「開国」という言葉に違和感がある。 なぜなら、江戸時代は鎖国をしていたというが、オランダや中国、朝鮮や琉球、アイヌと交易を行っていたからだ。近代化に向けた啓蒙のニュアンスを感じるからだ。 確かに、鎖国方針の停止は大きな転換点だ。しかし、普通にあった西洋以外との交易を無視して、欧米との交易開始を、「国を開く」と強調することにもやっとしている。 ドイツの歴史学者・ゼバスティアン・コンラートによると、この「開国」というレトリックは、日本だけでなく、中国、朝鮮にも適用されているという。西洋以外とのつながりを無視し、欧米との関係の開始を際立たせるために用いられる表現になる。 コンラートは同様に、「国民」「革命」「社会」といった概念に注意を向ける。あまりに馴染んでしまっているので普通に見えるが、これらは、ヨーロッパの局地的な経験を、普遍的な理論として他の地域に押し付けるための用語になるという。 ヨーロ