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trade-unionに関するnabinnoのブックマーク (91)

  • 連帯ユニオン

  • ::全国労働組合総連合(全労連)::

    ■国民春闘共闘>「春闘共闘10号」「賃上げ総括表 第1回集計」「春闘・非正規賃上げ集計表 第1回」(2024/03/15) ■2024年能登半島地震 対策部設置>全国災対連「能登半島地震ニュース」NO.6(2024年03月13日)(PDF865KB)(2024/03/14) ■国民大運動実行委員会>国民大運動行動報告098号~国民犠牲・大企業優遇、対米追随の政治を転換させよう!~(2024年3月11日)(PDF396KB)(2024/03/11) ■2024国民春闘>歴史的な大幅賃上げ(PDF75KB)、最低賃金いますぐ全国一律1500円めざせ1700円(PDF89KB)(2024/03/11) ■【重要なお知らせ】全労連では雇用調査、雇用促進と称した個別企業調査は行っていません。 衆院予算委員会、は2月29日の2024年度政府予算案についての中央公聴会で全労連の小畑雅子全労連議長が公述

  • トップページ 全労協

    総評評解散後、連合・全労連が1989年次結成され、どちらにも「行かない、行けない」組織として全労協は1989年12月9日、総評解散後の「たたかう、まともな労働運動」の結集体をめざし、国労・都労連・全国一般など全国30万人の労働者によって結成された「連絡協議会」組織です。 運動方針の柱は護憲・反戦反基地平和運動と国鉄闘争支援を中心とした反首切り、職場の労働者に依拠した反合理化・要求獲得闘争です。 労働者を取り巻く状況は、多国籍企業の要望もとづく規制緩和の推進は労働法制改悪、会社法制改悪の国会での強行と解雇を自由とする裁判所の反動化として現れています。その狙いは正規労働者を非正規労働者化することにあり、雇用と労働条件を企業の思うがままにしようとしています。このような状況の中で全労協の運動は、国鉄闘争と他に85件の争議、全国73カ所の労働相談所の設置などに力を入れ、すべての労働者との連帯・闘いを

  • 全国労働組合総連合 - Wikipedia

    全国労働組合総連合(ぜんこくろうどうくみあいそうれんごう、略称:全労連(ぜんろうれん)、英語: National Confederation of Trade Unions、略称:Zenroren)は、日の労働組合における全国中央組織(ナショナルセンター)である[2]。1989年に連合結成を「労働界の右寄り(右翼的)再編」として、官公労労組中心の総評のうち自治労から自治労連、日教組から全教など共産党支持の各労組内非主流派が結成した新単産と統一戦線促進労働組合懇談会加盟単産で、作られたナショナルセンター[注釈 1][3][4][5]。総評時代の日社会党のための組織的選挙活動・日社会党支持強要を批判し、日共産党支持傾向がある[6][3][4][5][7]。 行動綱領「希望に輝く未来のために」で、労使協調路線による選別排除の労働戦線再編に反対する労組により結成された「働くものの利益をまも

    全国労働組合総連合 - Wikipedia
  • 全国労働組合連絡協議会 (1989-) - Wikipedia

    かつての二大労働組合連合体だった日労働組合総評議会(総評)と全日労働総同盟(同盟)が1989年に日労働組合総連合会(連合)を結成し、「労働戦線の統一」を提唱する。そして、民主党の支持母体となった。その一方、これを右傾化と反発した左派組合の中で日共産党との関係が深い全国労働組合総連合(全労連)を結成した。その中で、連合(民主党)も全労連(日共産党)もヨシとしない社民党系組合が、「どちらにも行かない、行けない組織」として、「たたかう、まともな労働運動」をスローガンに掲げて全国労働組合連絡協議会を1989年12月9日に結成した。総評元議長の太田薫、同元事務局長の岩井章、同元議長の市川誠らが総評から離れて作った労働研究センターが母体となっている。 そして、マガジン9によると加盟組合員数にも圧倒的な開きがあり、2021年時点で連合が約700万人、日共共産系である全労連が約70万人、社民党

  • 日本労働組合総連合会(連合)ホームページ

    2024年08月21日デジタル庁に対し「2024年度 連合の重点政策」について要請を実施(連合ニュース)2024年08月21日復興庁に対し、連合の重点政策を要請(連合ニュース)2024年08月19日2024平和行動in広島を開催(連合ニュース)2024年08月09日内閣府特命担当大臣(消費者及び品安全)に対し、連合の重点政策を要請(連合ニュース)2024年08月09日外国人技能実習機構に対し、外国人技能実習制度の適正な実施および技能実習生保護に関する要請を実施(連合ニュース)2024年08月08日「雇用の分野における女性活躍推進に関する検討会」報告書に対する談話(事務局長談話)2024年08月08日2024年人事院勧告に対する談話(事務局長談話)2024年08月08日2024年9月13日「労働組合の未来」シンポジウムを実施します。2024年08月08日国土交通省に連合の重点政策を要請(連

    日本労働組合総連合会(連合)ホームページ
  • 日本労働組合総連合会 - Wikipedia

    労働組合総連合会(にっぽんろうどうくみあいそうれんごうかい、英語Japanese Trade Union Confederation)は、日の労働組合におけるナショナルセンターである。略称は、連合(れんごう)、JTUC。 国際労働組合総連合(ITUC)に加盟している。 全日自治団体労働組合(自治労)や日教職員組合(日教組)など日官公庁労働組合協議会(官公労)が中心の日労働組合総評議会(総評)(日社会党系)、民間産別主体の全日労働総同盟(同盟)(民社党系)の2大ナショナルセンターを含めた4つのナショナルセンターが合同することで誕生した日最大の労働組合のナショナルセンター[3][4][注釈 1]。 日の戦後の労組の歴史とは、官民統一した単一のナショナルセンターの設立を目指しながらも「東(共産主義)」対「西(自由主義)」などイデオロギーの対立による離合離集の歴史であった[

    日本労働組合総連合会 - Wikipedia
  • 古賀伸明 - Wikipedia

    古賀 伸明(こが のぶあき、1952年(昭和27年) - )は、日の労働運動家。 元日労働組合総連合会会長。 選択的夫婦別姓制度実現のための民法改正運動を行っているネットの呼びかけ人でもある[1]。 福岡県出身。宮崎大学工学部卒業。 1975年、松下電器産業に入社。松下電器産業労働組合産業中部支部分会執行委員、中部支部執行委員を経て中部支部書記長。 1986年7月、中央執行委員、書記長、副中央執行委員長を経て1996年7月、中央執行委員長。 2000年7月、全松下労働組合連合会(全松下労連)会長。 2002年、電機連合中央執行委員長。 2005年、日労働組合総連合会(連合)事務局長。 2009年、6代目連合会長。 2012年、公益財団法人連合総合生活開発研究所理事長[2]。 2015年、連合会長退任。 2017年、年金積立金管理運用独立行政法人経営委員[3]。 2011年9月7日、首

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  • 時事ドットコム:「最悪なら東日本つぶれる」=専門家自任、笹森氏に明かす−菅首相

    nabinno
    nabinno 2011/03/21
    元東電労組委員長笹森氏によるリーク(首相批判)
  • 労働組合 - Wikipedia

    労働組合(ろうどうくみあい、英語: trade union、labor union、workers union)とは、労働者の連帯組織であり、労働市場における賃労働の売手の自主的組織である[1]。その目的は組合員の雇用条件を維持し改善することであり[2]、誠実な契約交渉の維持・賃上げ・雇用人数の増加・労働環境の向上などの共通目標達成を目的とする。略称は、労組(ろうそ、ろうくみ)、ユニオン。単に組合と呼ぶこともある。社会的には労働者の利益団体としても機能している。 資主義において賃労働は商品の一つであるため、商品市場(労働市場)をコントロールし、より高い価格(賃金)で、かつ売れ残れないよう(完全雇用)労働者たちが「労働力の売り手」として結んだカルテルという側面も持つ[1]。 OECD諸国においては、労働組合加入率は平均で17%であった(2017年)[3]。加入率が50%を超えているのは"G

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  • 笹森清 - Wikipedia

    東京都出身。埼玉県川越市に転居し、埼玉県立川越高等学校卒業。東京電力入社後に東京電力労働組合に入り、組合活動などを行った。1989年には委員長になる。1993年からは全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)の会長に就任。 2001年に日労働組合総連合会会長(第4代)に就任、2005年まで務めた後に、連合顧問に就任。2010年には、当時内閣総理大臣の菅直人に請われて、内閣特別顧問を務めた。 2011年6月4日、膵臓癌のため死去[1]。70歳没。生前の功績により日政府から従三位に叙されるとともに旭日大綬章が追贈された[2]。 1960年 東京電力入社 1982年 全日民間労働組合協議会 事務局次長 1986年 東京電力労働組合 書記長 1989年 東京電力労働組合 委員長 1993年 全国電力関連産業労働組合総連合 会長 日労働組合総連合会 副会長 1997年 日労働組合総連合会

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