令和5年04月30日 天皇陛下御誕生日奉祝行事 令和4年12月29日 日女性の会の活動【神奈川

  • 親学推進議員連盟 - Wikipedia

    親学推進議員連盟(おやがくすいしんぎいんれんめい)は2012年に発足した日の超党派の議員連盟。別表記は「「親学」推進議員連盟」[1][2]。 「親の役割や家庭のあるべき姿を考える」超党派議員により2012年4月10日に設立された[1]。設立総会が国会内で開かれ[1]、安倍晋三を会長、鳩山由紀夫を顧問として発足[3]。設立総会には議員人49名、代理32名が参加[4][5]。親学推進協会の木村治美会長と高橋史朗理事長が提言をおこなったほか、元埼玉県教育委員の松居和や、TOSS代表の向山洋一ら100名が参加した[4]。 親学推進議員連盟は活動方針として「親学」を推進する家庭教育支援法の2012年内制定、政府への推進部設置や地方自治体での条例制定、国民運動の推進などを謳った[6][4]。高橋史朗の著書によれば、設立趣意書には「他に責任転嫁しないで、主体変容すること、自分が変わることによって、

  • トンデモ教育論「親学」を推進してる人たちの話 - 俺の邪悪なメモ

  • 馳浩 - Wikipedia

    馳 浩(はせ ひろし、1961年〈昭和36年〉5月5日[1] - )は、日政治家、教育者(国語教師)、プロレスラー、アマチュアレスリング選手。石川県知事(1期)。日維新の会顧問。旧姓は川辺[4]。 1984年のロサンゼルスオリンピックレスリング代表を経てプロレスラーとなり、新日プロレス・全日プロレスなどで活躍した。1995年に参議院議員に当選し政界入り。2006年にプロレスラーを引退。政治家としては衆議院議員(7期)、文部科学副大臣(第3次小泉改造内閣)、文部科学大臣(第20代)などを歴任。はタレントの高見恭子。血液型A型。 1961年5月5日、富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市)西野尻地区興法寺の農家[5]の三男として生まれ、小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家(石川県金沢市)の養子に入り[1][6]、金沢市立千坂小学校、金沢市立鳴和中学校を卒業[7]。1980年3月、

    馳浩 - Wikipedia
  • 木内孝胤 - Wikipedia

    木内 孝胤(きうち たかたね、1966年8月30日 - )は、日の実業家、政治家。アジア開発キャピタル代表取締役社長。衆議院議員(2期)を務めた[2]。 高祖父は三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎、曾祖父は貴族院議員や京都府知事を務めた木内重四郎、父は外交官で田中角栄内閣総理大臣秘書官や駐フランス特命全権大使を務めた木内昭胤。親戚に日外国語研究所理事長などを務めた渋沢雅英がいる。 来歴[編集] 東京都港区出身。港区立麻布幼稚園、港区立麻布小学校、帰国後は港区立三河台中学校、転校して成蹊中学校・高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業[3]。1989年、三菱銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行し、12年間勤務する。その後はドイツ証券、UBS証券、メリルリンチ日証券(投資銀行部門マネージング・ディレクター)を経て、2008年8月にメリルリンチ日証券を退社。 民主党の衆議院東京都第9選挙区総支部長に就任

  • 山谷えり子 - Wikipedia

    東京都武蔵野市に生まれ(現住所は世田谷区尾山台1丁目[6])[7]。父は新聞記者・ラジオパーソナリティの山谷親平[8]。幼少期を福井県で過ごし、栄冠幼稚園、福井市順化小学校、福井市明道中学校、東京都立駒場高等学校、聖心女子大学文学部心理学科卒業[1][9]。高校時代は競泳の選手だった。大学時代マスコミ志望で大手新聞社や出版社を受けるも失敗し、フリーライターや出版社勤務を経て、日テレビ系『ウィークエンダー』のリポーター、『サンケイリビング新聞』編集長、政府広報番組のニュースキャスター、フジテレビ系『おはよう!ナイスデイ』コメンテーターとして活動した[要出典]なおタレント時代は後述する議員時代と異なりリベラルな信条で知られていた。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に民社党公認で立候補するも落選。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で民主党は比例東海ブロック単独1位候補として山谷を

    山谷えり子 - Wikipedia
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