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shudo-higashinakanoに関するnabinnoのブックマーク (4)

  • 【中国・韓国にこう言い返せ!】“南京虐殺”は根拠のない捏造!国民党のでっちあげだ - 政治・社会 - ZAKZAK

    中国の真っ赤なウソは、沖縄県・尖閣諸島の問題に限らない。日人の名誉のためにも、南京虐殺問題を見過ごすことはできない。中国共産党政府が「日軍が中華民国の首都・南京を陥落させた1937(昭和12)年12月以降、日軍が30万人の中国人を殺戮(さつりく)した」と主張している問題である。  最近、名古屋市の河村たかし市長が「自分の父は日軍人として南京で終戦を迎えたが、南京の人々に温かいもてなしを受けて、無事帰国した。南京虐殺があったとは考えられない」と語り、話題となった。  「南京虐殺」は、全く根拠のない歴史の捏造(ねつぞう)である。初めは、日軍が当時敵対していた国民党(蒋介石)政権がでっちあげた。現在では、中国共産党がその歴史の捏造を継承しているだけである。  そもそも、中国で南京虐殺が中学教科書に登場するのは79年であり、南京虐殺記念館ができたのは85年である。共産党政権は49年に成立

  • 東中野亜細亜大学教授主催「南京学会」会員による誹謗中傷デマに関して

    東中野氏は蒋介石率いる国民政府内の組織について勘違いをしています。 その根拠としては、この著書では「郭沫若が国民党政治部第三庁庁長として・・・」(18ページ)とありますが、郭沫若自身の著作『抗日戦回想録』に、国民政府軍事委員会政治部と述べており、軍事委員会と国民党そのものを混同解釈している事が分かります。東中野氏は史料を正確に読めない事を証明しています。 東中野氏は1998(平成10)年2月から翌年の2月までの間、自由主義史観研究会・プロパガンダ写真研究会の名目上の顧問(顧問は2名で、その他に藤岡信勝氏)でしたが、顧問の2名は写真検証は1枚たりとも出来ず、間違いや勘違いが多く、むしろ何ら役に立っていない存在でした。 東中野氏に関しては、勘違いや思い込みが激しく、顧問としての役職すらほぼ用を成さない状態でした。 むしろ、東中野氏自身の間違いや著作等の間違いを指摘されると、突然怒り出す事

  • 東中野修道 - Wikipedia

    この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "東中野修道" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年8月) 1971年 鹿児島大学法文学部文学科西洋史学専攻卒業 1977年 大阪大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程中退 1979年 亜細亜大学教養部助手 1980年 亜細亜大学教養部講師 1983年 亜細亜大学教養部助教授 1985年 米国西ワシントン大学客員教授(日思想史) 1988年 旧西ドイツハンブルク大学客員研究員 1994年 亜細亜大学教養部教授 2001年 亜細亜大学法学部法律学科教授(政治思想史、日思想史) 2010年 亜細亜大学大学院法学研究科委員

  • 南京学会、真相解明し今月解散 “事件”実態は「プロパガンダ」 - MSN産経ニュース

    昭和12年12月に、日軍が当時の中国の首都・南京を占領した際の真相解明を目的に発足した「日『南京』学会」(会長・東中野修道亜細亜大教授)が解散することになった。 同学会は平成12年10月、南京虐殺などが既成事実化することに疑問をもった東中野氏らが立ち上げ、戦前から戦後にかけての内外の膨大な資料を精査、南京占領に関係した、元日軍兵士ら40人弱から聞き取り調査を行うなどした。その成果は42号に及ぶ学会報や6冊の「南京『事件』研究の最前線」(展転社)などに結実した。 同学会によると、日軍の南京占領に関して、学問的にほぼ解明、不法殺害はほとんどなく、その実態は中国国民党中央宣伝部によるプロパガンダであることがはっきりしたという。また、南京事件の証拠として通用する写真は一枚も発見されなかったという。 同会長によると、年齢的に、元兵士を含む新たな証言者も得にくい、などから会としての活動は難しい

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