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2008年8月12日のブックマーク (6件)

  • 萌えは「薄めたカ○ピス」だ──ASCII×ITmedia対談

    ITmedia代表の古田氏は、2002年頃からアキバのPCパーツ街に深く関わり合うようになったということ。前職はなんと 葬 儀 屋 さ ん ! ん〜、ある意味人生最後の「燃え」だが、「萌え」とはかなり違うなぁ。むしろ「萎え」(笑)。 そんな古田氏も大学生時代に、海洋堂の綾波レイを目にしたことがあるという。 次のテーマは「アキバはいつから変わりだしたか?」だ。 ココで言う「変わる」とは、いかにアニメが進出してきたか?である。前編の話の通り、ターニングポイントは綾波レイのフィギュアだ。 それまでも水面下では、アニメキャラのCGや美少女ゲー、くりぃむレモンの登場など基礎は着々と構築されていたが、ラジオ会館が非電気系の店に落城(?)し、自由の女神にも似た綾波レイが姿を現したのは、アキバが萌え出した象徴だった。 一般人に言わせれば「アニメファン」や「アキバ系」と十羽ひとからげにされてしまうわれわれで

    萌えは「薄めたカ○ピス」だ──ASCII×ITmedia対談
  • 電気街はなぜ「萌え」たのか?──ASCII×ITmedia対談 (1/7)

    ASCII.jpとITmediaの合同企画! その名も、PC系ライターとアニメ系ライターが語る「秋葉原トーク・デスマッチ」である! ITmedia代表は、秋葉原のパーツショップを取材して6年のPC系ライター、古田雄介氏。ってASCII.jpにも遠征してきてるじゃん(笑)。片やASCII.jp代表は、「アキバ(裏)」で毎日フィギュアと戯れるパンツ界のご意見番、俺様である! この時点でASCII.jpの敗北が見えてんすケド…。 バトルが開催されたのは、7月上旬、秋葉原の喫茶店「古炉奈」。熱き戦いの火蓋が今落とされたっ! ITmediaの記事は以下へ ・前編「電気街が萌えた日、そこには“等身大の綾波レイ”がいた」 ・後編「事件後の秋葉原と、アキバの明日」 編集からの諸注意 藤山氏によれば「VHSビデオデッキの普及にエロが欠かせなかったのと同様、アキバを語る上ではエロゲーが欠かせない」ということに

    電気街はなぜ「萌え」たのか?──ASCII×ITmedia対談 (1/7)
  • 事件後の秋葉原と、アキバの明日

    ──電車男以降、世間的には“萌え”を推奨するような方向だったと思います。推奨とまではいかなくても、「そういうのがあって悪くない」っていう。それが、逆風に変わった印象はありますか? 古田氏 まあ、昔から下地に偏見がありますからね。それがあの事件をきっかけにして表面化したんだと思います。 藤山氏 アキバに来ている人たちのあいだでは、それほど(偏見は)ないと思うんだけどね。外から見ての偏見だよね。 古田氏 でも、実際には秋葉原の内側にも、外部からの偏見が影響していると思うんですよ。それで「周りが何を言おうが楽しんでいるんだから、ほっといてくれ」ならいいんだけど、「周りがこう言ってる。だったら自粛しよう」とか、逆に「ムカつくから、もっとやってやろう」とか。そうやって反応することで、現実が“架空のアキバ像”を引き寄せてしまう。 ──加藤容疑者と“アキバ”を結びつけようとする報道が目につきました。 古

    事件後の秋葉原と、アキバの明日
  • 電気街が“萌え”た日、そこには等身大の綾波レイがいた (1/5) - ITmedia PC USER

    歩行者天国のパフォーマンスが加熱して以降、コスプレをして歩く集団やオタ芸、露出狂女性などが“アキバの代表的な光景”としてテレビや週刊誌を賑わせた。そして6月、あの殺傷事件が発生したことにより、秋葉原に関する報道はピークに達する。しかし、これらの切り取られた秋葉原像が、街の実像をありのままに映し出しているとは言い難い。それでは、実際はどんな街なのか。 某日、秋葉原電気街の玄関口にある老舗の珈琲店・古炉奈に、ITmediaとASCII.jpの編集者およびライターが集結。個室を借り切り、ホワイトボードに「対談・秋葉原」と脱力した字で書き込んだ。 ──まずは自己紹介をお願いします。「私と秋葉原」で(笑) 藤山氏 ぼくがはじめて秋葉原に来たのは小学3年生のころ。当時は自作ラジオとかに興味があって、電子サイコロのパーツを買い求めて。中学生になると「MZ-80」という高価なPCが売り出されたので、ショッ

    電気街が“萌え”た日、そこには等身大の綾波レイがいた (1/5) - ITmedia PC USER
  • 元麻布春男の週刊PCホットライン

    秋葉原は、移り変わりの激しい街だ。戦後の米軍払い下げ電機部品に始まり、ラジオ、アマチュア無線、オーディオ、パーソナルコンピュータ、そしてアニメ/フィギュアと、街の看板は掛け替えられ続けてきた。筆者が初めて秋葉原を訪れたのは、'70年代の前半で、アマチュア無線の街からオーディオの街へと変貌しようとしていた時期だった。当時、まだ地方に住んでいたので、首都圏在住の親戚に連れられて秋葉原に行った。田舎では見たことのない輸入物の真空管、ラックスや山水のトランスを、天賞堂の鉄道模型でも見るかのように、見つめた記憶がある。それはもう、見るだけでスゴイ経験だった。 数年後、大学入学と同時に上京した頃は、秋葉原は完全にオーディオの街に変貌していた。中央通り沿いの量販店は、すべてオーディオ専用フロアを設けていたし、年に1度のオーディオショウは、晴海の見市会場(東京ビッグサイトの前身)すべてを使い切る規模で開

  • ZAKZAK - “太陽”オグシオ夢散…「殺!殺!」報復応援に萎縮

    “太陽”オグシオ夢散…「殺!殺!」報復応援に萎縮 中国ペアに圧倒され、オグ(小椋・右)シオ(潮田・左)は試合中に冴えない表情を浮かべた(共同、クリックで拡大) オグシオを殺せ−。バドミントン女子ダブルスの小椋久美子、潮田玲子組は世界ランク3位で第2シードの中国ペアと準々決勝で対戦、0−2で惨敗した。確かに対戦相手は強かった。しかし、それ以上の難敵が、観客席にいた。 「シャーッ! シャーッ!」。中国選手がスマッシュを打つたびに、中国人の大応援団から、敵を威嚇する獣のような声が起こった。漢字を当てると「殺!殺!」。来はスマッシュの時のかけ声は「扣殺(コーシャー)!」がフェアな応援なのに、オグシオにむけて会場全体で一糸乱れず「殺せ!殺せ!」の大合唱をしていたのだ。 バドミントンは中国のお家芸のひとつ。相手は確かに強かった。第1ゲームで8連続ポイント、第2ゲームで9連続ポイントを許すなど、オグシ

    nadzuna
    nadzuna 2008/08/12
    一般的なバドミントンの応援は知らないが、この「殺」を「殺す」と訳すのは酷すぎる。中国語の「殺」は動詞の後で程度が著しいことを表す。「笑殺」で「大笑い」など。