冷蔵庫に置いてる つめたいバター 毎朝塗られる日々 かたいと文句も言われたり そんな君は切られて削られて 小さくなって しわしわの銀紙をまといつつも 美味しさと笑顔を与えている ホットケーキを焼いてあげよう ふかふかの舞台へ、さあ 最後のひとかけらに スポットライトを当ててあげよう バターのお姫さまは熱で溶けて とろとろになっちゃった そして子どもたちのおやつへ ホットケーキとともに
悪い夢を見た――しかし淡い幸福に包まれていた。 彼女は別れ際の駅で言った。「離れたくない」 束縛したくない、嫌いになってほしくない。 将来のことを考えたい、明日のことは考えたくない。 バイバイしなくちゃいけない、離れたくない。 簡単に「矛盾」と片付けられるその気持ちは、しかし人間が生きていくことそのものであった。 生きた心地のしない、抜け殻の朝。 しかし前を進んでいくしかない、希望の朝。 ふわっとしたオムレツに包まれた、鼻をつく西洋わさびの辛さ。 甘い蜂蜜の中にたっぷり溶け込む、苦さを伴うシナモンの香り。 やさしさと哀しさ、甘さと苦さが残る朝。 現実を生きていくことは、地続きである。苦しみや悲しみを抱きながら、幸せを噛みしめて今日を生きる。 (藤原 惟)
実はこの記事について2つぐらい下書きを書きかけたけど、なかなか仕上がらないので「えいや」で簡素に書いておく。もっとリンクとか丁寧に付けたかったけど、それも最低限にして雑に書き残しておく。 試み1:創作活動を始めてみた 詩。原稿は手書きで書いた。 www.3rd-p-zombie.net すごく短い小説(SS)。 www.3rd-p-zombie.net 創作を始めた理由 一つは、「停滞」から脱出しようと思ったから。なにか、ものごとが滞った気がして、それを突破したいと願ったから。 もう一つは、友人であり詩人である(正確には「あった」)青の詩人に憧れて。彼については改めて書く。 彼の作品は ポエムワールド(青の詩人) で読める。 僕がいちばん好きな詩: 【自由詩】言葉 試み2:積極的に「やめて」みた いわゆる断捨離を、プロジェクトやタスクについてやっている。 自分が抱えている(あるいは何も考え
2017年の新学期に向けてこういう話が出ています。 「道徳」教科書の初検定 8社すべてが一部修正し合格 | NHKニュース 小学1年生のある教科書では、申請段階では、物語に友達の家のパン屋を登場させていましたが、「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切だと意見がつけられ、教科書会社は「パン屋」を「和菓子屋」に修正しました。 これについて、教科書会社は「日本文化であることをわかりやすくするため和菓子屋に修正した」と話しています。 ソースが1つしかないので真偽不明ながらも、これ自体の真偽は保留します。 神戸のパンについて語りたい ただ、次の疑問を伝えたいために記事を書きます。 「神戸のパンを愛することは、郷土愛ではないのか?」 以下、政治的なことは触れずに、ひたすら「神戸(および兵庫県)のパンに対する愛」を語ります。 (なお、画像の出典について注記がないものは、各項で紹介しているお
昨年12月に、私は再び兵庫県民になった。 とはいっても、大阪からの引越なので距離はそんなに変わらないが、しかしアイデンティティとしてはかなり違う気がする。 そして今年も、あの日が巡ってきた。 阪神淡路大震災当日『おはよう朝日です』 私と震災 幸いにして、私の住んでいたところは被害が少なかった。とはいえ、「テレビがテレビ台から飛び出した」程度には、それなりに揺れた。 それから数年経ち、私は神戸市・長田区で生まれた育った友人と出会った。彼の家は本当に根本からなくなったようだった。その記憶を語ることは彼自身もあまりないが、物静かな彼が心を揺るがすほどのことであったらしい。 ちなみに、長田区は見違えるほど美しくなった。かつてあった商店街や街並みすら忘れさせるほどに。 (新長田駅若松町、1995年1月18日) (JR新長田駅前、2006年) ※ 以上は 阪神・淡路大震災「1.17の記録」 より(ライ
日本につけるクスリ 作者: 竹中平蔵,安部敏樹出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2016/12/16メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログを見る 友人の安部敏樹という男による、竹中平蔵氏との共著・『日本につけるクスリ』。 その書評をしたいのですが、全体を書評できるほど読めていません。そこで、彼との出会いを簡単に振り返り、巻末「おわりに」を簡単に書評しつつ、最後に自分の「far together」したいことを列挙したいと思います。 リクルート 2WEEKS アメリカ横断Workshop www.3rd-p-zombie.net 2014年3月12日(水)から3月25日(火)まで、リクルートホールディングスが主催した 2WEEKS アメリカ横断Workshop に行ってきました。 (中略) 綿密で濃い日程が特徴。ボストンでワークショップをしつつ学問に
2017年早々、SNSで次のような看板がある神社に掲げられたことが報告されたことがきっかけになり、「初詣にベビーカーでお参りすること」の是非が各所で激しく議論されています。 『ベビーカー利用自粛のお願い』 年末年始は境内混雑のためご入門をお断りする場合がございます。 詳細は下記の記事をご覧ください。 「初詣ベビーカー論争」に感じる、相変わらず少子化一直線な社会の不寛容さについて ベビーカー否定派に伝えたい3つのこと - ひびわれたまご 上記の議論のうち、多くは育児・福祉サイドの立場から「社会はもっと自由で寛容になるべき」という立場が主流です(僕自身はリベラリストなのでこの意見に賛成します)。 しかし、「神社は宗教施設である」という観点での議論は(私の観測できる範囲では)あまりないため、この記事では「神道としてベビーカーをどう取り扱うべきか?」について、私の意見を簡潔に述べたいと思います。
あけましておめでとうございます。 他のブロガー様の動向を見ると、新年早々セール記事をアップされる方もおり、「果たして私はブロガーと名乗っていいのだろうか?」と早くもアイデンティティ・クライシスに陥りました。 しかし、私は「のんびり気軽に書く」と「ここぞという記事は手を抜かず良いものを書く」という緩急を付けて、マイペースを崩さず書こうと思います。できれば「こんなブロガーも居ていいんだ」というモデルになればと。(あれっ、去年の年始もこういう書き出しだったような……) 万年筆を下ろしました。 実は結構前に、私が「心の師匠」と慕っている方から万年筆とインクのセットを頂いたことがあるのですが…… 当時は万年筆の扱い方を知らなかったので、かなり乱暴に扱った挙げ句、インクを詰まらせてペン先をぶっ壊したのです(泣) その後、「修理する」という選択肢を知らなかった私は、それを燃えないごみとして捨ててしまった
(出典: 1984period5 - rohloff, CC BY-SA) いま、通ってた大学付近の自宅を引き払って、実家に引っ越そうとしている真っ最中です。(落ち着いたら報告しようかと思います。) んで、引越作業の休憩でYouTube見ようとしたんですが、「eo光 事務所移転」のCMを出してきて、ピンポイント過ぎてめっちゃ気持ち悪いんです… 一応こうなるのは理由があると推測しています。Googleはおそらく、Gmailとかカレンダーとかマップとか検索履歴などから、情報を抜いているのです。このことは後述するプライバシーポリシーにもはっきり書いています。 (Googleの立場としては、セキュリティは強固であるとか、必要ならオプトアウトできる(セキュリティ管理用のダッシュボードがある)とか、機械は読めるが人間には読めないような仕組みになっているとか、という説明は聞きます。) ただ、事実として
ライトなネタバレがあります。念のためご注意ください。 この記事は映画『君の名は。』の考察ではありません。考察を読みたい方は、記事末尾のおすすめ考察記事をご覧ください。 ついに観に行ってきました。『君の名は。』 映画本編をぼーっと観ながら色々考えていました。人文学と絡められる「フック」が結構あって楽しいので、人文学畑の方はぜひご覧になってください。(特に民俗学、天文学、人文系の地理学あたり。) さて、今回はこの作品の主題である 名前 について考えてみたいと思います。 二人を繋ぎ止める「名前」 詳細は省きますが、作品中では色々な時点で、主役の二人の「名前」がお互いを繋ぎ止めたり、繋ぎ止めようとしてすれ違ったりします。 その中で、「相手の名前を忘れると同時に、その存在自体も忘れてしまう」 シーンがいくつかあります。 さて、少し不思議に思いませんか? 瀧も三葉も、 あれだけ強い気持ちを抱いていた相
私は「人工知能は、人間の良き道具であるべきだ」という立場をとります。 人間が第一であり、AIには支配させたり重要な決定権を任せるべきではない。 だから、私はAIの議論では、哲学と倫理を重んじています。 AIに対する人間最後の砦は意思決定? そこは人工知能の側の問題というよりは、人間の美意識の問題なんですね。次に指す手を選ぶというのは、美意識を磨くこととかなりイコールに近いものなんです。 羽生善治、AIとの歩み「棋士は存在価値を問われてる」 | R25 AIに対する人間最後の砦は、「意思決定」だと思います。 理由は次の通りです: 技術を達成する前提として、「意思決定とは何か?」という哲学的な問題を解決する必要があること。 厳密には「自由意志」という問題になります。 そもそも、人間はどうやって意思決定をしているのかが解明されていないこと。 仮に技術的に意思決定が完璧にできたとしても、人はそれに
私はブログタイトルにダッシュ記号 — を多用します。ただ、「どの記号を使うべきか?」について無頓着だったので、改めて整理してみます。 例えば、私はこの記事のタイトルにもダッシュ記号を使いました: ブログで大事なことは、おすそ分けの心と楽しむ心—8/6 ブロガー大文化祭@神田 レポート - サードウェーブ系哲学的ゾンビ この「楽しむ心」と「8/6」の間にある記号こそが、ダッシュ記号です。 ただし、日本語執筆について学習されていない方にとっては、いわゆる「長音(伸ばし棒)」や「ハイフン」と区別が付かないと思います。 この記事では、(私が使う範囲で)ダッシュ記号の使い方を紹介します。 注意:もし内容が間違っていれば、コメントやTwitterなどでご指摘ください。 忙しい人へ 以下、すごく些細でマニアックな話が続くので、手っ取り早く「ブログライティングにおけるダッシュ記号の使い方」を知りたい方は、
前回の記事ですごい重い記事を書いてしまい、おかげ様で好評ながら「長い」「読むのがしんどい」という評判をいただきました。 なので、今回は軽めのネタを一つ。 いきさつ 私は普段は関西に住んでいるのですが、今日はブロガー大文化祭に参加するために東京におります。 www.ituore.com 仕事用の名刺とは別に、ブロガー用の名刺を作ろうとずっと思っていたのですが、色々バタバタしてて、気づいたら1週間前。 ネット印刷では厳しい時期になっていました……。 ネット印刷を考えてみた せっかくなので、自分よく使っているネット印刷屋さんの「プリントパック」と、らくからちゃさん(id:lacucaracha)推奨の「ラクスル」を比較してみました。 2つに共通する条件は以下の通りです: 片面カラー 100部 税込価格 サービス名 プリントパック ラクスル 標準 7営業日後発送 ¥930 7営業日後発送 500円
(剣と天秤を持つ「正義の女神」像。目隠しの意味は諸説あるが、現在は「人物の名声を顧慮しない公正さ」と解釈される。) この文章では、「なぜ「役に立たない人」にも基本的人権を認めるべきなのか?」という問題を、哲学(特に倫理学・政治哲学)として理屈でひたすら考えていきます。 その中で優生学、すなわち「生きる意味のない人間は、他人が安楽死させたほうがいい」という考え方が誤っていることも、理屈で示していきます。 なので、本文は非常に長い文になってしまいました。さっと簡単に内容を掴みたい方は、「結論」のみをお読みいただければ内容はつかめます。 はじめに 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件は、単なる殺人事件を越えて、「障害者(=社会的弱者)の人権」という、ある意味アンタッチャブルだった議論を広く引き起こしています。 相模原の障害者殺傷事件における犯人の証言 この事件の容疑者
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