タグ

white-terrorに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • 光州事件 - Wikipedia

    1979年、朴正熙大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていた。しかし、軍部では維新体制の転換を目指す上層部と、朴正煕に引き立てられた中堅幹部勢力「ハナフェ(ハナ会・一心会)」との対立が表面化した。 1979年12月12日、ハナフェの中心人物である保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を朴正煕暗殺事件の共犯容疑で逮捕し、ハナフェを中心とした「新軍部」が軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。朴正煕の後任の大統領となった崔圭夏は大統領代行就任直後より早期の憲法改正と民主化を約していたが、就任直後で軍部を掌握できなかったためにこれを黙認せざるを得なかった。 粛軍クーデター後も全国各地で反軍部民主化要求のデモが続いていたが、全斗煥率いる新軍部の主導の下、1980年5月17日に全国に戒厳令が布告され(5・17非常戒厳令拡大措置)、執権の見込みのある野党指導者の

    光州事件 - Wikipedia
  • 白色テロ - Wikipedia

    白色テロ(はくしょくテロ、英: White Terror)とは、為政者や権力者、反革命側(君主制国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる弾圧や暴力的な直接行動のことである。 国家組織および権力を是認して行われる不当逮捕や言論統制などがある。フランス語(Terreur blanche)に由来するため白色テロルとも言う。 一般に国家の何らかの関与を前提とするため、単なる右翼テロとは異なる。 語義[編集] 「白色」とはフランス王国の王権の象徴であった白百合に由来しており、フランスでは白色(白旗)は王権または王党派を意味する色であった。転じて、フランス以外でも為政者を全般をさす色とされ、イランの白色革命などの用法がある。白色テロは、元来はフランス革命中の1794年から1795年にかけて、シュアヌリ(ふくろう党)が行ったテロ行為、または極右に転向したテルミドール派による左派

  • 1