「日本に難民支援でのリーダーシップを期待」 フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は、高等弁務官として8回目となる訪日の総括を日本記者クラブで行いました。 つづきはこちら グローバル・トレンズ・レポート 2022 2022年末時点で、紛争や迫害により故郷を追われた人の1億840万人となりました。1年で1,910万人増、これまでで最大の増加となります。 くわしくはこちら
「子どもたちの目の前で、家は焼かれ、人々が殺されていました」 命がけで故郷から逃れた約85万人のロヒンギャ難民は今、新型コロナウイルス感染の危機にさらされています。 今すぐのご支援が必要です。難民を感染から守ってください。 ニューヨークの2倍以上の人口密度の中で暮らすロヒンギャ難民 ミャンマーから命がけで逃れてきた約85万人の難民が暮らすバングラデシュ南東部コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプ。水回りを始めとする衛生環境は悪く、狭いシェルターで密集して暮らしています。難民キャンプの人口密度は、感染爆発が起きたニューヨークの2倍以上もあります。 このような環境で感染が広がれば、感染拡大を食い止めるのは極めて難しく、この難民キャンプは世界でも最もリスクが高い場所の一つです。バングラデシュ全体で感染者が大きく増加する中、今まさに危機が難民キャンプに迫っています。難民キャンプ内で初めて感染
ロヒンギャとは、主にミャンマー西部のラカイン州に暮らす約100万人のイスラム系少数民族で、国籍を持たず、1990年代から数十年にもわたって差別と激しい迫害に苦しめられ、多くの人が国外に逃れてきました。 2. 今、なぜロヒンギャの人々は避難を強いられているの? 2017年8月25日、ラカイン州北部で新たに激しい衝突が起こり、ロヒンギャの人々が一気に隣国バングラデシュへ避難を始めました。避難してきた人々からは、一般の市民が激しい暴力や性的暴行を受け、家族を殺されたり家屋を焼かれるなど残虐な行為を受けたことが証言されています。人々の多くは険しい山の中を徒歩で避難しましたが、避難の混乱で家族と離ればなれになったり、命を落とした人もいます。また、粗末な漁船に乗って海から避難しようとする人もいますが、モンスーンの影響を受けて海は荒く、子どもを含む犠牲者が多く出ています。
人日本人初の国連難民高等弁務官 国連難民高等弁務官就任当時 ©UNHCR/E.Brissaud 緒方貞子さんは、日本人で初めての国連難民高等弁務官として、1991年から2000年まで10年間の任期を務めました。 緒方さんは1927年東京都に生まれ、幼少期をアメリカ、中国、香港などで過ごしました。聖心女子大学卒業後アメリカに留学し、ジョージタウン大学で国際関係論修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。その後、74年に国際基督教大学準教授、80年に上智大学教授に就任。76年には日本人女性として初の国連公使となり、その後91年には日本人として、また女性として初の国連難民高等弁務官に就任しました。 緒方さんが高等弁務官に就任した1991年は東西対立構造がもたらした冷戦が終わりを告げ、民族、宗教などに起因する地域的な紛争が増え続けていた時期でした。 クルド人-難民救済の新しい枠
UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)は、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つです。 紛争や迫害により故郷を追われた難民・避難民を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っています。
UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)は、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つです。 紛争や迫害により故郷を追われた難民・避難民を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っています。
UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)は、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つです。 紛争や迫害により故郷を追われた難民・避難民を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っています。
The Executive Committee, Remaining seriously concerned by the continuing occurrence of military or armed attacks and other threats to the security of refugees, including the infiltration and presence of armed elements in refugee camps and settlements,1 Recalling the relevant provisions of international refugee law, international human rights law and international humanitarian law, Recalling its Co
〔前文〕 締約国は、 国際連合憲章及び1948年12月10日に国際連合総会により承認された世界人権宣言が、人間は基本的な権利及び自由を差別を受けることなく享有するとの原則を確認していることを考慮し、 国際連合が、種々の機会に難民に対する深い関心を表明し並びに難民に対して基本的な権利及び自由のできる限り広範な行使を保証することに努力してきたことを考慮し、 難民の地位に関する従前の国際協定を修正し及び統合すること並びにこれらの文書の適用範囲及びこれらの文書に定める保護を新たな協定において拡大することが望ましいと考え、 難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当に重い負担となる可能性のあること並びに国際的な広がり及び国際的な性格を有すると国際連合が認める問題についての満足すべき解決は国際協力なしには得ることができないことを考慮し、 すべての国が、難民問題の社会的及び人道的性格を認識して、この問
1950年UNHCR事務所規程、1951年難民条約、1967年難民議定書において、「難民」は、人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々と定義されています(厳密な定義は難民条約の第1条A(2)を参照)。 この定義では、自国における平時と戦時の区別をしておらず、国際的・国内的な武力紛争や戦争から他国に逃れてきている人々も、上記の定義に該当するのであれば「難民」とします(UNHCR国際的保護に関するガイドライン 12を参照)。 また、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっている、あるいは国境を越えずに避難生活を送っている「国内避難民」も増加しています。このような人々も難民と同様に、日々の生活の安全を確保するためには、外部からの支援が必要不可欠です。適切な支援が実施されな
ミャンマーでは軍隊に脅され、家業である農業もできず、移動することも許されなかったモハマド(40歳)は、2017年8月、ミャンマーでの暴力行為から避難するため、15日かけてバングラデシュまで歩いて逃れました。2歳の娘・フォーミナの目は感染症にかかり、ずっと腫れあがったままです。 ミャンマーのラカイン州北部で起きた暴力行為により、2017年8月以降72万人以上の人々がバングラデシュに流入し、未曽有の人道危機となったロヒンギャ難民危機。国境を越えて避難してきたロヒンギャ難民の半数以上は、子どもたちです。そんな中、2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが発生。難民キャンプの過密な環境下で生活をしているロヒンギャ難民の命を危険にさらしています。 UNHCRは「ロヒンギャ難民を決して見捨てない」という決意で、ロヒンギャ難民の命を守る最終的な責任を負う国連機関として、切迫
2016年のリオオリンピック・パラリンピックで近代オリンピック史上初の難民選手団が結成され、選手たちの活躍が世界に大きな希望を与えたことは記憶に新しいことでしょう。その中でも、紛争下のシリアを逃れ、地中海で九死に一生を得て、ドイツで難民として新たな生活をスタートさせた水泳選手ユスラ・マルディニの稀有なストーリーは日本でも多く報じられました。 ユスラはこれまでローマ法王やアメリカのオバマ前大統領など世界のリーダーとの対談を重ねながら、難民の置かれた状況や希望について発言を続け、世界中の難民に勇気を与えてきました。そして2017年4月27日、UNHCRの親善大使に任命されました。ユスラは2020年の東京オリンピックへの出場を目指してトレーニングを続けながら、UNHCRの活動をサポートしていきます。 UNHCRの親善大使に任命されたユスラはこのように決意を語っています。「UNHCRの活動に参加で
難民条約(「難民の地位に関する1951年の条約」「難民の地位に関する1967年の議定書」)はUNHCRの活動の基礎となる法的文書です。 難民条約では、難民の法的地位が包括的に定義されており、難民の取り扱いに関する最小限の人道的基準を設定しています。 UNHCRは難民条約の“ガーディアン” として、各国による難民条約の締結・加入を促進し、各国によるその適用を監督する任務を負っています。 難民条約とは? 第二次世界大戦後の1948年、「世界人権宣言」が採択され、この中で、庇護を求める権利とすべての人間は差別されずに基本的人権を享受できる旨が確認されました。 第二次大戦後、国連加盟国の間で、難民問題、特に難民の基本的人権保障に対する意識が高まりました。第一次大戦後に採択されていた特定の難民集団に関する協定は適用範囲が限られており、第二次大戦によって急増した難民へ緊急保護の必要性や加盟国の関心事を
UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)は、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立された国連機関の一つです。 紛争や迫害により故郷を追われた難民・避難民を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っています。
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