1979年、朴正熙大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていた。しかし、軍部では維新体制の転換を目指す上層部と、朴正煕に引き立てられた中堅幹部勢力「ハナフェ(ハナ会・一心会)」との対立が表面化した。 1979年12月12日、ハナフェの中心人物である保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を朴正煕暗殺事件の共犯容疑で逮捕し、ハナフェを中心とした「新軍部」が軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。朴正煕の後任の大統領となった崔圭夏は大統領代行就任直後より早期の憲法改正と民主化を約していたが、就任直後で軍部を掌握できなかったためにこれを黙認せざるを得なかった。 粛軍クーデター後も全国各地で反軍部民主化要求のデモが続いていたが、全斗煥率いる新軍部の主導の下、1980年5月17日に全国に戒厳令が布告され(5・17非常戒厳令拡大措置)、執権の見込みのある野党指導者の